−学会活動報告−

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【関東都市学会2014年度秋季大会を開催しました】

■ 開催日 : 2014年(平成26年)11月29日・30日
■ 開催地 : 福島県いわき市
■ 主催   : 関東都市学会
■ 共催   : 東北都市学会
■ 大会プログラム
□ シンポジウム(11月29日(土)受付13:00/13:30−17:30)
  「いわきの震災復興と<都市>形成―地域開発の歴史を踏まえて」
(会場:会場:いわき生涯学習プラザ大会議室/福島県いわき市平字1-1 ティーワンビル内(4階))

○ 解題
浦野正樹(早稲田大学文学学術院)・川副 早央里(早稲田大学大学院)
 福島県浜通り地区はとりわけ首都圏との関係を強くもちつつ発展した地域で、いわき市の常磐炭鉱や広範囲にわたる合併による新産業都市の歴史、北部に隣接する双葉郡における原子力発電所の立地などは、そのひとつの断面を象徴的に表している。なかでもいわき市は首都圏を支える一都市としての側面を強く持ち、福島浜通り地区における中心都市として発展してきた都市である。
 東日本大震災では地震・津波・原発事故など直接的な被害を受けいまだにその後遺症を強く引きずっている一方、避難指示や居住規制などさまざまな原発事故の影響を受けた双葉郡の原発避難者の多くが集まり、原発事故収束の拠点としても、現在大きな役割を果たしつつある都市である。原発事故による避難生活が長期化するなかで、市外からの原発避難者がいわき市内に自宅を建設する動きがはじまっており、複数の自治体が災害公営住宅のいわき市内での建設に向けて調整を進めている。また双葉郡の居住規制地域に帰還するまでのセカンドタウンや町外コミュニティの候補地としてあげられるなど、浜通り地区におけるいわき市の役割はより一層大きくなりつつある。現在いわき市は、このように隣接地域から急速かつ過渡的に多数の人口を受け入れている状態で、それに見合う都市機能の整備は難しく、交通渋滞をはじめとして市民生活にさまざまな歪みが生じている。ここでは、不安定で過渡的な人口増や需要増を抱える、震災復興過程での<都市>形成のあり方が問われているといえよう。
 また、いわき市内の周縁にあたる地域では、広域的な合併の長期的な影響によって都市機能が市中心部へと移出し、長期的な衰退化傾向が顕在化し求心力を失いつつあった。特に、津波被害を受けたいわき市の沿岸部では、震災前から進行していた中心市街地への転居や市外への転出が加速し、人口流失と少子高齢化が進んだため、周縁部の地域振興をどうするかが一層大きな課題になってきている。広域合併後の都市の中心と周縁の問題は、東日本大震災の災害プロセスやその後の推移に、大きな影を落としてきたのである。
 今回のシンポジウムでは、浜通り地域の地域開発といわき市の誕生の歴史と地域構造を踏まえたうえで、今回の震災が地域社会にもたらした被害と影響を検証し、特に合併を経て広域化した自治体において、いわき市全体としての対外的な戦略と、ローカルなニーズのくみ上げや地域課題への対応を両立して実現していくべき方策を検討したい。震災から4年目を迎えてダイナミックな地域変動が進行し新たな都市形成期を迎えた浜通りの中核都市としてどのような課題を抱えているのか、今後の都市としてのいわきのあり方を議論する機会になることを期待したい。

○ 報告・コメントのキーワード
小宅幸一氏(いわき地域学会)/いわきの地域開発史、地域構造の観点から
松本行真氏(東北大学)/津波被災地域の地域概要(地域が抱える問題、地域振興の取り組み等)、東日本大震災による津波被害と復興への課題と現状について
寺島範行氏(いわき市役所)/いわき市の避難者受入のこれまでの取組と、共生に向けた今後の取組
草野淳氏 (いわき市社会福祉協議会)/いわき市の地域福祉、被災者・避難者への支援活動
熊田俊郎氏(駿河台大学)/震災前の都市としてのいわきの姿、都市形成における課題
大矢根淳氏(専修大学)/広域都市における災害対応・復興への課題(被災者・避難者への対応、石巻との比較)

○ 報告者
小宅幸一(いわき地域学会幹事、いわき明星大学客員教授、いわき市役所ふるさと発信課嘱託)
松本行真(東北大学災害科学国際研究所准教授)
寺島範行(いわき市行政経営部行政経営課復興支援室主任主査)
○ コメンテーター
草野淳(いわき市社会福祉協議会地域福祉課課長)
熊田俊郎(駿河台大学教授)
大矢根淳(専修大学人間科学部教授)
○ 司会
浦野正樹(早稲田大学文学学術院教授)
○ 司会・解題
川副早央里(早稲田大学文学研究科博士後期課程、いわき明星大学客員研究員)

■ 懇親会(11月29日(土)18:00〜20:00)

■ エクスカーション(11月30日9:20〜/ JR常磐線 いわき駅前ミスタードーナツ前集合)

【大会印象記】

<シンポジウム 29日の部>
野坂 真(早稲田大学大学院 博士後期課程)

 関東都市学会2014年度秋季大会は、福島県いわき市で開催された。今大会は、東北都市学会との共催という形を取っており、開催形態からして、東京都市圏の一端であるとともに福島県浜通りの関東側の玄関口でもあるといういわき市の多様な側面を印象づけるものだった。以下、シンポジウムの概要と感想を述べる。
始めに、川副早央里氏(早稲田大学大学院/いわき明星大客員研究員)により解題が行われ、いわき市の地理的特性および地域の歴史(特に市町村合併に伴う自治体内の多様性)と、そうした背景から生じる東日本大震災後の被害特性や復旧・復興に向けた課題が紹介された。また、被災地の一つでありながら、様々な人々がいわき市を経由して元の地域に戻っていく、復興拠点としてのいわき市という側面も持ってきたことも紹介された。原発災害の問題を考える上で、まずはこうした多様な側面を持ついわき市を見ることがシンポジウムの主旨であることが説明された。
 第一報告では、小宅幸一氏(いわき明星大学地域基盤型客員教授/いわき地域学會幹事)から、東日本大震災後のいわき市における状況を見る上での大前提として、地域の歴史(特に地域開発の歴史)について解説がなされた。戦後、炭鉱閉山後に新産業都市の指定を受ける中で、双葉郡のように原発を誘致するのではなく面的な開発が重要という方針が提示された。このため、いわき市で一つにならなければならないという意識が強く、地区ごとの歴史を顧みることが少なかったという。他方、双葉郡は原発を受け入れたことにより、昭和の大合併以降市町村境が大きく変わっておらず、広域で地域開発・振興を考える経験が少なかった。いわき市とはまったく異なる地域開発の歴史を持っている。東日本大震災後、いわき市は、多くの避難者を受けいれている。国レベルでは、同じ浜通りにあること、炭鉱も原発も同じエネルギー産業と見なされることから、いわき市と双葉郡を類似する地域と見なす傾向にあるが、両地域は歴史としてはまったく異なることに注意が必要である。そうした背景を理解しながら、支援の方法を考えていくことが必要であるという問題提起がなされた。
 第二報告では、松本行真氏(東北大学災害科学国際研究所准教授)より、豊間地区薄磯区を事例に、いわき市内の津波被災地域における復興プロセスについて報告がなされた。薄磯区ではまず、40歳代の若手を中心にして復興まちづくりに関する勉強会が立ち上がり、それが薄磯復興協議委員会に発展した。しかし、委員会からの提案が市の復興計画に反映されているという認識を住民たちが持てず、既定路線を前提として議論させられているのではないかという疑念が委員会の中に生じてくる。そこで、薄磯区(行政区)との連携を強めるために、一部の委員が区役員に就任し情報共有を図っていくことにした。また、豊間地区全体で情報共有するために「(仮称)とよま復興まちづくり市民会議」も設立し、活動の幅を広げていった。また、ほぼすべての住民組織を巻き込む「薄磯区まちづくり委員会(仮)」設立の動きが生じている。しかし、連携を実現する上での課題も残っている。例えば、行政と住民との間における役割分担の検討、豊間地区内の他の区との連携強化、既存組織と市民会議との住み分けの検討、委員会内の世代間ギャップをいかに埋めるか、といったことが課題となっているという。
 第三報告では、寺島範行氏(いわき市復興支援室)から、これまでの避難者受け入れの実態と今後の課題について報告がなされた。まず、これまでの避難者受け入れの推移として、他の県内市町村に比べ、どの避難元の町においてもいわき市が最も多くの避難者を受け入れてきていることが、統計データから説明された。これに伴い、避難元自治体の役場機能も多くいわき市に立地している。このため、介護や子育てサービスなど避難元自治体では労力的に対応が難しい行政サービスもいわき市が提供しているという。いわき市への避難者・定住者が増えていく可能性が見られる中で、いわき市では共生に向けた取り組みを行っている。避難者向けの公営住宅を市内に分散配置すること、医療・福祉やごみ処理など生活サービスの面での支援を、国や県に要望している。さらに市では、市内全避難世帯に就労を呼びかけるチラシを配布している。就労支援については、再生可能エネルギーを核とした産業振興を目指しているという。また、コミュニティでの共生に向けて、国や県には交流施設等の実現を、8町村長には隣組への加入や地域活動への参加を避難者に呼びかけることを要望している。コミュニティ交流員の活動も展開しているという。
 次に、コメンテーターからの意見発表がなされた。第一に、草野淳氏(いわき市社会福祉協議会地域福祉課課長)から、今後復興に向けたボランティア活動を継続していく上での課題が提示された。まず、そもそもの地理的条件として、各地区から平まで距離がある(沿岸部まで車で30-50分)ことから、地元のニーズをより綿密に把握しながら、住民自らが活動を企画し実現できる仕組みの構築が必要であるという課題が提示された。この課題に対応するため、社会福祉協議会はあくまで住民のお手伝いであり黒子に徹するという意識で活動しているという。また、隣近所での助け合いの関係を活性化することも重視しているという。次に、原発災害からの避難者を受け入れている地域として、避難者と市民との間で少しずつ意識の溝が生まれており、それをいかに改善するかが大きな課題となっていることが提示された。当初は市民から同情の気持ちが強かったが、市民には3年も5年も住んでいるのだから隣組に入って欲しいという意識があるという。他方で、避難者はまだ仮住まいにしたいという意識があるという。どんなに便利なまちでも人が笑顔で住めるまちにしなければ、復興は難しいという認識が示された。 
 第二に、熊田俊郎氏(駿河台大学教授)よりいわき市に居住経験のある研究者としてコメントがなされ、福島県の歴史的背景への注目の必要性が提示された。そもそも、福島県自体が近代化の中で形成されており、卓越した都市がなく県内の地域対立を生みにくかったという。このことが、県内避難が多いことにもつながっている可能性があるという。また福島県は、東京への電力送電地域という側面もある。原発が立地された背景も、当時の東電社長が福島県出身だったこともあるのではないか。こうした背景を踏まえておくことは、復興のことを考える上で重要であるという問題提起がなされた。
 第三に、大矢根淳氏(専修大学人間科学部社会学科教授)より、広域合併を行った経緯を持ち、東日本大震災で大きな被害を受けたという点で共通点を持つ石巻市を事例に、コメントがなされた。石巻市では、中心部が大きな被害を受けたことから、半島部は半島部の支所で対応する方針が最初に示された。しかし、合併後遺症により権限も手足も支所にはなかった。そこで、応急対応も遅れた。現在では、内陸へ向かい広域化する傾向も見られるという。中越では、生業のアイデンティティを元の集落に残しながら広域な範囲で生活し、地域を取り戻していく動きがあった。こうした動きを参照しながら今後の復興を考えていくことが石巻市では重要になってくるという。重要なのは、自分たちが維持しなければならないと考える地域のアイデンティティを残していく過程において、人が選択し生活を蓄積していった結果として復興事業が行われることであるという発表がなされた。
 ディスカッションでは、司会や会場から活発な質問や論点提示がなされたが、特に今後の復興を考える上で重要となったものは、いわき市や各地区のシンボルや誇りと思えるものは何でありそれを今後いかに再構築するか、というものであったろう。この論点については、「いわき市は首都圏頼みの産業振興が多かったので、自分の歴史や文化を見直す習慣がなかったのではないか。歴史や文化をいかに若い人に伝えていけるかが、いわき市を活かしていく上で重要なのではないか」「数世代先のことを考えながら住宅再建やまちづくりを行うことが重要。例えば、住民の間では、自分の世代だけならば公営で十分だが、3世代住宅ならば住むという意識もある」「いわき市のシンボルは暮らしやすさであることを発信していく必要がある」「何かができるまちにすることが重要。できたという体験を通じ、いわき市を好きな人をもっと増やしていくことが重要」といった意見が聞かれた。
 今大会のシンポジウムを通じ、いわき市がその内部において様々な面で多様性を抱えながらも、震災前は首都圏の一角としての新産業の振興、震災後は原発災害からの避難者受け入れという大目標を保ちながら、市全体として一定の方向性を持ってきたことが分かった。しかし同時に、震災前は各地区が存続する意義の検討、震災後は地震や津波からの復興ビジョンといった、各地区の多様性を踏まえた課題は、市全体としては影が薄くなっていたのではないかとも懸念される。今後は、各地区でどのような資源を有するかを詳細に検討した上で、市全体としてそれらを有機的に紡ぎ直していくことが必要となってくるのではないか。そこでは、当然いわき市への定住を希望する避難者のニーズも加えていく必要が生じるであろう。しかし、より大きな問題として、定住するかは分からないが少なくともいわき市に生活の核の一部を長期的に置きたいと考えている避難者の声を、いかに復興施策に反映するかということもあるように思える。この問題に対応するさい、通常は定常人口のものとして捉えられがちな「住民」や「地域組織」という概念の問い直しさえも必要になってくるのかも知れない。

<エクスカーション 30日の部>
浅野 幸子(早稲田大学地域社会と危機管理研究所招聘研究員)

 大会2日目はマイクロバスで、いわき市内および周辺地区の現状を視察しました。川副会員が案内を務めましたが、富岡町出身で相双ボランティアを運営している平山勉さんも同乗くださり、富岡町を中心に詳しい説明をいただきました。
 湯本を出発後、中央台の楢葉町役場(いわき明星大内)と同町の仮設の小・中学校、いわきニュータウン内の、高級住宅とも隣接したエリアに建つ仮設住宅群を見ながら小名浜港へ向かい、いわき市観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」を見学。1階は飲食店と鮮魚店数軒が入り魚市場の雰囲気で、二階にはお土産物店のほか東日本大震災の展示室もあります。全体に賑わっていましたが、原発事故の陰で情報が少なかったいわき市の津波被害の実情に改めて驚き、以前のように漁ができない状況下で漁業に携わって生きる人たちの姿を少し複雑な思いで見ました。さらに近くのマリンタワーへのぼり小名浜港を見渡し、江戸時代は幕府への納付米の、明治以降は石炭の積み出し港として機能し、戦後も新産業都市構想の中で数々の工場を含めて大きく発展してきた歴史をイメージしました。
 その後バスは海岸に沿って北上。集合住宅型と戸建型の公営住宅が建つエリアを見て、豊間地区で食事をとったのち、塩谷崎灯台の横を抜けた先の薄磯エリアでは、津波で全壊した中学校と更地広がる地区を見ながら、地元の薄磯復興協議委員会および海まち・とよま市民会議の瀬谷さんに説明を受けました。約120人の方が犠牲になったそうですが、水産加工業を再開する業者も殆どなく、防災集団移転後に戻ってくるのは270世帯中100世帯もない、特に若い人が戻らないそうです。
 さらに四倉を経由して久ノ浜へ移動しながら車中から見学しましたが、このあたりで家を建てたいという双葉郡の人が多く、すでに土地はないとのことでした。そして広野町に入りJビレッジの横を通る形で楢葉町へとバスは進みます。広野町は2012年から帰還が始まっていますが、2割程度の人(約1,300人)しか戻っていない一方で、この地域周辺では約2,600人の原発作業員が働いているとのこと。また、いまも居住が禁止されている楢葉町ですが、作業員用の宿舎を建設中で、稲作が一部で再開、コンビニや仮設商店街「ここなら商店街」も営業しているなど、帰還の可能性が模索されている状況です。
 そして福島第二原発の西側を通る形で富岡町に入りましたが、富岡駅周辺は2011年3月で時が止まったかのような光景でした。津波が破壊したホーム、住宅、店舗、静まり返る駅前商店街。富岡漁港周辺の、除染後の汚染物質が詰まった袋が積み上げられた様子を見たあと、さらに夜の森駅周辺の閑静な住宅街へ至ると、春には見事な桜並木となる大通りは、「この先帰還困難区域につき通行止め」という黄色い看板と柵によって完全に分断されていました。その後、沿岸を見晴らす高台にありながら21mの津波が直撃したホテル観陽亭へ移動して町を見渡しましたが、海岸沿いの先に、かろうじて事故を免れた福島第二原発の建屋がはっきりと見えたことが、心に深く残りました。事故前は素晴らしい眺望でお客をもてなしたことでしょう。しかし大都会に送るための原子力発電所も、その美しい景色には入っていた。これが私たちの社会が福島に押し付けてきた現実です。帰りはすでに暗くなっていましたが、原発事故収束・復興拠点となっている、広野町のJビレッジをバスの中から見学して、いわき駅へ戻りました。
 家屋の痛みも進む中で、厳しい状況を歩む双葉郡の各市町と、今後の生活設計に揺れながら避難生活を送る人々。被災自治体でありながら多くの避難者を受け入れることで戸惑い、渋滞をはじめ生活上の不満も持ついわき市民。「住民があまり戻らず、防災緑地ができても草刈りすら難しいかもしれない」津波被害エリアの復興。そして、放射線の問題ももちろんですが、もしも首都圏で地震が起これば、広域避難も他人ごとではありません。直接支援は難しくとも他人ごととせずに、福島の現実をこれからも気にかけていきたい。そう改めて思いながら帰途につきました
 
秋季大会シンポジウムの様子
 
エクスカーションの様子
 
【関東都市学会 研究例会を開催しました】

■ 日 時:2014年9月27日(土) 15:00〜17:30

■ 場 所:駿河台大学法科大学院 602教室

■ プログラム
報告(1)
ウランバートル近郊における観光開発とエコツーリズム
Bayansan Purevdolgor (高崎経済大学大学院地域政策研究科博士後期課程)
報告(2)
大都市と地方の広域連携の可能性
〜東日本大震災における被災市町村支援を題材に
橘田 誠 (弘前大学客員研究員)
報告(3)
医療産業クラスターにおける地域資源とイノベーションに関する研究
皿谷 麻子 (早稲田大学政治学研究科修士課程)

 【2014年度関東都市学会春季大会を開催しました】

■ 日時:2014年6月7日(土) 12:00〜17:30

■ 場所:東洋大学 白山キャンパス 5号館1階 5104教室

■ プログラム

○ 自由報告(12:00〜13:50)
小林修(まち-集落研究室) 
「『新しい都市学』に求められること―過去から現在を研究する都市学から、将来像を提示する都市学への転換」
高橋芳文(法政大学大学院 政策創造研究科 博士後期課程) 
「東京の広告景観の考察―盛り場を対象に」
野坂真(早稲田大学 文学研究科 社会学コース 博士後期課程)
「東日本大震災津波前後の岩手県大槌町における災害過程―地域開発から地域振興へ」
川西崇行(早稲田大学)・田中傑(京都大学防災研究所)・西田幸夫(埼玉大学)
「関東大震災撮影映像の撮影地点の解明」

○ シンポジウム(14:00〜16:40)
テーマ:「分譲マンションにおけるコミュニティのゆくえ
―グローバル・人口減少社会における分譲マンション管理のあり方を展望する」
【司会・解題】
平井 太郎 (弘前大学)

【報告者】
花里 俊廣 (筑波大学)
村上 民夫 (一般社団法人日本マンション管理士会連合会事務局長・サンシティ管理組合長期事業計画部会専門委員)

【コメンテーター】
祐成 保志  (東京大学)
大内 田鶴子 (江戸川大学)

【シンポジウム企画趣旨】  
分譲マンションにおけるコミュニティのゆくえ
―グローバル・人口減少社会における分譲マンション管理のあり方を展望する
(理事・研究活動委員 平井太郎)

 当学会では、これまで防災や港湾、水路などさまざまな切り口から、まちづくりをめぐる当事者の主体性やまちづくりの持続的な展開について討議を重ねてきた。また、その際の切り口には、できるだけその時々の話題性や現場性を重視してきた。このような背景を踏まえ、今回は「分譲マンションにおけるコミュニティのゆくえ―グローバル・人口減少社会における分譲マンション管理のあり方を展望する」をテーマに掲げたい。
 分譲マンションとは、各戸の所有者が「管理組合」という団体を組織し、マンションの維持管理や修繕にかんして合議により意思決定してゆく建物であり、現在では全国で約1割、東京では約3割の住宅を占める日本都市の主要な住様式になっている。この分譲マンションをめぐっては、80年代から所有者=居住者間の日常的なコミュニケーション(=「コミュニティ」)の重要性が指摘されてきたが、特に1995年の阪神・淡路大震災で被災マンションの建替え・大規模改修をめぐる混乱を機に、あらためて「コミュニティ」の重要性をはじめとする分譲マンションの管理にかんする諸課題が顕在化するとともに法制度の整備が進められてきた。2000年にはマンション管理適正化法が公布、マンション管理士という新たな専門職が創設されたほか、2003年に改正されたマンション標準管理規約では管理組合の業務に「地域コミュニティにも配慮した居住者間のコミュニティ形成」が初めて盛り込まれた(「コミュニティ条項」)。
 しかし、所有者=居住者のさらなる高齢化、所有者と居住者の不一致の増大(賃貸化)、他方で、大規模改修や建替えを必要とするマンションの増加を背景として、国・国土交通省では2012年8月から「マンションにおける新たな管理ルールに関する検討会」を組織し、今年度中の標準管理規約正を目指した手続きを進めている。そこでの議論の焦点は、管理組合の運営に対して専門家や専門組織の関与や受託を許容する「第三者管理」の導入などであったが、討議が進むにつれ、2003年に導入された「コミュニティ条項」の撤廃、管理組合の議決権を面積もしくは価格割にできる選択肢の導入などが具体化してきている。(1)第三者管理の導入、(2)コミュニティ条項の撤廃、(3)議決権の所有者間格差の導入は、所有者=居住者保護を目的としつつ、規制緩和による事業機会の創出や価値の尺度や基準の経済的価値への一元化といった意味で、いわゆるネオ・リベラリズムの潮流に沿ったものであり、所有者による「自主管理」を骨格とした日本の分譲マンション制度を根本的に見直し、グローバル化や人口減少を見すえた新たな管理のあり方を切り拓くものと言えよう。
 そこで本シンポジウムではこのような動向に対して、本学会の設立趣旨に照らし研究者と実務家や所説の立場を超えて議論を共有する場を設けたい。具体的には、分譲マンションの管理をめぐる実務・研究それぞれの立場から提示いただいた論点を共有し、実りある討議とそれに続く実践を展望したい。

○ 総会      17:00〜17:30
○ 懇親会     17:50〜19:50

【大会印象記】
2014年度春季大会自由報告印象記
杉平 敦(東京大学大学院 博士後期課程)

 関東都市学会春季大会は、小雨降る6月7日(土)の午後、東洋大学・白山キャンパスにて開催された。
 まず、小林修氏から「新しい都市学に求められること」という報告があった。人口減少と高齢化の将来推計を踏まえて、衰退する地域を静かに閉じながら少数の都市に人口を集約していくといった近未来日本のビッグピクチャーを描くべきという挑戦的な提言である。また小林氏は会場からの質問に答えつつ、旧来の土地と家業とを継承する「土の人」とそこから切り離された「風の人」を対比して、後者が増加することで土地への執着なども変化する(ため、よりモビリティの高い将来像を描ける)と指摘し、その役割を若い世代による「新しい都市学」に期待した。このような「都市学」を超えた自由な発言が、新しいものを見出しあぐねている若手研究者を刺激するものであってほしい。
 次に、橋芳文氏より「東京の広告景観の考察」という報告が為された。近年の屋外広告に対する地域の特性を無視した一括型の規制強化に異議を唱え、むしろ繁華街等では屋外広告を景観資源として積極的に活用すべきではないかという提案である。会場からは、近年の景観デザインの趨勢は街の個性を活かす方向へ向かいつつあることなどが指摘された。こうした時流は、橋氏の擁護する文化の揺籃としての猥雑さにとって肯定的な傾向であるはずだ。発言の引用に際してはその発言の文脈を押さえるべきとの指摘も踏まえ、創造的な多様性の景観への一層説得力のある援護射撃となることを期待する。
 続いては、野坂真氏の「東日本大震災津波前後の岩手県大槌町における災害過程」と題する報告であった。地域内での防災活動が盛んだった地域で大きな被害が生じたのは何故かという疑問に対して、地域の人口動態や産業構造、さらには意識調査なども検討しながら詳細な分析を加えていた。この結果、ハード偏重の防災対策や地域の安全性を犠牲にした産業振興策が問題の根本に見出された。これらが影響して、過去の災害の教訓は適切に活かされず、防災計画は生活実態と乖離してしまったというのである。津波によって多くの人が地域から切り離され、今後は地域のコンパクト化が現実的な方針となるだろう。そこで帰還者や外来者の力をどう活かすか、こうした考察が今後必要とのことである。
 最後は、田中傑氏・西田幸夫氏・川西崇行氏の連名による「関東大震災撮影映像の撮影地点の解明」であった。関東大震災を記録したフィルムを片っ端から閲覧し、膨大な分量のキャプチャー画像を作成、それら全ての撮影地点を地図や絵葉書などによって特定していくという気の遠くなるほど地道な作業の過程と展望とを紹介するものであった。会場では実際の動画やキャプチャー画像が豊富に示され、現在とは異なる景観ながら見慣れた東京の街路を舞台として災害の生々しい記録が鮮明に映し出された。報告によれば、フィルムのコマ数から避難者の移動速度や火災の延焼速度、さらには震災後に作成された火災動態地図や被災体験談等の裏付けをとることも可能とのことで、今後の進展が期待される。
 以上の通り、実業者からの既存の枠組みに反発する提言が前半の2組、学究者による地道な調査に基づく実態と課題の把握が後半の2組であり、これら2つの新しい傾向が支え合って今後の「新しい都市学」を導いていくのではないかという、希望の見出せた自由報告4本であった。

2014年度春季大会シンポジウム印象記
須藤 直子(早稲田大学大学院 博士後期課程)

 大会の後半は、「分譲マンションにおけるコミュニティのゆくえ―グローバル・人口減少社会における分譲マンション管理のあり方を展望する」と題したシンポジウムが行われた。
まず、平井太郎氏(弘前大学)より、本シンポジウムの主旨・解題が説明された。近年、分譲マンションの耐震改修や建て替えをめぐる議論が盛んに行われている。分譲マンションは通常、各戸の区分所有者で組織される管理組合によって、マンションの維持管理に関する合議が行われ、意思決定がなされるが、この「合意形成」と、合意形成に至るまでの意思疎通を図るための「コミュニティ形成」は、果たして同一のものであるか、それとも別のものであるか。また、これらに「第三者が介入」するとはいかなることか。上記の問題をめぐって、21世紀型ともいえる分譲マンションの維持管理の方法と可能性を、コミュニティをキーワードに探ることが本シンポジウムのねらいとされた。
 花里俊廣氏(筑波大学)はまず、分譲マンションの管理組合をめぐる「第三者管理の導入」や「マンション標準管理規約からコミュニティ条項削除の検討」など、新しい動きを整理した。これらの動きは、マンション管理組合のあり方を大きく変えることを示唆する。しかし、すでに多くの管理組合が、発足から20〜30年を経ることで、「アソシエーション」としての財産管理団体から「コミュニティ」としての組織への転換を経験しており、ここに花里氏は「マンション住民」=「マンション維持管理の主体」の可能性を見出した。しかし、近年増加傾向にあるワンルームマンションやリゾートマンションにおいては、この転換が必ずしも成立しない点に、分譲マンションが直面しているコミュニティ形成の困難性があると指摘した。
続いて、村上民夫氏(一般社団法人日本マンション管理士会連合会事務局長・サンシティ管理組合長期事業計画部会専門委員)は、マンションのコミュニティ形成が成功している事例を紹介しながら、マンション管理組合の可能性について提起した。村上氏ご自身が住民でもある、東京都板橋区の「サンシティ」(昭和55年完成)は、「奇跡のマンション」と呼ばれている。実際、管理組合は賞の受賞等で具体的に評価されているが、そこには住民たちの数十年にわたるボランティア活動や、「隣の人の顔もわからない」という危機感からはじまった取り組みが大きく寄与しているという。サンシティにおけるコミュニティ形成の原点は、住民たちの自主的な活動の中にあり、現在のサンシティに対する評価は、30年以上を経た管理組合のあるべき姿を体現しているといえよう。
 以上の二報告を受けて、コメンテーターの祐成保志氏(東京大学)は、マンションを複数の原理が混在する社会的場として捉え、管理組合は1つの政府あるいは自治体であると説明した。この自治体としての管理組合は、さまざまな原理を調整する一方で、マンションの維持管理をめぐって「コミュニティに何ができて、何ができないのか」を丁寧に論じる必要があると提起した。また、大内田鶴子氏(江戸川大学)は、コミュニティ条項削除の問題と関連づけながら、人の生活とは単なる契約ではなく、感情の部分が多くを占めていることから、マンションの居住者間の調整役がいなくなる場合、殺伐とした関係になる可能性があると指摘した。とはいえ、管理組合がそれらの調整を一手に引き受けざるを得ない現状にあり、必ずしも管理組合にのみ依存しない方法を探る必要性を問うた。
 以上、4名のパネリストならびにコメンテーターのご報告から、マンション管理組合は新しい問題に直面しながらも、さまざまな工夫や努力によって、住民がマンション維持管理の主体となる道を探ってきた様子が浮き彫りになった。確かに、マンションの性質によっては、部分的あるいは全面的に「第三者」の導入が必要になる場合もあろう。しかし、最終的にコミュニティ条項の削除が国の検討委員会で見送られたという実態に鑑みると、管理組合には「コミュニティとしての性格を保持したマンション維持管理の意思決定機関」という役割が付与され続けていくのではないだろうか。

 【3月研究例会を開催しました】

2013年度関東都市学会研究例会を、下記のとおり開催しました。

■ 日 時 : 2014(平成26)年3月15日(土) 15:00〜17:30
■ 場 所 : 公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所 5階第1会議室
        (東京都千代田区日比谷公園1-3市政会館内)
■ 内 容
報告1  香港の都市景観における屋外広告物の現状と課題
高橋芳文 (法政大学大学院政策創造研究科 博士後期課程)

報告2 国と地域の協働による中小企業政策の展開方策に関する考察
李南君  (高崎経済大学大学院地域政策研究科 博士後期課程)

報告3 台湾における街並み保存活動の現状と展望
―台北市「青田街」・花蓮市「将軍府」の事例を中心として
石井清輝 (高崎経済大学地域政策学部)

■ 印象記
関東都市学会研究例会 印象記
岩武光宏(東京交通短期大学)

 関東都市学会研究例会は、2014年3月15日(土)、(公財)後藤・安田記念東京都市研究所において開催された。
 まず、橋芳文氏による「香港の都市景観における屋外広告物の現状と課題」の報告が行われた。氏は自らの実務経験および現地調査に則り、看板大国たる香港の都市景観に注目している。このことは単に看板を屋外広告物としてみるのではなく、個性ある街並みを創出する「舞台装置」として捉えたものであり、「看板=観光資源」という視点にほかならない。まさに、過密感ある雑踏は活力を生み、魅力的な磁場であることは紛れもない事実である。しかし、一方では日本の京都などの観光地においては、屋外広告物に関する条例を制定し、規制と誘導を進めている。一般的に美しい景観とは、「調和」であり、香港における魅力的な景観である「共存」の風景とは相反する。また、観光、環境、都市開発などの問題が複雑に絡み合っているだけに、多くの矛盾を包含している。したがって、調和と共存の概念差の説明について、さらなる分析と裏付けが求められよう。
 次に、李南君氏による「国と地域の協働による中小企業政策の展開方策に関する考察」の報告が続いた。中央集権国家である中国は、地方分権が進んでいる日本の中小企業政策に学ぶことで、多くの知見を得ることができるという氏の立ち位置を浮き彫りにするものであった。ゆえに、天津市、東莞市の事例を概説し、日本の中小企業政策についても詳細に報告が行われた。中国において、中小企業政策は進んでいるものの、地方分権が進んでいないという問題があるだけに、報告後に、「東莞(地域レベルの都市)のモデルケースを天津(直轄市)に援用できるのか」、「日本の中小企業を克明に調べた上で、何を中国に援用できるのか、見極めが必要ではないか」との指摘もあった。研究の果実として、具体的な地域の中小企業振興のためのプラットホームの提言が期待されよう。
 最後に、石井清輝氏による「台湾における街並み保存活動の現状と展望―台北市「青田街」・花蓮市「将軍府」の事例を中心として」の報告が行われた。台湾では歴史的環境の保存事業が盛んになっているという。また、行政の支援も活発であり、官民あげての取り組みも散見される。これにかんがみ、氏は社会科学的な考察を試みている。制度的な展開について概説され、「青田街」、「将軍府」の事例を概観、また、多くの聞き取り調査によって、その実態に迫る内容であった。さらに報告後の質疑応答では、「保存活動における日本からの制度的な輸出および、それに係わる人的なつながり」についての補足意見が寄せられた。くわえて、親日国である台湾の保存事業における台湾人(外省人、本省人)のメンタリティーは興味深い。たとえば、台北市の台湾総督府本庁舎は、現在でも総統府として使用されていることや日式の住宅などが保存の対象になり得ることなどをみても、韓国のそれに該当する事例とは対極である。今後、保存活動を取り巻く市場原理の中で、さらなるコミュニティーの論理が醸成されていくのか否か、興味は尽きない。


【秋季大会を開催しました】

2013年度関東都市学会秋季大会を、下記のとおり開催しました。

■ 開催日 : 2013年(平成25年)11月30日(土)   
■ 開催地: 栃木県栃木市(シンポジウム会場:栃木市役所正庁)
■ 主催 : 関東都市学会
■ 共催  :科学技術振興機構「コミュニティがつなぐ安全・安心な都市・地域の創造」領域「伝統的建造物群保存地区における総合防災事業の開発」プロジェクト(小山高専)/栃木蔵のまち小論文コンクール実行委員会
■ 後援  : 栃木市/栃木市教育委員会
■ プログラム
10:15〜 エクスカーション
12:40〜 地元高校生によるポスターセッション
13:30〜 シンポジウム「栃木市の伝統の再発掘と地域活性化」
コーディネーター
  浦野正樹(早稲田大学教授)
  豊川斎赫(小山工業高等専門学校准教授)
基調講演
  河東義之(小山工業高等専門学校名誉教授)
報告
  黒田英一(法政大学大学院政策創造研究科客員教授/元宇都宮大学助教授)
  佐山正樹(ネットワークとちぎ)
  苅谷勇雅(小山工業高等専門学校校長、元文化庁文化財監査官)
コメンテーター
  井上繁(関東都市学会会長/常磐大学教授)
  川副早央里(いわき明星大学客員研究員/早稲田大学大学院)
16:40〜16:50 栃木蔵のまち小論文コンクール表彰式
17:30〜19:30 懇親会

■ シンポジウム解題
浦野 正樹(早稲田大学)
 栃木市は、日光例幣使街道の宿場町として発達し、北関東有数の商都として栄えた街であり、近年では江戸時代にタイムスリップする医師を描いた人気テレビドラマ「仁 ジン」の撮影場所となった川沿いの蔵屋敷の風景など、蔵が残るレトロな風情のあるまちとして、現在、映画やドラマの撮影場所としても注目を集めつつある。しかし、他方、地方都市に共通する高齢化の波のなかで、商工業者も後継者不足が深刻で、市街地部分の空洞化が進んで空き店舗も増えつつあり、蔵の残る建物群も老朽化などで町並みの保全や維持管理が難しくなってきている。また、旧町屋に独特な奥に細長い区画ゆえに、奥向きにある住居スペースは倉庫等の利用に化し、管理が難しい空間になってきてもいる。火災などによる延焼危険など災害面や日常生活基盤の衰退など不安な側面も無視しえなくなっているように思われる。
現在、栃木市街地では「嘉右衛門町」が文化庁による重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けているが、さらに中心市街地地区での指定を目指して事業を進めてきており、小山工業高等専門学校では、そうした動きを念頭において研究チームをつくり、科学技術振興機構の「コミュニティがつなぐ安全・安心な都市・地域の創造」プログラムにより、「伝統的建造物群保存地区における総合防災事業の開発」という研究を進めている。これは、安全・安心をめざしたまちづくりというコンセプトを踏まえ、地域の伝統的な価値を磨いてまちづくりを進めていこうとするものである。この大会では、「栃木市の伝統の再発掘と地域活性化」をテーマとして、こうしたまちの現在の課題と町並みの保全のあり方、今後のまちの将来を、市民を巻き込むかたちで考え展望を探っていくことにしたい。

■ 印象記
<エクスカーション 午前の部>
石神 裕之(慶應義塾大学)

 2013年11月30日(土)、関東都市学会2013年度秋季大会が栃木県栃木市で開催された。天候にも恵まれ、小春日和のなか土蔵や見世蔵の並ぶ「蔵の街とちぎ」を散策し、伝統的建造物の保存活用を基軸としたまちづくりの実践を垣間見ることができた。以下、エクスカーションを概括し、若干の感想を述べたい。
 今回は小山高等専門学校の全面的なバックアップのもと、企画をされた浦野正樹会員や川副早央里会員の綿密な準備もあって、限られた時間の中で様々な建造物を実見し、所有者のお話もお聞きすることができて、極めて有意義なまちあるきとなった。まず10時15分に東武日光線栃木駅に集合。そこからチャーター・バスを利用して、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「嘉右衛門町地区」へ移動した。バスのなかでは、ボランティアガイドの方による街なみについてのお話もあり、車窓から「とちぎ蔵の街美術館」(地元では「おたすけ蔵」の名で呼ばれ、3つの黒漆喰造りの蔵が平行して並ぶ珍しい近世後期の建造物を使用)や「山本有三ふるさと記念館」、そのほか近代以降の看板建築、商家風の造りをした交番などを眺めつつ、目的地へ向かった。
 「嘉右衛門町地区」に到着後は、少し街並みを歩いたのち「油伝味噌」という店へ。ここは創業が天明年間とされる味噌屋で、土蔵など5棟が明治期の建物として国の登録有形文化財に指定されている。御主人の案内で、味噌蔵の様子や建物の修繕に関して具体的なお話をお聞きした。屋根瓦の葺き替えに際して余った古瓦を土塀軒下の雨落ちに敷くなど、風情ある修景を行っていた点はとても好もしく思えた。
 油伝さんをあとにし、途中土蔵などの建造物や寛政12年銘の庚申塔など、文化遺産が点在する町並みをぶらぶらと散策する。この嘉右衛門町の街並みは、いわゆる日光例幣使街道に沿って形成され、近世以降に栄えた町の様子をいまに残る建築物から窺い知ることができる。とくに「岡田記念館」として現在活用されている屋敷は、嘉右衛門町の名前の由来になったという岡田家の住宅跡である。岡田家は代々名主を務め、足利将軍家の管領であった畠山氏の流れを汲む旗本畠山家の領地があったことから、近世には陣屋が設けられ、岡田家は代官代行の役割も担ったという。その岡田家が近代になり一層繁栄をした様子が、巴波川(うずまがわ)のほとりに22代当主の隠居所として大正13年に建築された翁島別邸にみることができる。時間の都合で建物中に入ることはできなかったが、外から自慢の檜の一枚板の廊下を拝見した。
 その後、大正2年に建てられた洋風の栃木病院の建物をみて、巴波川の小道を歩きテレビドラマなどのロケに使われる「塚田歴史伝説館」付近へ。塚田家は近世後期から木材回漕問屋を営んできた商家であり、いわゆる江戸と栃木とを結ぶ舟運で栄えた様子が、その建物からも見て取れる。川に沿って120メートルほどの黒塀が続き、白壁の土蔵が建ち並ぶ様子は、確かに時代劇などの撮影には最適であろう。川にはかつては物資を運んだ「部賀舟(べかぶね)」と呼ばれる小舟を浮かべて、観光客が遊覧を楽しめる趣向もあり、まさに栃木市を代表する景観といえる。ここで午前のエクスカーションは終了し、それぞれ昼食へとむかった。
 さて今回のエクスカーションで感じた点としては、伝統的建造物を保存し、まちづくりのなかで活用していくことの難しさであろう。例えば嘉右衛門町でも風情ある建物が見られる一方で、裏道に入ると普通の住宅地が広がっている光景がみられた。また伝建地区というと、馬籠宿や川越のように伝統的建造物が軒を連ねる風景を思い浮かべるが、ここ嘉右衛門町では新旧の建築が混在して町並みを形成している。伝建制度自体は比較的規制が緩やかなものであり、現に生活が営まれている地域において有効な保存活用制度とも言えるが、実際に歴史的な建造物を保存し、活用していくには、経済的にも防災上も困難な課題も多い。そうした事情の中で歴史的建造物を核としたまちづくりの基礎をつくった小山高専の河東先生や現在精力的に活動を推進している苅谷先生、そして地域住民の方々の尽力には頭の下がる思いがする。やはり、ただ守るだけの消極的な保存を超えて、経済的な意味でも価値づけされていくことが歴史的建造物の保存、活用には不可欠といえよう。
 先述したように、ここ栃木市は作家山本有三のふるさとである。山本は下都賀郡栃木町(現栃木市)出身で、戦後、栃木市の名誉市民となった。現在の文化財政策の根本である「文化財保護法」は議員立法として成立したものであるが、実はその議案提出者の一人が参議院議員となった山本勇造(本名)であった。まさに戦後文化財保護政策の道を切り拓いた山本の故郷で、こうしたシンポジウムが開催されたことは極めて意義深く、今後の栃木市におけるまちづくりにおいて、防災、観光などさまざまな側面から「町並み」の先駆的な保存・活用が実践され、その手法が全国へと広まっていくことを願ってやまない。

<シンポジウム 午後の部>
浅野 幸子(早稲田大学地域社会と危機管理研究所招聘研究員)

 今回の秋季大会は関東都市学会と、小山工業高等専門学校の教員が中心で本学会員の早稲田大学浦野教授もメンバーとして関わる、科学技術振興機構「コミュニティがつなぐ安全・安心な都市・地域の創造」領域「伝統的建造物群保存地区における総合防災事業の開発」プロジェクト(以下、プロジェクト)、および栃木蔵のまち小論文コンクール実行委員会との共催である。そのため、将来まちの担い手となる市内の高校生たちに2050年の栃木のまちを描いてもらった小論文の中から優秀な作品が、会場にポスターの形でビジュアル化・掲示されており、来場者はシンポジウム開始前に、まちの将来像を構想した高校生たちの説明を聞くことができる設定となっていた。
 赤十字の部活動を通した地域住民との防災学習の場づくりの事例。桜の植樹で美しく恋も芽生えやすいまち並みづくりにしようという提案。さらにペットを飼う高齢者が増えていることから、通り面の伝統的な街並みは生かしつつもドッグランを備えたカフェなどを構想。年老いても家族同様のペットや若い世代ととともに、温かく交流しあいながら暮らせる福祉のまちづくりの提案など、自由な発想が展開されていた。持続可能なまちづくりを展望するということは、まさにこうした世代を超えた柔軟な対話・交流の中にこそあると、そう思わせてくれる企画であった。
 シンポジウムは、プロジェクトにかかわる専門家と、市内のまちづくり関係者の参加のもと、早稲田大学の浦野正樹教授と小山高専の豊川斎赫准教授のコーディネートで進行した。まず、栃木市の街並み研究・まちづくりに長くかかわってきた小山高専の河東義之名誉教授から基調講演をいただいた。明治以降、どのように市内の大通りを中心としたまち並みが変貌してきたのか写真や地図で解説。特に戦前・戦後すぐの活気ある様子から、昭和30年代を経て中心市街地がさびれていく中、他地域に先駆けてアーケードと外壁などを取り外していき、見世蔵などの伝統的な家並みを取り戻していく様子には感動を覚えた。しかし、伝建地区に指定された嘉右衛門町がある北部に比べ、南部は伝統的建造物が点在している状態でまとまりのある街並みとは言い難い。高齢化、建物の維持、中心市街地の空洞化、防災と課題のある中で、こうしたまち並みをどう位置づけ価値を見出し、維持・発展させていくのかが改めて問われた。
 次に、法政大学大学院の黒田英一客員教授と、ネットワークとちぎの佐山正樹さんからそれぞれ、現在の栃木市の置かれている状況や、地域活性化の取組み状況について報告があった。また、元文化庁文化財監査官として伝統的建造物群保存地区制度の運用に関わってきた小山高専の苅谷勇雅校長からは、制度の内容・意義などについて歴史的経緯を踏まえて解説があった。
 その後、関東都市学会会長の井上繁常磐大学教授らコメンテーターを交えて引き続いてディスカッションが行われたが、伝建地区の指定についての、地区全域にわたって美しい景観を保持していなければならないとの考え方に固執せず、伝統的建造物が点在しているような地域でも指定し支援していくべきではないか?という意見にハッとした。伝統は重要であることは疑いないが、くらしや人々の嗜好は日々変化している。柔軟性をもってこそ、本当の意味で伝統の維持が可能なのではないか?お世辞にも地域全体の顔が整っているとは言い難い市内南部とその運河沿いに観光客が来ることからも、人々を惹きつける伝統ある街並みにはバリエーションがあっていいのではないか…?ここに、住まい方との調和による、地域の持続性の可能性のヒントがあると思われた。なお、本プロジェクトに関わっている川副早央里いわき明星大学客員研究員(早稲田大学大学院)の「高校生たちのまちの将来構想は、どのように今後の活性化に生かし得るのか?」というコメント対する応答が関係者からなかったことは大変残念であった。


2013年度秋季大会・エクスカーションの様子

2013年度大会・シンポジウムの様子

【研究例会を開催しました】

■ 日時:2013年9月21日(土) 15:00〜17:30

■ 場所:東洋大学 白山キャンパス 8号館3階 8301教室

■ 内容
報告1 東莞市における電子産業の現状と発展可能性について
李 南君(高崎経済大学大学院地域政策研究科 博士後期課程)

報告2 自然資源を活かしたエコツーリズム〜榛名山周辺地域を事例として〜
バヤンサン プルフドルゴル(高崎経済大学大学院地域政策研究科 博士後期課程)

報告3 ジャカルタの巨大都市化とカンポンの変容
細淵 倫子(首都大学東京大学院人文科学研究科 博士後期課程)

■ 例会印象記
関東都市学会研究例会 印象記
杉平敦(東京大学大学院)

 白山神社の祭礼で賑わう秋晴れの2013年9月21日(土)、東洋大学にて秋季研究例会が開催された。報告は3件で、顔ぶれやテーマから非常に国際色の強いものとなった。
 まず、李南君会員による報告「東莞市における電子産業の現状と発展可能性について」が行われた。この研究はリーマン・ショック以降の華南・華東での企業の大量倒産を受けて、広東省・東莞市における電子産業(電子部品工業等)の現状と発展可能性を分析するものであった。分析は定量分析とアンケート調査とヒアリング調査の3種類を用い、それらを総合しながら、@東莞市の電子産業にはまだ発展の余地があり、Aそのためには現地企業の自己努力を前提としたイノベーションが必要で、B現地企業と外資企業の連携強化や地方政府の中小企業支援策の簡易化が課題である、と結論付けられた。
 会場からは、企業の規模や種類、研究開発部門の有無、従業員の属性などに関する質問があった。また、アンケートの回答数が少ないことについて、関係機関の協力を仰ぎつつ再び実施すべきことや、企業戦略の分析に関して、企業の規模や設立目的を踏まえつつ分析すべきことなど、今後の研究に有益な意見も数多く出された。熱意を持って多様な分析を試みただけに修正も困難ではあるが、それを乗り越えた後の成果は非常に期待される。
 次に、バヤンサン・プルフドルゴル会員から「自然資源を活かしたエコツーリズム 榛名地域を事例として」という報告があった。環境保全を観光・地域振興に結び付ける「エコツーリズム」の紹介に続いて、高崎市の観光についての問題点として、榛名地域(榛名湖周辺)における高山植物の衰退が取り上げられた。この問題はこれまで、観光客誘致を優先した環境づくりが原因と捉えられてきたが、この報告では高山植物の現地での生育状況や理想的な生育条件の詳細な検討を通じ、逆に人間による環境整備(ササ刈り等)が適切に為されなくなったことが原因とされた。そして、これら稀少な自然資源を活用しつつ保全していく方法としてエコツーリズムが重要という結論に至った。
 会場からは、エコツーリズムを通じて目指される自然と人間との共存のあり方や、人間の環境管理を復活していく手順について質問があった。他に、より多くの先行研究に当たるべきことや、自然を保全していく人間の努力をも地域資源と見做すべきことが意見として伝えられ、地域の自然・人的資源を保護・育成していく方法の幅広い考察が待たれる。
 最後は、細渕倫子会員の「ジャカルタの巨大都市化とカンポン社会の変容」であった。「カンポン」とは、巨大都市ジャカルタの中にあって開発から取り残された都市空間を指し、ジャカルタの住民の6割を擁するとされている。報告では、この地域の歴史を紐解きながら、カンポンの形成が巨大都市化と密接な関係を有していることが明らかにされた。その過程で、カンポンは必ずしも「未開」「貧困」「不潔」と結び付くものでもなく、形成過程も構成集団も一様に見ることはできず、「カンポン」の定義さえ人々の意識によって揺れ動くことが判明した。今後はカンポンの類型化を通じて各々の動態・政策・意識などを細かく見ていくと共に、ジャカルタ全体の社会構造とも関連付けることが課題とされた。
 会場からの質問では、「カンポン」の概念の複数性や定義の多様性、先行研究における取り上げられ方、さらには社会構造や生活行動との関連などが問われ、高い関心を惹き付けたことが伺われた。行政側のデータには表れにくい住民の実感に即した「カンポン」を、今後どのように定義していくかは、非常に興味深い。


【2013年度 春季大会を開催しました】

■ 日程・場所
日 時: 2013年5月25日(土) 12:30〜18:00
場 所: 首都大学東京 南大沢キャンパス 1号館 107教室

■ 自由報告(12:30〜13:50)
「都市におけるオープンデータ推進の課題と可能性」
早田吉伸・前野隆司・保井俊之(慶應義塾大学)

「欲求連鎖分析と即興劇を用いた地域の居場所のデザイン手法の研究」
坂倉杏介・白坂成功・保井俊之・前野隆司・飯盛義徳(慶應義塾大学)

「震災対策と行財政改革」
金子光(明海大学)

■シンポジウム(14:00〜16:50)

テーマ「防災まちづくりの成果と課題
              −「防災」「まちづくり」の変遷と地域社会の変化」
【企画趣旨】
 東日本大震災の発災から2年が経ち、今なお復興には困難がつきまとっている。その支援もままならぬなか、今後起こりうる首都圏直下型地震への対策も急がれている。このような時期に「防災まちづくり」を考えることには、どのような意味があるだろうか。
 まずは「防災」と「まちづくり」が、1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災を経て、独特の結びつきを見せるようになってきた状況を踏まえなければなるまい。もちろん、数多くの震災や戦災を経てきた日本の諸都市では、「防災」が常に都市計画の念頭に置かれてきた。その中で、建物の大型化・不燃化による街区の集約、大型商業・文化施設による地区の活性化(街並みの「刷新」、地域社会の「創出」)が主流を占める現状は、ある意味で原点回帰と見られるかもしれない。
 これに対し、1980年代から90年代半ばに注目された住民参加型まちづくりの幾つかは、そうした事例とは違った独自の形で「防災」を目指してきたものである(街並みの「修復」、地域社会の「維持」)。今回のシンポジウムでは、震災以前から取り組まれてきた「防災まちづくり」の成果と課題を踏まえつつ、その新しい可能性にも着目したい。それらのまちづくりが何を目指してきたのか。今次の被災にはどのように応え、今後の防災にどのような示唆を与えるのか。あるいは逆に今回の被災を経て、それらの「防災まちづくり」の目的や手法が変化することはあったのか。具体的な事例を見ながら改めて検討したい。
 はじめに、墨田区耐震補強推進協議会の岡本博氏から、密集市街地整備と地域社会の創出・維持の関連についてご説明いただく。様々な交渉の中から理想の地域社会・防災体制のあり方が導出されていく過程について、お話しいただく。
 次に、墨田区・京島地区にて住民の生活に深くかかわる形で地域調査とまちづくりに携わられた藤女子大学の三宅理一氏からお話しを伺う。住民参加による修復型まちづくりの先進事例について、なぜそのようなまちづくりが選ばれたのか、なぜそれが可能であったのか、また、この地域のまちづくりが現実の震災に際して十全に対処しえたのか、あるいは何らかの課題を残したのか、阪神・淡路大震災や東日本大震災を受けてまちづくりが目指すものやまちづくりに求められるものはどのように変わってきたのか、といったことをご教授いただく。
 最後に、これまで多くのまちづくりに参与され、地域社会の存続・活性化や景観保全の観点から積極的に見解を発してこられた早稲田大学の川西崇行氏にご発言いただく。ともすれば相反するものとしても捉えられがちな「防災」と「地域社会・景観」との対立・協調の事例、その歴史的経緯、制度的変化などを、墨田区の事例に限らず幅広くご紹介いただく。その上で、街並みの修復と地域社会の維持を主眼としたまちづくりが、防災という観点から見た場合いかなる問題を孕み、いかなる可能性を有するかを、理論的な側面からご説明いただく。
 コメンテーターとしては、「防災まちづくり」の調査・事例収集に数多く当たられてきた専修大学の大矢根淳氏、各地の「まちづくり」に関与され再開発区域での住民の聞き取り調査なども実施された弘前大学の平井太郎氏にご登壇いただく。「防災」と「まちづくり」を多面的に再考する議論を展開していただけることと期待される。
(文:研究活動委員 杉平敦)

【解題】  杉平 敦  (東京大学大学院)
【報告者】 岡本 博  (墨田区耐震補強推進協議会)
       三宅 理一 (藤女子大学)
       川西 崇行 (早稲田大学)
【コメンテーター】
       大矢根 淳 (専修大学)
       平井 太郎 (弘前大学)

■総会 ・理事選挙 17:00〜18:00
■懇親会   18:15〜20:00

■ 大会印象記
2013年度春季大会自由報告・シンポジウム印象記
須藤 直子(早稲田大学大学院 博士後期課程)

 2013年5月25日(土)、首都大学東京南大沢キャンパスにおいて、関東都市学会春季大会が開催された。前半に3本の自由報告と、後半に「防災まちづくりの成果と課題−『防災』『まちづくり』の変遷と地域社会の変化」と題したシンポジウムが行われた。自由報告およびシンポジウムについて、それぞれ所感を述べたい。

〈自由報告〉
 第一報告は、早田吉伸氏・前野隆司氏・保井俊之氏(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科)による「都市におけるオープンデータ推進の課題と可能性」である。米国や英国においては、2009年頃から「オープンデータ」を活用して公共の課題を官民の恊働で解決する「オープンガバメント」の実現を目指す取り組みが始まったが、日本においては東日本大震災を契機にようやく検討が始まり、現段階ではまだシステム整備に着手したばかりであることが紹介された。フロアからは中央政府・地方政府・NPOや市民といった「各部署の役割分担の不明確さ」が指摘され、早田氏は今後日本で運営を強化していくにあたって、官民連携の仕組みを構築していくことの重要性を強調した。政府主導の一方向的な課題解決ではなく、市民側からの直接的な課題へのアクセスを可能にするオープンデータの有効性が明示された、興味深い報告であった。
 第二報告は、坂倉杏介氏・保井俊之氏・白坂成功氏・前野隆司氏(慶應義塾大学)による「欲求連鎖分析と即興劇を用いたまちの居場所のデザイン手法の研究」である。近年、日本各地で増加しているとされる地域住民の交流拠点である「まちの居場所」について、「芝の家」を事例としながら運営の仕方のデザイン手法が検討された。来場者の利用には段階的変化があることを踏まえながら、その来場者の行動段階の変化にあわせて、スタッフの役割を変化させることの重要性が指摘された。具体的には、来場者の利用目的を「欲求連鎖分析」から把握し、来場者の利用の仕方を「即興劇の実演」によって体得するというものである。財政面から「居場所」の閉鎖を余儀なくされるケースも多い中、運営を継続していくための一つの実践的な可能性を示した貴重な報告であった。
 第三報告は、金子光氏(明海大学)による「震災対策と行財政改革」である。東日本大震災をめぐって展開された、過去2年間の学術的議論を文系・理系にわたって整理し、1960年代以降に議論された行政改革における一連の震災対策に、東日本大震災はどのように位置づけられうるかが検討された。1960年代より、震災対策に関連して総合調整が絶えず議論されてきたことを指摘した上で、時代とともに震災対策は変化しており、東日本大震災以降は特に財源問題が中心になっていることが報告された。しかし、論者によっては「地域」をひとくくりに見る傾向が強いことから、金子氏は自治体ごとの被害状況や地域構造の違いを見極め、それに合わせた財源措置を的確に行うことが必要であると強調した。骨の折れる膨大な議論の整理から導かれた論点は、説得力のあるものであり、金子氏による具体的な行財政改革への提言が今後期待されるところである。

〈シンポジウム〉
 「防災まちづくりの成果と課題−『防災』『まちづくり』の変遷と地域社会の変化」と題したシンポジウムでは、岡本博氏(墨田区耐震補強推進協議会)、三宅理一氏(藤女子大学)、川西崇行氏(早稲田大学)が登壇し、それぞれ木造密集市街地の耐震補強や空き家をめぐる課題と、都市防災の今後のあり方について提起がなされた。
 岡本氏は、観光都市を目指す墨田区において「都市防災のアキレス腱」である木造密集地域が、「都市の限界集落的様相」を呈していると指摘し、岡本氏が関わっておられる耐震補強の取り組みとその困難性を紹介した。その中で、岡本氏の原体験とも言える「慰霊祭と縁日の併存」のような「恵みと災い」を同時に見せる空間が、防災への意識を高める一つの方法として有効ではないか、と提起した。また、三宅氏は、2001年から2005年まで行われた墨田区京島における「アーティスト・イン・空き家」を取り上げ、木造密集地域における「作品展示」としての空き家の活用方法を紹介した。下町に派遣された海外のアーティストの哲学的および芸術的作品は、生活者である地元住民からは理解されにくい側面があったものの、街の潜在資源を見出し、活用していくことの重要性を強調した。さらに、川西氏は、建物の耐震に関して「危ないから壊せ」といった論理から、これまでの都市計画や防災計画が大規模開発を押し進めてきたことを指摘した上で、過度な建て替えの煽りは、住み手の不安喚起に拍車をかけるものであると警鐘を鳴らした。また、今後の都市防災を考える上で、直近の被害形態のみを見るのではなく、100年先を見据えることを可能にする都市災害史あるいは都市復興史が必要であると提案した。
 以上の三報告に対して、コメンテーターの大矢根淳氏(専修大学)は、「防災とは、誰が、どういう災いを防ぐのか」をめぐる問題であり、「被害を想定すること」と、「実被害をどう防ぐことができたのか」という二つの水準を考える必要性を指摘した。また、平井太郎氏(弘前大学)は、「防災とは、誰のための、誰による、誰に関連したものなのか」と問い、それらを明確にさせることが重要であると指摘した。大矢根・平井両氏によるこれらの提起は、防災をめぐる「主体」(誰が/誰による)をいかに捉えるかという議論であろう。この提起に対して、岡本氏は自分(わたし)が暮らすまちの町会や自治会を媒介として、防災へコミットすることの重要性を指摘し、三宅氏は「主体」を考える上で「私」は誰なのかを問うことが、防災やまちづくりにおける目的を設定することと不可分であると応答した。また、川西氏は、古いコミュニティが必ずしも防災に寄与するとは限らないことを指摘しながら、「公的」や「公共」の再考が、防災をめぐる「主体」を逆照射することにつながる可能性を指摘した。

 以上、報告者およびコメンテーターによって展開された「防災をめぐる主体」という論点は、これまで行政が主導した都市計画や防災対策の指針と、各地域(ローカル)における生活の論理との間に生じた溝あるいはズレをいかに克服するか、という課題へと接続されるものである。確かに、都市防災、特に首都圏をめぐる防災あるいは減災については、取り組むべき課題が尽きないことを改めて痛感する。しかし、それらの課題の解決の糸口は、ともすれば、前半の3本の自由報告が示唆した、行政と地域住民をつなぐ実践のあり方、また個々の地域に見合った震災対策や財政措置を模索する可能性に見出すことができるかもしれない。本大会の自由報告およびシンポジウムを拝聴して、個々の事例において積み上げられた議論を、全体論へと敷衍していくこと、またその一方で、全体論と個々の事例との往復運動を繰り返すことの重要性を改めて自覚することができた。


【2013年3月研究例会を開催しました】

■ 開催日時 2013年3月17日(日) 15:00〜17:30
■ 開催場所 公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所 5階第1会議室
■ 報告
(1) ソーシャル・キャピタルの測定とその課題
   ―世田谷区「住民力」調査を事例に
小山 弘美(せたがや自治政策研究所 特別研究員・首都大学東京大学院 博士課程)

(2) 災害復興地域における交通ネットワーク整備の現状と課題
   ―島原半島を事例として
宝田 惇史 (東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士課程)

(3) 多摩ニュータウンの中心と周縁―新文化都市開発の都市政治
林 浩一郎 (東洋大学 非常勤講師)

■ 印象記
関東都市学会研究例会 印象記
川副 早央理(早稲田大学大学院)

 2013年3月17日、東京都市研究所で2012年度第2回研究例会が行われた。今回は若手研究会で活躍されている3名からご報告いただいた。以下、各報告の概要と討論の一部をレポートする。
 第一報告は小山弘美氏による「ソーシャル・キャピタルの測定とその課題―世田谷区「住民力」調査を事例に―」である。調査結果からは地区センターの管轄範囲を単位とする地域の集合的ソーシャルキャピタルに地域差があることが報告された。地域の共同性をさらに詳細に分析すべく行った聞き取り調査の結果からは、住民力が高い地域ではPTAを中心に新しい住民層を獲得し、地域内でゆるやかなつながりが維持されている一方で、住民力が低い地域においても地域活動が盛んに行われており、活動の広がりや過去から活動の継承がみられ地域内では一定の効果が確認されたという。このことから地域や住民にとって重要な個別具体的な活動の効果は、個人を対象とした計量調査では測定ができず、活動の外部性を鑑みれば地域や個人への影響は大きいこと、現在を切り取って調査するだけでは不十分であることが示され、地域の集合財としてのコミュニティパフォーマンスを測る指標を新たに模索する必要性が論じられた。会場からは、調査対象を区民全員ではなく主体的住民である「市民」とすべきではないか、地域レベルを行政区分に設定することは妥当かなど、マクロレベルの効果を捉えるための指標と対象設定の課題と可能性に議論が集まった。地域の集合的な共同性を数値化して評価する試みは興味深く、変数や対象者、調査方法を含めさまざまな可能性が考えられ、今後の研究の展開に期待が高まる。
 続く第二報告は、宝田惇史氏の「災害復興地域における交通ネットワーク整備の現状と課題―島原半島を事例として―」であった。1990年に雲仙・普賢岳噴火災害を経験した島原半島の交通の復旧復興過程において、「島原鉄道の高架方式線路」の災害復旧工事が関係者の熱意と支援によって実現したにもかかわらず、復旧完了から約10年後に島原鉄道南線が廃止され、長崎県を中心に策定された「島原地域再生行動計画」で位置づけられた眉山トンネル(島原道路)が建設されるという二つの大きな展開があった。鉄道廃止が赤字を理由に正当化され、代替バスの持続可能性が懸念される状況となり、地域経済が衰退したという住民意識が広まった結果、道路建設を一層強く求める声につながり、この二つの事業の連鎖構造が作られていった。しかし、実際は鉄道(および代替バス)の公共交通利用者と島原道路利用者の大部分は重ならず、この状況は地域社会内でも生活形態や居住位置によって受苦と受益の格差が存在するとする「格差自存型ジレンマ」(船橋1998)の構図であると指摘された。会場からは、地元負担率などの制度や整備事業内容に関する質問があり、全体的な都市構造の基盤と整備事業がいかにリンクしているかをいう点が必要ではないかという提案も出された。交通に軸をおきながら災害の影響と長期的な地域社会の変動を描いた貴重な報告であった。
 第三報告は、林浩一郎氏の「多摩ニュータウン開発の中心と周縁―新文化都市開発の都市政治―」では、多摩ニュータウン開発を誘致した大地主と多摩市最後の地付き市長のライフヒストリーを通じて、ニュータウンの中心にそびえる複合文化施設パルテノン多摩が建設された経緯に関する都市政治を考察された。パルテノン多摩は、多摩市の革新化を恐れた住宅・都市整備公団と、国・都からの補助金を得て集合的消費手段を整備したい最後の地付き市長との協調・共依存によって生み出された。短期的に見れば、この「保守再連合型・企業誘致=民活レジーム」は双方にとってメリットがあったが、結果的にはニュータウンの大商業核は住宅公団関連会社に譲渡され、離農した生活再建者は周縁部の小商業核に誘導されて廃業へ追い込まれていった。最初の地付き市長の思いとは逆らうかたちで地付き層が土地も地元政治も地元産業も失っていったニュータウン開発の一側面を描いた報告であった。地付き層小作や新住民などの移動や職業の変遷、意識に関する質問が出され、多摩ニュータウン開発をめぐる地域社会全体における地主や地付き層の位置づけへの関心が集まった。丹念な調査に基づき、個人のミクロな動向とマクロな政治状況との関連で地域構造の変容を描き出したディープな報告であった。
 3報告とも継続的な地域調査に基づいた研究成果を発表され、大変濃密で興味深い報告であった。尽きない議論は研究会後の懇親会でも引き続き行われた。


【関東都市学会 秋季大会を開催しました】

■ 開催地: 千葉県浦安市
■ 主催 : 関東都市学会   
■ 日程:平成24年12月15日(土)

■ エクスカーション
11:00 エクスカーション
 シンポジウムでとりあげる、浦安地区の震災被害の現状を視察しました。

■ 大会
 13:30〜16:30 会場:明海大学 講義棟2502教室(5階)

□ シンポジウム 「都市型災害の現状と課題―浦安市の経験から」
○ 趣旨
 東日本大震災は、大都市部でも大きな被害があったものの、主として地方中小都市や漁村農村などに被害を及ぼした災害としてとらえられている。そうした中で千葉県浦安市は、大規模な液状化に見舞われ、大都市型の震災被害の顕著な例を示している。関東都市学会では2012年春季大会で「東京における『事前復興』の歴史と現在―東日本大震災を踏まえて」をテーマに大都市における災害を扱ったが、このテーマをさらに追求するため、浦安市を取り上げて被災地の現状を見、関係する専門家の方々から話を伺い議論を深めることとした。
 発災から1年9か月が経過し、浦安市は元の整然とした街並みを取り戻しつつある。しかし市内のいたるところで復旧工事は継続し、足を止めて観察すると道路の端に盛り上がりが残っている。エクスカーションでは、液状化被害の大きかった地区の一つである今川、境川の護岸復旧工事の様子、高洲中央公園などの現状を見学する。午後のシンポジウムでは震災発生時に明海大学不動産学部長として対応に当たられた林教授、復興計画策定を担当した浦安市市長公室政策企画課の醍醐室長、防災計画の立案や実施を行う防災都市計画研究所の吉川所長に発言をいただく。さらに地震を浦安のキャンパスで経験した金子先生に、地震発生時の様子や液状化を実際に目撃された経験についてお話しいただく予定である。
 今大会は例年の運営とは異なり、一般公開とせず参加者を会員およびその知り合いの研究者や学生に限定して掘り下げた議論ができるようにということを目指している。当初、ワークショップ形式で議論できないかと考えたことから出発している。
 今大会開催に当たり、会場の提供のほかさまざまな点で明海大学の金子光准教授に相談にのっていただいた。企画の最終的責任は熊田にあるが、実質的に金子准教授と熊田と共同でコーディネートしたものである。

○ プログラム
13:30 受付開始
14:00 開会の辞(井上繁関東都市学会会長)
14:10 パネルディスカッション
報告者
 林亜夫 (明海大学)
 醍醐恵二 (浦安市市長公室企画政策課)
 吉川忠寛 (防災都市計画研究所)       
コーディネーター・司会
 熊田俊郎(駿河台大学)

■懇親会
17:00〜19:00 ニューマリンズ(明海大学浦安キャンパス内)

■ 大会印象記
野坂 真(早稲田大学大学院 博士後期課程)

 12月15日(土)、関東都市学会2012年度秋季大会が千葉県浦安市で開催された。生憎、朝から冷たい雨が降る中での開催となったが、今大会を通じ、東日本大震災が持つ都市型災害の様相を考える上で非常に重要な知見を得られた。以下、その概要と感想を述べる。

<エクスカーション 午前の部>
 11時に新浦安駅改札前に集合し、資料が配布され、企画者の熊田俊郎氏(駿河台大学)より簡単な説明会が行われた。コースは、新浦安駅⇒境川⇒今川地区⇒高洲地区⇒高洲中央公園というコースである。道路の被害はそこまで大きくはないものの(被害レベル大中小の中)、液状化被害の大きな地域である。
境川では、護岸歩道の復旧工事が行われている様子が目に飛び込んできた。歩道の路面が完全に崩壊しており、また橋へと登る階段は仮設のものであり、地震被害の大きさがうかがわれた。今川地区には高級住宅と中層マンションが立ち並び、落ち着いた町の雰囲気が醸し出されていた。しかし、歩道と住宅の境をよく見ると、住宅が5〜10cmほど浮き上がっている。住民は浮き上がった箇所にグレーチングなどを台代わりに置いたりアスファルトで舗装することで、補修しているようだった。金子光氏(明海大学)の説明によると、3.11当時は地下から湧き出た泥水がスネのあたりまで達し、歩行が困難な状態だったという。液状化被害の様子をよく物語る貴重な説明であった。
 高洲地区の被害は深刻だった。1m以上突き出したマンホール、20cmも浮き上がった住宅など、当時の様子が生々しく残っていた。しかも、高洲地区は超高層マンションが立ち並ぶエリアであり、非常に多くの人々がこの地区にとり残されたことが予想される。地震発生後の避難生活が大変過酷なものであることが、歩くだけでうかがわれた。最後に、高洲中央公園に向かった。高洲中央公園には、液状化によって地中から大きく飛び出したマンホールが今も残っている。住民と行政の間で、モニュメントとして残すかどうかが争われている、まさに浦安にとっての東日本大震災を象徴する場所であった。12時30分、エクスカーションはここで解散となった。

<シンポジウム 午後の部>
 14時からは、エクスカーションで見聞きした浦安市における被害と復旧の実態も踏まえつつ、明海大学においてシンポジウムが開催された。シンポジウムでは、「都市型災害の現状と課題―浦安市の経験から」と題し、現地で震災後の様々な課題を経験し対応してきた林亜夫氏(明海大学不動産学部)、醍醐恵二氏(浦安市市長公室企画政策課)、および首都圏の防災に関して長らく研究・実践してきた吉川忠寛氏(防災都市計画研究所)を報告者に迎え、非常に濃密な議論が行われた。
 林氏からは、「東日本大震災―明海大学・浦安市の被災と対応」と題し、3.11当日の大学付近の様子を撮影した映像も示しつつ、明海大学や浦安市が今回の震災でどのような被害を受け、その後対応していったか、また今後の浦安市における復興を考える上で重要となる観点が報告された。被害・対応については、液状化による建造物の損壊程度の認定や土地の境界確定、下水道管の復旧の遅れ、および学生(留学生含め)の賃貸住宅への支援制度に関する課題が生じ、対応していったことが述べられた。こうした被災・対応を受け、毀損した不動産価値の回復は難しく、浦安市がこれまで通りの優良住宅のベッドタウンとしての発展は難しいことが指摘された。その上で、シニアコミュニティ(Continuing Care Retirement Community)、環境共生型新産業の育成で雇用を生み出す町、エネルギー問題に配慮した移動手段を備えた町、など新たな要素からまちの魅力を創出していく必要性が提言された。
 醍醐氏からは、「東日本大震災でのGISの活用と今後の課題」と題して、土地利用の変遷や震災直前の浦安市の実態も踏まえつつ、GISのデータを基に浦安市の被害概要や今後の復興課題について報告された。被害概要については、GISのデータから、浦安市内各地区における、震災前後での標高の変化の分布、PL値(液状化指数)の分布、人口移動の分布などを示すことで、浦安市における被害実態が視覚的に説明された。GISのデータからは分かりやすく被害実態を捉えることができる反面、個人情報保護の壁により基になるデータ(固定資産税など)が行政職員でさえ入手しにくいことが課題であることも指摘された。復興については、人口・経済状況について右肩上がりの状態が長く続いてきた浦安市が、震災後に人口減を始めて経験したことから、復興に向け綿密な調査や検討が必要であることが指摘された一方、右肩上がりしか経験していない役所の職員しかいないことから様々な課題も生じてくるのではないかという危惧も示された。
 吉川氏からは、「東日本大震災と首都直下地震の『想定外』」と題して、東日本大震災の津波被災地域での事例から、「想定外」というキーワードを基に首都直下地震における防災で重要となる観点が報告された。防潮堤などハードの防災施設や過去の浸水範囲の経験など「想定外」を想定しない想定によって大きな被害が生じた東日本大震災の津波被災地域における事例から、地域の中で十分に議論した結果を基に、現在の予防対策や応急対策では対応不可能な部分もあることを明示することが重要であると指摘された。つまり、「想定外」を想定し、対応可能な部分と対応不可能な部分の線引きを明確にすることで、現在住んでいる地域が持つリスクを覚悟し災害時に的確に判断できる防災意識の重要性が論じられたのである。こうした知見から、首都直下地震でも、被害想定の前提条件情報の開示や、特定の地域において連鎖していく被害のシナリオを時系列で描き具体的にイメージすることが重要であるという知見が示された。

 今回、東日本大震災後に初めて浦安市を視察したが、その被害の大きさ、長期性、広域さに驚愕した。震災から1年半以上経った現在においても、路上のマンホールすらそのままになっている。また、住宅は簡易に補修した程度である。また、今川地区は海から1.5kmほど内陸に位置しており、かなり海から離れているという印象を筆者も持った。しかし、実際は深刻な液状化被害が発生したのである。そして、午後のシンポジウムでは、高級住宅地としての機能に限界を迎えていた浦安市が、今後どのような方向性で復興を議論していくのかが非常に難しいことも示された。東北地方が被災地として焦点化される中で盲点となってしまっている首都圏における東日本大震災後の課題や教訓の一端を見ることのできる非常に有意義な機会であり、今後の首都直下地震における防災を考える上で大変重要な経験であったと考えている。


【関東都市学会 研究例会を開催しました】
■ 開催日時:2012年9月29日(土) 15:00〜17:30
■ 開催場所:駿河台大学法科大学院 701教室 
■ 研究報告
報告1 「地方自治からこの国を考える」
小林修(まち・集落研究室)
報告2 「公共牧場のあり方に関する考察」
スミヤ ゲレルサイハン(高崎経済大学大学院 地域政策研究科 博士後期課程)
報告3 「都市寺院と地域との共生についての研究―都市寺院の緑地空間について―」
北川順也(法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程)

■ 例会の様子
関東都市学会研究例会 印象記
杉平敦(東京大学大学院)

 関東都市学会研究例会は、9月29日(土)、本郷・小石川近辺を見下ろす駿河台大学法科大学院で行われた。この時期にしては珍しく晴天に恵まれ、駿河台の丘の上は、素晴らしい眺望と秋風とを堪能できる好日であった。
 まず小林修氏から「地方自治からこの国を変える」という報告があった。小林氏は「松本市議会ステップアップ市民会議」での経験から、市民の市町村議会への無関心や、議会の村社会化といった問題点を見出した。これを解決するため、間接民主主義と職業議員を廃し、市民が日常生活の感覚で参加できる議会を市民の側から立ち上げる必要がある、という力強い主張が為された。非常に大胆な改革案であるため、会場からは制度作りの困難についての具体的な質問もあった。これについては、各市町村独自の工夫や、市町村議会を通じて国を変えていく必要性が説かれた。また、現在の議員の努力で政策形成能力のある議会を作っていくべきとの提案に対しては、現制度下の議会にその能力は無く、根本的な制度改革が必要という、決意に満ちた答えが得られた。
 続いてスミヤ・ゲレルサイハン氏が「公共牧場のあり方に関する考察」という報告を行った。公共牧場というのは、地方公共団体などが設立・運営し、他の牧場から家畜の預託を受けて育成や人工授精を行う施設のようだ。スミヤ氏は、北海道を中心とする93の公共牧場にアンケート調査を行い、そこから得られたデータを詳細に分析された。その結果は、民間による運営が望ましく、事業内容は少なくも多くもないのが理想的というものであった。公共牧場についての知識が共有されていないこともあり、会場からは説明の補足を求める質問が目立った。用語の解釈やデータの読み取りに多くの疑問が残されるものの、視点と問題意識は明確であり、今後の分析の発展と議論の精緻化が期待される。
 最後の報告は北川順也氏の「都市寺院と地域の共生についての研究」であった。北川氏は、これまで地域コミュニティの中心として親しまれてきた寺院が今日の人々のニーズに応えられているかを問題とし、都市寺院の歴史的・文化的ストックとしての側面、とりわけ、都市に残された貴重な緑地としての一面に着目する。その上で、東京都23区内の2つの寺町を実地調査し、地域の地勢・文化・歴史などが緑地保全への意識の違いをもたらしている現状を描写する。結論として、寺院は多くの人々に安らぎを与えられる緑地空間を地域へ開放していくべきと述べられ、檀家制度からの脱却や地域への啓蒙活動・環境教育の必要性が論じられた。寺院そのものの生き残りの厳しさや、各地の自治体の取り組み・条例などとの関連についての質問に対しては、寺院それぞれの能力に応じて、都市全体としての緑地帯の形成に参加していくべきとの見解であった。
 以上、多岐に渡る3本の報告と様々な視点からのコメントによる、学際学会らしく有意義な例会となった。今後はこれら諸研究の知見を生かしつつ学際研究の総合的な発展を達成していく方策を、学会全体の課題として考えて参りたい。


【関東都市学会 春季大会を開催しました】

日 時: 2012年5月26日(土) 12:30〜17:40
共 催: 日本都市学会
場 所: 東京農業大学世田谷キャンパス 1号館1階 112教室

■自由報告    12:30〜14:20
スミヤ ゲレルサイハン(高崎経済大学大学院)
「モンゴルの酪農業の現状―ウランバートル近郊の酪農家を事例として―」
野坂 真(早稲田大学大学院)
「地域産業から見る過疎地域における災害復興―能登半島地震から東日本大震災へ―」
曽我 浩  (大和市役所)
「被災宅地危険度判定業務について―盛り土情報の提供について(試案)―」
早田吉伸・保井俊之・白坂成功・前野隆司(慶應義塾大学)
 「都市行政における創発的協働プラットフォームの有効性:マルチステークホルダーによる政策創造システムの事例による数量的検証」
※会員による東日本大震災関連の調査研究や支援活動の紹介資料の配布コーナーを、会場に設置いたします。自由報告の最後にも、ご紹介する予定です。

■シンポジウム  14:30〜17:00 (シンポジスト名は登壇順、詳細は2ページ参照)
東京における「事前復興」の歴史と現在―東日本大震災を踏まえて―
【司会・解題】 大矢根 淳 (専修大学)
【報告者】 吉井 博明 (東京経済大学)
中林 一樹 (明治大学)
齋藤 実  (前東京都総務局総合防災部)
【コメンテーター】 吉川 忠寛 (防災都市計画研究所)
浦野 正樹 (早稲田大学)

■総会 17:20〜17:40
■懇親会 18:00〜20:00 東京農業大学(世田谷)17号館1階「カフェテリアグリーン」

【関東都市学会春季大会研究発表・シンポジウム(2012.5.26)の記録】

関東都市学会 春季大会印象記 (自由報告編)
鈴木 地平(高崎経済大学院)

 2012年5月26日(土)、東京農業大学世田谷キャンパスにおいて、関東都市学会春季大会が開催された。自由報告では4本の濃密な発表が行われ、それぞれ活発な議論が持たれた。
 スミヤ・ゲレルサイハン氏(高崎経済大学大学院)による「モンゴルの酪農業の現状 ―ウランバートル近郊の酪農家を事例として―」では、生乳生産及び乳製品加工業の現況・課題について社会主義時代と市場経済に移行した現在とを比較しつつ、5つの聞き取り調査事例を用いて、国・自治体の支援に基づく経営の効率化の必要性が述べられた。社会主義から市場経済への経済体制転換に伴う供給側の変容がよく理解でき、社会主義時代の長所(国・市の経営支援)と私的経営の長所(経営の効率化)をミックスした生産量拡大のための政策提言は、充分首肯できるものであった。
 野坂真氏(早稲田大学大学院)による「地域産業から見る過疎地域における災害復興ー能登半島地震から東日本大震災へー」では、東日本大震災で被災した岩手県大槌町の復興に向けて、2007年の能登半島地震で被災し、大槌町と人口規模・高齢者比率が近似した石川県輪島市における復興を事例に、直接的な震災被害だけでなく地域産業に与える影響の観点から2次被害・3次被害の危険性が指摘された。本格的な復旧・復興期をむかえる今日においてタイムリーな研究であり、ハード面が先行しがちな震災復興関連事業の中で、特に住民の生きがい・地域の魅力発信というソフト面も並行して進める必要性を訴えている意味で、示唆に富む報告であった。「仏作って魂入れず」では、野坂氏の言う復興の「+β」ではない、という強いメッセージが感じられた。
 曽我浩氏(大和市役所)による「被災宅地危険度判定業務についてー盛り土情報の提供について(試案)ー」では、東日本大震災復興支援の一環で発表者が昨年4月に行った被災宅地危険度判定業務の概要が報告された。また、「危険宅地」と判定された被災宅地が盛り土による造成地であったことから、「開発登録簿」等による盛り土・切り土造成に関する情報公開の必要性が訴えられた。都市計画法及び土砂災害防止法の「スキ間」となっている盛り土情報について、公開の必要性とそれに向けての課題とが整理された意欲的な報告であり、宅地のみならず、土圧が常時かかる道路やあまり荷重のかからない農地など、盛り土造成後の土地利用に応じた場合分けによる危険度判定を行うなど、実務的なガイドライン作成への発展性が感じられた。
 早田吉伸氏・保井俊之氏・白坂成功氏・前野隆司氏(慶應義塾大学)による「マルチステークホールダーによる協働型政策形成モデルのデザイン:都市行政における共同事例分析に基づくモデル化と有効性検証」では、システム工学を援用した政策決定手法と「フューチャーセンター」の概念を導入した政策形成のモデルが提案された。従来の政策形成プロセスでは、市民が政策策定に参加できるのは、政策決定前のパブリックコメントなど、ややもすると「遅い」段階に限られがちであったが、課題設定や政策立案など「アップストリーム」での市民参加が見られる現在、極めて高い有効性が想定されるモデルの提示であった。
 本会は「関東」都市学会であるものの、今大会の報告事例地は関東にとどまらず東北や海外にまで及んでおり、いつもながら会員の研究活動の幅広さを実感した。

関東都市学会春季大会シンポジウム 印象記 
楊 岩(三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社)

 2012年5月26日(土)、関東都市学会の春季大会が東京農業大学世田谷キャンパスで開催された。本大会では「東京における『事前復興』の歴史と現在-東日本大震災を踏まえて-」をテーマとするシンポジウムを企画し、防災・復興分野において長らく研究・実践してきた吉井博明氏(東京経済大学)、中林一樹氏(明治大学)及び齋藤實氏(危機管理勉強会 齋藤塾)を報告者として招いた。3氏はそれぞれ「災害対策法令の制定過程と復興対策」、「東京の事前復興」、「首都東京での先進的な取組事例?高齢者福祉施設のBCP策定ガイドラインと実践的な訓練」を題とする報告を行った。以下では、それぞれの報告内容を要約し、感想を述べたい。
 まず、吉井氏は戦後日本の災害対策法令の制定過程や「首都直下地震対策大綱(2010)」について概説し、日本の災害対策法令の特徴をあげ、復興について考える際の視点を提示した。その概要は以下の通りである。
 日本の災害対策法令(以下、法令)は「反省型」と「予測型」という2つの災害対策法令群に分類できる。「反省型」とは、災害発生後に顕在化した問題・課題を解決するための対策を法令化したものである。一方、「予測型」とは災害(特に地震)を予測・想定し、事前に準備を進めるための法令を指すものである。従来の法令は原形復旧が中心の発想であり、コスト・パフォーマンス、コスト・エフェクティブネスという発想がない。復興理念や計画は激しく変容している社会とのミスマッチが生じており、特に少子高齢社会への対応ができていない。事前復興計画は必要とされるが、被害の不確定性や事前の利害関係の調整が困難であるなど、その制定が容易なことではない。
 大震災のインパクトについて「強力影響(効果)論」と「限定影響(効果)論」があり、吉井氏は後者の立場に立ち、社会動向に逆らわない復興対策を考えるべきだと主張した。
 次に、中林氏は「阪神・淡路大震災」、「新潟県中越地震」及び「東日本大震災」という3つの震度7の地震災害を比較分析し、震災復興の際は「ヒューマンウェア」、「ソーシャルウェア」及び「ハードウェア」をセットに考える必要があると述べ、事前に復興対策を考案しなければ災害時の対応が間に合わないことを指摘したのち、東京都の事前復興の取組について紹介し、防災するには「想像力」と「創造力」という二つの「そうぞう力」の育成が不可欠であると強調した。また、激甚な被災からの復興計画は「総合計画」そのものであり、まちづくり目標を継承すべきであるとした。
 最後に、齋藤氏は東京都社会福祉協議会と協働した取組をとりあげ、高齢者福祉施設におけるBCP策定ガイドライン及びそれに関わる震災訓練について紹介した。その際、「事業継続こそが、最大の社会貢献」と述べ、老人ホームをはじめとする高齢者福祉施設は事業継続できなければ施設利用者を守られないという論点を掲げた。
 昨年3月11日の東日本大震災から1年の歳月が経過したが、今なお復興作業が行われている。この時期に開催されて今回のシンポジウムは非常に示唆に富むものであった。筆者は防災分野の専門ではないが、@都市機能が麻痺する際、災害弱者をどう支援するのか、及びA都市における産業機能の回復をどう支援するのか、という2つの課題に関心を持っており、今回のシンポジウムで得た知見を生かしながら、有識者との意見交換を継続的に行い、上述の課題を解決するための糸口を探りたい。


2012年度 春季大会の様子

【関東都市学会 例会を開催しました】

開催日時 2012年3月17日(土) 15:00〜17:30
開催場所 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室

報告1
上越市における地域自治区制度の現状と課題
―政策形成基盤としての観点から―
内海 巌 氏 
(高崎経済大学大学院 地域政策研究科 博士後期課程、
 上越市創造行政研究所主任研究員)

報告2
スモールビジネスが育つ街:
産業・労働研究と都市研究の交わる問題領域で「街の起業家」について考える
下村 恭広 氏
(玉川大学 リベラルアーツ学部 助教)

関東都市学会研究例会 印象記
野口 穂高(玉川大学)

 2012年3月17日(土)、関東都市学会の研究例会が東京市政調査会市政会館にて開催された。外は生憎の雨天であったが、会場内では熱意ある報告と議論が交わされ大変充実した時間となった。本例会では、内海巌氏(高崎経済大学大学院)による「上越市における地域自治区制度の現状と課題―政策形成基盤としての観点から―」、下村恭広氏による「スモールビジネスが育つ街:産業・労働研究と都市研究の交わる問題領域で「街の起業家」について考える」と題する二つの報告がなされた。それぞれの報告について、その概要と感想を述べたい。

 まず、内海氏の報告は、真の地方分権社会の構築に向けて、地域社会の政策形成能力を高め、政策形成を促進する基盤を整備する必要があるとの課題意識に基づくものであった。氏は、このような基盤を「政策形成基盤」と名付け、「人や組織に働きかけ、まちづくりに必要な個人や地域の力を引き出し、効果的な政策を生み出す」組織、制度、空間、イベントとして定義している。そして、この政策形成基盤の要件を満たしうるものの一つとして、新潟県上越市の「地域自治区制度」を取り上げ、これまでの活動の評価を通じて、自治区制度の有効性、制度の効果を維持・発展させるための要件を整理している。 
 上越市の地域自治区制度の概要は以下のようである。上越市は、平成17年に旧上越市と近隣13町村が合併し新たにスタートした市である。この合併を契機に、市全域を28区に分ける形で地域自治区制度が開始された。各自治区には住民から選出された委員により構成される「地域協議会」が設置され、地域の意見を取りまとめ市長の諮問に対する答申を出したり、自主的な話し合いにより市政に対する意見を提出したりする。地域自治区制度の評価としては、「交流・議論」「ビジョン設定・共有」「地域活動」「学習」の4項目について、その促進度から判断するという。報告では、2つの区を事例として取り上げ評価をした。総括としては、上越市の事例は、@政策形成基盤としての要素を内在しており、潜在的な可能性を含むものであったこと、A区の自由裁量の度合いが大きく、その状況により改善・悪化の可能性が不明瞭であること、B補助金の付け替えや行政依存の強化の可能性など、運用や理解を誤ると逆効果であることを挙げた。また、今後の課題として、地域協議会委員へのアンケート調査の分析、政策形成基盤の理論構築の強化、他の政策形成基盤のケーススタディが挙げられた。会場からは、町内会など区内の他の会議体や団体との位置づけの違い、地域協議会と市議会の意見が対立した場合の措置等、市内にある他の団体とどのように共存させていくのか等についての質問が出され、これに対する報告者からの真摯な対応があった。
 内海氏は、上越市職員として地域自治区制度に関係しており、自らの実務経験に基づき実践的な面での工夫や苦労を交えて報告していた。内部の人間にしか分からない課題や苦労が、その報告に一層のリアリティを与えていると感じた。また、政策形成基盤の特色のひとつとして、自ら政策的な需要を創造するという「需要創発型」が挙げられていたが、報告にもあったように、地域の課題意識が自分たちの生活を自分たちの手で向上させるためではなく、行政に要求するという意味での課題意識となっている点は今後の課題と感じた。この点については、さらなる発展を期待したい。

 下村氏の報告は、創造都市論の文脈に乗りながら、「新しい商業地」の形成過程を、東京都杉並区高円寺における古着店を事例として考察するものであった。東京を事例とする従来の「新しい商業地」をめぐる議論が、政策的介入が地域経済にもたらす効果に関するものが主であったのに対し、自生的な商業集積地の形成に注目した点、都市自営業者のような「スモールビジネスを営む人々」に着目し動向を明らかにしようとする点に、本報告の特色と独創性がある。都市自営業者に注目する理由としては、@彼らの動向が今後の都市の社会構造と空間構造にいかなる変化をもたらすかを探る必要性があること、A従来の創造都市論で議論の対象となった「新中間階級」のみではなく、経済資本や文化資本の乏しい階層による起業にも注目する必要性があることの2点が挙げられるという。古着店の場合、不用品から商品を仕入れるため、少ない資金でも参入しやすく、資本の乏しい階層でも起業が容易であるため、このような事例として取り上げるのに適している。
 高円寺における古着店の集積状況は以下のようである。まず、その特徴としては、@大通りの周縁に立地していること、A地元の個人経営の店が多いこと、B若い男性の経営者が多いこと、C店舗の開業・廃業が頻繁であること、D店舗の仮設的性格が目立つこと、E専門分化の傾向を示すことが挙げられるそうである。また、高円寺において古着店が集積した史的な経緯は次のようであった。創造都市論における「新しい商業地」の立地条件として、「オフ・ブロードウェイ理論」と「若者の副都心」という概念から説明されうるが、高円寺の場合も同様に、都心に近い地域における「空洞化」と音楽をはじめとする「若者文化の街」という2つの性質が指摘できるという。とりわけ高円寺では、1990年代に集積の核となる古着店が商業的な成功を収め、その古着店に通う客を目当てに、新たな古着店が出店を重ねていった状況があったことが明らかにされた。
 高円寺の古着店を都市の社会構造及び空間構造にどのように位置づけられるかという点について、以下のように結論が示された。まず社会構造における位置づけとしては、高円寺の古着店の場合は、開業・廃業が激しく流動的であり、店舗の仮設的性格が目立つ点から、比較的無店舗小売業に近い行動をとる存在に位置づくという。また、都市空間構造の変動の中ではどのように位置づくのかという点については、「仮設的商業空間の常設化」という観点から以下の方向性が示された。すなわち、商業空間の常設化は、個人には社会移動、都市空間としては盛り場の発展と固定化という側面が見られるとして、この点を月島や銀座についての先行研究を挙げながら例示し、高円寺においても同様の観点から考察する必要性があることを示すものであった。会場からは古書店など他の古物商と古着店の関係性や古着店の店舗形態の特質、行政の関与、世代論との関係、地域性の関わり等、幅広い観点からの質問があり、報告者から丁寧な回答がなされた。
 下村氏の報告は、古着店という零細規模の自営業者の動向から、都市の社会構造や空間構造の変容とその意義を明らかにするものであった。深刻な不況下にある昨今は、地域内の商業施設の移り変わりが激しい状況にある。兎角見落とされがちな零細規模の自営業者の動向であるが、フィールドワークを丹念に重ね、緻密な論理構成により、その動向を鮮明に描き出すことに成功していると感じた。また、単に、都市自営業者の動向や、都市構造の変容を描くのみでなく、若年層の雇用問題や零細規模の自営業者の活動を支援できる都市空間の形成をも視野においている点も特色であった。進路選択に悩む学生と向き合う大学教員の立場としても、今後の研究の深まりに期待したい。

 今回、はじめて研究例会に参加させていただいたが、筆者のような他分野(教育学)を専攻するものが聞いても分かりやすく、かつ十分な議論の深まりがあり、大変興味深いものであった。今後とも継続的に研究会に参加させていただき、色々なご意見を伺ってみたいと感じた。


【関東都市学会2011年度秋季大会を開催しました】

■ 開催日: 2011年(平成23年)11月26日(土)
■ 開催地: 埼玉県飯能市
■ 主催 : 関東都市学会
■ 後援:飯能市

【エクスカーション】 10:30 〜 12:00
 シンポジウムでとりあげる、区画整理事業の対象地となった岩沢南部地区を中心に現地を視察しました。

【大会】 13:30〜17:00 会場:駿河台大学 講義棟 3102教室

■ シンポジウム 「人口減少社会の都市―飯能市の公共事業見直しから考える」

□ シンポジウム解題(熊田俊郎(駿河台大学))
 日本の人口が純減に転じ、大きな衝撃が走ってから6年がたった。この間人口減少社会や縮小社会の議論が喧しい。これまで1世紀以上続いてきた日本の人口急増期が終わりを告げたことはたしかである。しかし人口安定期ないし縮小期にあわせた社会づくりの方向性はまだ見いだせていない。都市に関していうと、都市膨張、市街地拡大を前提にした都市の議論が成り立たなくなるにつれ、コンパクトシティなどの構想が急浮上した。ところが都市をめぐる状況は単純でない。局地的には人口急増や若年層の多い地域もある一方で、人口減少や人口構成の急激な変化によって都市部といえども機能を維持できなくなる地域も出現している。
 東京大都市圏外縁部にある飯能市は、もとは独立した地方都市でありながら80年代のバブル経済期以降強い宅地化圧力を受け、一部ではスプロール化も進んだ。ところが宅地造成・土地区画整理などに力を傾注しているうちに急速に宅地化圧力がしぼんでしまった。こうした情勢の中で飯能市は、事業実施中の土地区画整理事業の規模を縮小するという事業見直しを行った。飯能市の状況は、東京大都市圏外縁部都市にある程度共通するものである。またその経験は、「縮小社会」における都市のあり方やコンパクトシティの構想に大いに示唆を与えてくれるものと思われる。
 本シンポジウムでは、東京圏全体の動向とローカルな事情、地元行政の担当者から市の対応、さらに都市計画、地方財政などからの視点を踏まえて、飯能市の事例が大都市圏内の諸都市にどのような知見をもたらしてくれるのか、総合的に考えてゆきたい。

□ プログラム
13:30 開会の辞(井上繁関東都市学会会長)
13:40 沢辺瀞壱飯能市長ご挨拶
14:00 パネルディスカッション
報告者
  熊田俊郎 氏(駿河台大学教授・都市社会学)
  佐野純一 氏(飯能市土地区画整理事務所所長)
  宮下清栄 氏(法政大学教授・都市計画学)
  金子憲  氏(首都大学東京准教授・財政学)
コメンテーター
  戸所隆 氏(高崎経済大学教授・都市地理学)
  秋田典子氏(千葉大学准教授・都市計画学)
コーディネーター・司会
  熊田俊郎 氏(駿河台大学教授・都市社会学)

【懇親会】 18:00〜19:30 西武飯能ステーションビル・ヘリテイジ飯能5階「日高」

【当日の印象記】

2011年度秋季大会シンポジウム 印象記
川副 早央里(早稲田大学大学院博士後期課程)

 2011年11月26日(土)、「人口減少社会の都市―飯能市の公共事業見直しから考える」と題して関東都市学会秋季大会が飯能市で開催された。午前の飯能市岩沢地区エクスカーションの後、午後は駿河台大学にて公開シンポジウムが行われた。
 熊田俊郎氏(都市社会学)は、統計資料に基づいて、東京大都市圏外縁部にある飯能市の社会構造の変動について報告された。まず、人口減少の実態について、国レベルの人口自然減と首都圏の人口増という動向がある中で、飯能市というローカルなレベルでは人口微減・世帯微増をいう段階を迎えていることを述べた。高度経済成長以降の人口増加に伴って、バブル経済以降、飯能市は東京大都市圏の郊外地として宅地開発が進められてきたが、宅地造成や土地区画整理事業が進められる間に、上記のような人口構造の変動によって宅地化の圧力が弱まり、公共事業の見直しに至ったことが示された。
 佐野純一氏(飯能市土地区画整理事務所所長)は、飯能市の区画整理事業の成り立ちと見直しに至った経緯について詳しい解説をされた。飯能市岩沢北・南の2地区では、それぞれ平成6年、平成8年から区画整理事業が着手されたが、市の厳しい財政状況、地価の変動、地区全体の建物の8〜9割の移転を強いる計画内容などの理由から、完成年次が100年以上を要する計画となっていることが課題であった。この事業の遅れによって生ずる課題を解決するため、土地区画整理事業の縮小を行うことで、建物移転の削減、費用の削減などにより、20年間で完了する事業に計画を変更し、事業の早期実現を目指しているとのことであった。工事を着手した地区で見直すのは稀なケースであり、首都圏の郊外地における公共事業の在り方としては先進的な事例であると言えるだろう。
 宮下清栄氏(都市計画学)は、高度成長期以降急激に膨張した郊外部の40〜50km圏域の市街地は、今後縮小することが予想されていることから、郊外部のスプロール地区や急傾斜地区など住宅に不適な地区に立地した住宅地を、どのように「たたむ」かが今後の課題になると指摘した。その際に、住民の生活の質を維持・向上し、地区間競争力を確保した上で、公共事業やサービスを効率化し、「賢く、縮小」する「スマートシュリンク」を実現する必要があると指摘した。そうしたネットワーク型のコンパクトシティを可能にするのは土地区画整理事業であり、飯能の公共事業見直しによる区画整理事業の縮小はその代表的事例であると評価した。これらの事柄を踏まえ、米国の事業事例やさまざまな手法を紹介され、刺激的な報告であった。
 金子憲氏(財政学)は、飯能市の財政を分析し、市税収入の減少、国庫補助負担金の削減、地方交付税制度の見直し、名栗村との合併による国の財政支援の減額などにより財源確保が厳しい状況を迎える一方、歳出面においても、少子高齢化に伴う扶助費、公債費や物件費などが増加する中、公共施設の耐震化や主要道路の早期完成など、緊急性の高い課題への財政需要が生じており、これまで以上に厳しい行財政運営を余儀なくされていることを指摘した。市の対応としては、財政のスリム化、事務の効率化、工業事業の発注時期の平準化によって、市の持続的開発を推進することが重要であると述べた。また、新たな需要を創出する適切な政策も必要であり、そのためのインフラ整備を担う行政の役割と責任も強調された。
 コメンテーターの戸所隆氏(都市地理学)と秋田典子氏(都市計画学)からは、それぞれ「どのような都市構造を目指すかを市民で共有する必要がある。区画整理事業の見直しにあたって、地域の伝統を生かしたまちづくりなども組み合わせていく必要がある」「都市計画の母と呼ばれる土地区画整理事業。元の道路を生かし、宅地のない地域を丁寧に開発していく飯能の手法こそ、新しい都市計画だと感じている」と述べた。フロアからは、「産業転換を含めて、グランドデザインを考える必要がある。また、この情報社会の中でいかにスマートシティを実現するか、グローバルな活動と関連させて考えていく必要がある」との意見が出された。
 全体を通じて、人口構造の変動、飯能市の対応、「賢く、縮小」する公共事業の可能性、財政的課題など、様々な視点から総合的に人口縮小社会における課題と方向性が示された。飯能市の抱える状況は、他の大都市圏郊外地においても共通するものであり、その点で「飯能型の区画整理事業」は先進的で示唆的な事例であった。人口縮小社会における新しい都市のあり方を考える意義深いシンポジウムであった。


大会の様子(沢辺瀞壱飯能市長ご挨拶)

大会の様子(エクスカーション)

【関東都市学会例会を開催しました】

日時: 2011年5月28日(土) 15:00〜17:30

場所:首都大学東京 秋葉原サテライト 会議室
報告(1)
「都市計画政策と『都市再生』政策の原理的対立と『収斂』〜都市空間のコントロールをめぐる権力作動の考察〜」
植田剛史(日本学術振興会特別研究員・慶應義塾大学)

報告(2)
「観光化するまちづくりとその課題〜地方都市における事例から〜」
土居洋平(東北文教大学短期大学部)

■ 例会印象記

関東都市学会研究例会 印象記
杉平 敦(東京大学大学院博士課程)

 関東都市学会の2011年度第2回研究例会は、秋晴れの10月1日(土)、秩父方面の山並みを望む首都大学東京・秋葉原サテライトキャンパスにて行われた。
 第1報告は、植田剛史氏の「都市計画政策と『都市再生』政策の原理的対立と『収斂』」であった。1990年代後半から2000年代前半の都市計画政策(課題を持つ既存の都市空間に対する直接的コントロール)と、2000年代以降の「都市再生」政策(民間資本による再開発を通じた経済活性化)は、本質的には性格の異なるものであるが、それまで政府/国家が担ってきた都市計画に他の諸アクターを関与させる点では共通である。この変化を、諸アクターの利害や自発性を組み込んだ間接的コントロールへの移行と見なし、これに伴う諸アクターの再編について再考する必要があるというのが結論であった。
 会場からは、「『民主的』な都市計画への流れは地方でも同様であった」「政策論だけでなく、現場の声を聞いて積み上げていく方法もある」「制度論だけでなく、技術水準や地域色、アクターの個性を考察に含めてはどうか」などのコメントがあった。植田氏は、具体的な事例に即して議論を組み立てたいとしつつ、個別の事例に応じてバラバラに説明することには問題を感じているようであった。今回の発表については、東京を舞台とした都市計画政策の展開について、濃密かつ詳細な検討が行われたことが高く評価される。今後の研究は、地方都市や政策の実現過程を含め、いっそう進展していくことと期待される。
 第2報告は土居洋平氏の「観光化するまちづくりとその課題」で、山形県内の3市町から多くの事例が示された。共通しているのは、地方都市や町村でのまちづくりが観光に偏りがちなことである。集客力を失った市街地へ人々を再び呼び戻すために、また、他地域・外来者との交流を通じてまちづくりを進めるために、観光に期待がかけられる。その中で、公募事業の審査が公正さを確保できない、観光事業の主体と地域住民の意思が食い違う、などの問題も生じた。しかし、それでも観光まちづくりに期待をかけざるを得ない実情もあり、空間の商品化への傾向を一概には否定できないと指摘された。
 会場からは、「観光まちづくりには地域アイデンティティーの創出という意義があり、イベント主義的では困る」という意見があり、土居氏も『イベント疲れ』が発生する事例を問題視していた。再び会場から、住民を犠牲にしない形で地域の利益を生む仕組みが必要と、複数の出席者から指摘があった。土居氏は、生活の場を観光資源とする農村は「イベント疲れ」が発生しやすく、もともと人が集まる場所である都市部の方が住民は犠牲にならないという事情を紹介した。また、勤務先での地域への関わりから、空間の資源化を一概に否定できない現状が、あらためて示された。今後は、それらの事業に実際の利益があるか、あるとすれば誰の利益か、などの問題が整理されなければならない。解決の難しい問題ではあるが、聞き取りやすい声と分かりやすい説明で、興味深い事例を交えながら示していただいたことに感謝したい。


【関東都市学会春季大会を開催しました】

日 時: 2011年5月28日(土) 10:40〜17:55
共 催:日本都市学会
場 所:東洋大学 白山キャンパス 1号館1階 1101教室

■自由報告 10:40〜12:45
川副早央里(早稲田大学大学院)
「地域活動の多様化と文化的創造性:神楽坂のまちの再編過程を通して」

下田健太郎(慶應義塾大学大学院)
「水俣市地域再生事業における「水俣病」の記憶化をめぐる実践について」

杉平敦  (東京大学大学院)
「丸の内、景観論の歴史と現在」

鈴木地平 (高崎経済大学大学院)
「歴史的都市における景観保全と都市発展の両立に関する地域政策学的研究」

保井俊之*・白坂成功*・神武直彦*・津々木晶子**  (*慶應義塾大学 **慶應義塾大学大学院)
 「システムズ・アプローチによる住民選好の数量化・見える化:中心市街地活性化の新しい政策創出の方法論」

■シンポジウム  13:30〜16:50
「都市における水の路(みち):まちを育むその可能性」

【シンポジスト】
石神裕之 (慶應義塾大学、近世考古学)
神吉和夫 (神戸大学、土木史)
川島 篤 (金沢市役所 用水・惣構堀保全室長)
堀川三郎 (法政大学、環境社会学)

【コーディネーター】 平井太郎 (日本女子大学、社会学)

【関東都市学会春季大会研究発表・シンポジウム(2011.5.28)の記録】

2011年度春季大会自由報告印象記
土居洋平(東北文教大学短期大学部)

 2011年5月28日(土)、東洋大学白山キャンパスにおいて関東都市学会春季大会が開催された。当日の自由報告部会では、例年より少し多い5つの報告があり、盛況な会合となった。地域づくりの多様性や数量化、都市の歴史や景観、記憶に迫る多種多様な報告で、学際学会である本学会の魅力を感じる部会であった。
 最初の報告「地域活動の多様化と文化的創造性:神楽坂のまちの再編過程を通して」(川副早央里氏・早稲田大学大学院)は、都市における近隣社会の「創造性」に着目し、神楽坂におけるまちづくりの変遷を事例にして、都市コミュニティという「場」がもたらす創造性がどのように発現されているかに迫るものであった。そこでは、神楽坂において「一定の距離感」と「気軽な遊び心」という「「粋」なふるまい」が共有され、そのことが多様な人材がまちづくりに関わることに貢献していることが明らかにされた。多様な人材が集う都市中心部での文化創造のあり方を描いた興味深い報告であった。
 次の「水俣市地域再生事業における「水俣病」の記憶化をめぐる実践について」(下田健太郎氏・慶應義塾大学大学院)では、水俣湾埋め立ても含めた水俣市地域再生事業が進むなかで、環境が再生され地域がきれいに再生される一方で、そこからこぼれおちる個人の心情をどのように可視化し、また、水俣病の何を記憶として保存するのかについて、水俣再生の歴史とその中での相克を描きながら迫るものであった。報告者は考古学が専門ということであったが、丹念な地域調査・聞き取りをもとにした報告は、まるで村落社会学の研究報告を聞いているようで、個人的に共感するところが大きかった。
 第三報告「丸の内、景観論の歴史と現在」(杉平敦氏・東京大学大学院)では、首都東京の顔として景観が整備されてきた丸の内の(再)開発について、主に昭和40年代に交わされた議論をもとに、誰/どのような観点から/どのような景観を守ろうとしたのかについて、その錯綜している姿を描き、現在においても、景観形成における主体/そこで守ろうとされたものを明確にすべきであると論じたものであった。関東都市学会ではこれまでも、東京都心の景観について議論をする機会が多かったが、新たな世代からの問題提起は、新鮮なもので興味深いものであった。
 続く「歴史的都市における景観保全と都市発展の両立に関する地域政策学的研究」(鈴木地平氏・高崎経済大学大学院)では、金沢市を事例に、古い歴史を持つ都市が、その歴史的景観をどのように保持し再生しているのかについて、建物等の有形の要素と用途・機能等の無形の要素に着目しながら、法的規制や財政的技術的支援、地域社会との関わり等を視野に政策論的に描いたものであった。こちらも都市の歴史的景観に迫る報告で、こうした「歴史的景観」といった場合に、どのような歴史が「歴史」として認定され保全されていくのかを考えさせる、興味深い報告であった。
 最後の「システムズ・アプローチによる住民選好の数量化・見える化:中心市街地活性化の新しい政策創出の方法論」(保井俊之氏*・白坂成功氏*・神武直彦氏*・津々木晶子氏**・*慶應義塾大学 **慶應義塾大学大学院)では、これまで定量的な評価を行いにくかった地域活性化/まちづくりにおいて、適切な形で数量化・見える化する方法論の創出が試みられ、それが秋田市で実践される様子が報告された。本学会の一昨年度の春季大会においても「まちづくりにおける評価」がテーマとなったが、このテーマは昨今の地域活性化/まちづくりの重要なテーマであり、その手法について論じた本報告は、時節を得た非常に意義ある報告であると感じた。
 以上、多様なテーマでの報告であったが、これまでの本学会の議論と関わるものが多く、今後、本学会で更に議論が深まることが期待できる、非常に意義深い部会であった。

関東都市学会春季大会 雑感
川西崇行(早稲田大学)

 自由報告は、本学会名が「都市」を関しているだけに、都市の内部、都市の外貌、都市・地域におけるさまざまな取り組みというトーンで、後半のシンポジウム「都市における水の路」での、近世水道、水路、その復元・保存・活用、実践事例としての金沢、小樽運河―多様な視座の設定から技術史の検討、都市の水路管理と都市住民、保全へ向けての行政の努力と保存運動…という内容へスムーズにつながる問題と響きあう内容であったように記憶している。
 川副さんの発表は、小生とも浅からぬ因縁のある「神楽坂」をめぐる問題であった。商店街・住民の合意、著名な「まちづくり活動」地域でのひしめきあいを、人間目線(アイレベル)での難しさを、今更のように目の当たりにする。それも今は「まちとびフェスタ」などで、ポスト・バブルのまちづくり活動のメッカとしての印象のある地域だけに、その長年の動きについてのドキュメントは大変に迫力があり、坂上の巨大ビル問題に際して、若干関わった者としても、脳内が今一度整頓されるような思いがある。
 下田さんの発表も、まち・地域の歴史の継承に関する問題であった。あれだけの被害者を出した大公害をどう忘れることなく、いかに偲んでいくか、というものであったが、これも自分に引き寄せて言えば、地元・東京の関東大震災・東京大空襲、特に前者についての「忘災」は、近年目を覆うものがある。この九月一日も、本所横網の慰霊堂に参ってきたが、もはや何の縁日だか、何がお祀りされているかわからず、「ご縁がありますように」と五円玉を投じて拍手を打つ若者まで出る始末であった(あとで問われたので由来を説明したら、急いで拝みなおしているだけましであったが)。このような挿話を挟んだのは、行政による「慰霊」「記憶の保存」ということになると、特に近年は、無菌培養的なもの、非宗教性にこだわるあまりに施設の企図を図りかねるようなものが少なくないからである。
 しかし、今回の発表では、公害地への外部からの刺激、公害被害者内部の思いを、どう舫い合わせていくかのひとつの試みの報告であったと解釈している。私が興味深く思ったのは、神とも仏ともつかぬ、こころの発露のままに、一般のひとが刻む石の像であった。また何教という縛りはないものの、やはり、「偲ぶ」にはそれにふさわしい静謐さ、ある種の宗教性が必要なのであろうな、という感懐であった(発表者の企図するところと違う細部に目が行った嫌いがあれば、お詫びしておきたい)。
 杉平さんの発表は、丸の内の近代についてのフレームワークであったと解釈している。あの地域の1997年以降の劇的な、いや常軌を逸した変容について、ご関心があったことと忖度する。実際、あの大手町・丸の内・有楽町の(三菱地所を首魁とする)再開発は、バブルの教訓なしに、また政策による都市の局地開発を誘導したもの、すなわち80年代に世論から大顰蹙を買った「マンハッタン計画」を捨てていなかったことの具現である(また三菱地所自体がそう言明している)。
 その経緯は、鈴木都政の終焉以降、乃至、小泉政権の本質(中央郵便局の問題に限らず、大規模ではあるがニューヨークのTDRのような計画性を持たない「域内割増容積飛ばし」である特例容積制の問題など)と、皮相かつ妥協、不発に終わってしまった「景観論」の鬩ぎあいである。現在もパレスホテルが、皇居の大空地・大緑地を干犯しようとしているが、この問題についてはアクターの動きと言説を、よくよく吟味して検討する必要がある。
 鈴木さんは、歴史的景観・文化財保存の最前線での経験を踏まえた研究報告であった。あまりに専門が近いので、非常にレポートを書きづらいので少し現在進行形の事例の話に即して比喩とするが、一般に「歴史的景観」「まちづくりの資源」と認知されている対象でも、公的にそれを守る手段がない(あるいは弱い)。
 改正都市計画法や改正建築基準法の割増容積、特定街区、総合設計などなどの開発誘導型・インテンシブ型に対抗するだけの力のある「景観保存」がどこまで可能か。「公」内部に、脱法的な開発者に対して毅然と対峙しうる「システムと良識」があるのか、市民共有の財産・資源である景観を守る責務を、不動産事業者への便宜のために「公」が踏みつけにしていないか、矮小化していないか。「景観法」と地方自治体(景観行政団体)における条例と景観計画などが、法律施行からかなり時間を経てもまだ落ち着いていないような実感がある。そのあたりについて、事例を用いて考えることの重要性を考えさせられる発表であった。
 保井さんを中心とした研究発表は、地域通貨や中心市街地への公的補助などの動きの先を見越した、市民の声を「まちづくり」に反映しようとする手法の事例の、一連の流れについてのものであった。秋田市をフィールドにして、千篇一律の補助金・ハコモノではなく、「地域住民のもつイメージや声を、見える化(可視化)・定量化すること」をそのまま、まちづくりの次のシナリオにつなげていこうという意欲的なものであった。プロジェクト内の術後や所謂、マーケティングの諸手法との差別化など、他領域や、地域のひとにより理解の容易なかたちと手法になっていくことを期待する。

 後半のシンポジウム「都市における水の路」は、前半の自由発表のトーンを引き継いで始まった感がある。登壇者の皆さんが、職能といい、専門といい、多士済々であったのは面白味の要素だった。この内容−都市と水の流れに長らく注目してきたコーディネーターの平井さんの着眼点は興味深いものであったが、シンポジウムの常で、時間の不足のため、パネラー相互の丁々発止、あるいはフロアとの論議がもう少し取れれば、という点が惜しい。
 今回は着眼点=都市・集落を育むものとしての水のみち(自然河川の改修・付け替えから、掘割・運河、近世水道、近代水道まで多種多様な)の各切片がよく見えたので、同じコーディネーターで、より話題を進化させた続編を期待したい。
 登壇者報告。石神さんは、江戸のまちづくり、惣構、近世水道について、あるいは屋敷の内部の水周りと、往古の姿を探る現場目線で、東京市民にとって親しみやすいものであった。
 神吉さんは、日本の前近代(中古・中世・近世)から近代水道にいたるまでの網羅的、技術的な紹介。この調査量と密度に驚くとともに、日本人の水との関わりあい方のひとつのかたちがはっきり見えるような印象が深い。
 川島さんは、(住居表示前の)旧町名の復活や、歴史まちづくり法の活用などで注目されている金沢市の「歴史的水環境保全」の現場最前線においでの方で、高度成長やらのドサクサで埋められてしまった路側の水路を、懇切丁寧に一軒一軒説いて回って、金沢の行政ならではの方便も用いて、なし崩しの暗渠を開き、通り・街に潤いを与える仕掛け人で、そのご尽力には頭が下がる。
 堀川さんは、すでに「小樽運河保存」の社会学的側面からの研究では知らない人が少ないくらいであろうが、小生なども時折直面する、保存運動や、まちづくり運動での「キビシイ」状況に直面した人間集団を観る鋭い目線、また運動に関わっていた層の「運動以降」の動き、社会的な影響など、短い時間の中で濃密な世界を垣間見せていただいた。
 ちなみに堀川先生のパワーポイントの絵の美しさ、カットの割付にも深いデザインと智慧・仕掛けがあった。これなぞ、雑な小生は爪の垢を煎じて飲まねばならない。神吉先生の冊子も濃厚でその後も熟読させていただいている。


大会の様子
■ 日本都市学会、関東都市学会共催による第57回日本都市学会大会大会を開催しました。

 関東都市学会が運営を担当した日本都市学会第57回大会(会場:高崎経済大学)が、高崎市・高崎経済大学から財政的人的支援を受け、下記の内容で開催され、多くの参加者のもと、成果を得て終了でしました。なお、詳細は今後の「日本都市学会ニュース」等をご覧下さい。

1.日時 平成22年10月22日(金)〜24日(日)

2.場所 高崎経済大学(群馬県高崎市上並榎町1300)

3.開催形態 主催:日本都市学会 関東都市学会
         後援:高崎市

4.プログラム(概要)
10月22日(金)
14:00−17:00 エクスカーション
※高崎市中心市街地のまちづくりと都市観光(仮称)
18:00〜20:00 理事会

10月23日(土)
09:00       受付開始
09:30〜12:00  研究発表T
研究発表1 横断国土軸と都市 司会:高山正樹・熊田俊郎
研究発表2 環境と都市開発 司会:實清隆・大内田鶴子
研究発表3 都市空間と文化 司会:吉野英岐・高田弘子

12:00〜13:00  昼食
13:00〜13:10  開会挨拶 日本都市学会長・関東都市学会長
13:10〜13:25  日本都市学会賞授与式
13:30〜14:00  特別講演 高崎市長
14:00〜16:30  シンポジウム「横断国土軸と都市再生」
特別講演 松浦幸雄・高崎市長
パネリスト
村山秀幸・上越市長
曽我孝之・群馬県商工会議所連合会長(前橋商工会議所会頭)
小川陵介・高崎市副市長(国土交通省出向)
井上 繁・常磐大学教授(元日本経済新聞社論説委員)
オーガナイザー 戸所 隆・高崎経済大学教授
16:30〜17:00  日本都市学会総会
18:00〜20:00  懇親会

10月24日(日)
09:00       受付開始
09:30〜12:50   研究発表U
研究発表4 大都市と地域開発 司会:林上・佐々木公明
研究発表5 都市空間とまちづくり 司会:山崎健・佐藤彰男
研究発表6 健康と都市 司会:佐藤直由・西野淑美
研究発表7 グローバル時代の都市 司会:浦野正樹・堂前亮平

■ 関東都市学会 研究例会を開催しました。

1.日時:2010年9月26日(日) 15:00〜17:30

2.場所:東洋大学 白山キャンパス 5号館1階 5102教室

3.研究報告

報告1 「裏道」の意味空間――港区元麻布のクリエイター・起業家達の活動実践
横山 順一 氏 (専修大学大学院文学研究科)

報告2 宗教境内地と市街地空間の形成・変容 日欧の近代を比較して(仮)
田中 傑 氏 (芝浦工業大学大学院工学研究科 PD研究員)

■ 当日の議論の様子(印象記から)

関東都市学会研究例会 印象記
猪瀬雄哉(常磐大学大学院博士後期課程)

 関東都市学会2010年度第1回研究例会は、9月26日(日)、「井上円了記念館」と称される東洋大学白山キャンパス5号館にて開催された。本例会では、横山順一氏による「裏道の意味空間−港区元麻布のクリエイター・起業家達の活動実践」、田中傑氏による「宗教境内地と市街地空間の形成・変容−日欧の近代を比較して」と題する2つの報告がなされた。共に、図表や写真等の資料を多用しながら、「まち」の形成及びその要因を分析するものであった。
 まず、横山氏の報告の概要と感想を述べたい。本報告の目的は、東京都心部の港区元麻布地区の一画に着目し、そこを舞台とした人々の活動実践と場所への意味付与の過程を捉えることを通して、東京都心の空間の一端を明らかにすることである。
 横山氏は、東京都港区の元麻布地区の一画に存在する「裏道」に注目し、目視によるフィールドワークやそこに住む起業家、事業主へのインタビューを中心とした調査を行った。この調査を通して、「裏道」の実際の使用者たちが、「どのようにして、その場所を選び、利用しているのか」、「その場所にはどのような意味が付与されているのか」に関して、方法論的検討がなされた。横山氏は、「裏道」という隙間を生きる起業家や事業主たちが、その場所を選んだ要因の一つに、「裏道」と自身の美的価値観等を重ね合わせる事の存在等が関連していると考察する。そして、2000年代の「骨董インディーズ通り」及び「裏麻布.com」という「裏道」での出来事を2つ取り上げた。「骨董インディーズ通り」とは、元麻布の路地に骨董屋が軒を連ねる通りの呼称、「裏麻布.com」とは、元麻布の飲食店オーナー2人が仕掛け人となった「裏道」活性化プロジェクトのwebサイトの名称をいう。横山氏は、この2つの事例に対し、「裏道」という意味付与がなされていると指摘する。また、この「裏道」が作られた背景要因として、比較的地価が手ごろな点、宗教施設等の存在により開発の手が伸びにくかった点、寺社地等を中心に安価なアパートが提供されている点の3点も導き出した。
 会場からは、2000年代以前の歴史的な「裏道」にも着目し、その形成要因を分析、考察すべきとの指摘があったが、「裏道」という言葉に着目し、フィールドワークやインタビュー調査という実証的な手法から「裏道」の形成要因の一端を導き出したことは、一定の成果と言えるだろう。同時に、行政側はこの事例をどう捉えているのか、元々の住民が起業する場合はあるのか等、様々なケースが「裏道」の形成要因に絡んでいる事も考えられる。最終的には、住民同士の連携が活発な事も1つの形成要因として捉えられる事から、ヒアリングがモノをいう調査になると捉えられる。
 続いて、田中氏の報告の概要と感想を述べる。報告内容は、宗教境内地と市街地の形成とその変容に関して、日本と欧州の近代化の流れから分析、考察したものである。はじめに、日本と欧州の近代化のシステムを比較し、共通点と相違点を整理しつつ、相違点に着目した。欧州では、日本とは異なり、教会税を国が徴収し、諸教会に分配する制度があるという。これは、日本と欧州の政教分離の捉え方や程度に違いがあるものとみて、検討がなされた。
 次に、東京都の築地本願寺、静岡県の宝台院を事例対象とし、その子院の移動先の調査が報告された。これらの子院群が明治期以降、市街地化の影響で次々と移転され、特に築地本願寺では、震災をきっかけに、区画整理がなされ、道路、その他の公共用地を土地所有者が提供した。      
これらの動きの根本には、近代以降、檀家からのお布施の減少等にみられる寺社の収入構造の変化が内在している。加えて、寺社自身が郊外に土地を購入し、地代が相対的に高い旧境内を売却あるいは賃貸したことが影響している。そして、田中氏は、日本と欧州の収入構造の比較の視点から、日本は経営的自立性が高いために、今後、人口減少や宗教離れが起こる事によって、都市部における貴重な緑地や空地が損なわれるような土地経営がなされると指摘した。
 会場からは、先行研究の有無に関する質問があった。田中氏によれば、本報告の視点からみた寺社経営に関連した歴史的な先行研究は過去にないという。また、会場からは、宗教境内地の変容と日本の寺社経営の収入のウエイト(お布施、不動産経営、墓地経営等)の因果関係や日本と欧州の墓地等の立地条件が根本的に違うことを問う指摘があった。これらの点は、研究課題としての余地があると考えられるが、今回の報告内容においては、先行研究がみられないだけに、解明が進むことにより、貴重な研究となりそうである。


■ 関東都市学会春季大会を開催しました

日 時:   2010年5月29日(土) 13:00〜17:55
共 催:   日本都市学会
場 所:   慶応義塾大学 三田キャンパス 第1校舎2階 121教室

■自由報告    13:00〜14:20 
小林 修(まち・集落研究室) 
「10年、30年、50年先に向けた我が国の都市と暮らしのイメージ」
金子 光(明海大学)
「政策評価の導入と予算制度改革」
下村幸平(東京農業大学大学院)
「築地市場移転にみる東京都臨海副都心「再開発」問題」

■シンポジウム  14:30〜17:15 
「都市と権力:藤田都市論から権力を学際的に考える」
学際を特性とする本学会のあり方を活かし、学際的な共同研究を多く行った故藤田弘夫前会長の研究をきっかけに、都市と権力との関係を複数の分野から考える。

【コーディネーター】
浦野 正樹(早稲田大学)

【報告者】 
布川弘  (広島大学)   都市社会史の観点から
長田進  (慶応義塾大学)地理学の観点から
熊田俊郎 (駿河台大学) 社会学の観点から

【コメンテーター】
土居洋平(山形短期大学)
石井清輝(高崎経済大学)

■総会      17:25〜17:55 
■懇親会     18:15〜20:00

■ 当日の議論の様子(大会印象記から)

【関東都市学会春季大会研究発表・シンポジウム(2010.5.29)の記録】

関東都市学会 春季大会印象記 (自由報告編)
熊澤 健一(中央大学大学院)

 関東都市学会春季大会が2010年5月29日(土)に慶応大学において開催された。自由報告部門では、小林修氏(まち・集落研究室)「10年、30年、50年先に向けた我が国の都市と暮らしのイメージ」、金子光氏(明海大学)「政策評価の導入と予算制度改革」、下村幸平氏(東京農業大学大学院)「築地市場移転にみる東京都臨海副都心「再開発」問題」と題する3報告がなされた。

 小林修氏の報告は、始めに人口推計を基にした人口減少社会と、主に経済のグローバル化を与条件として、地方における都市と限界自治体の今後の在り方とそこでの生活をイメージする。地方の再活性化においては、地方大学が建設的批判を行う第三者機関として、また、共に将来ビジョンを作り上げる役割を果たすことが鍵となるとした。地方の再活性化に向けて、これまでのビジョンなき政策から常に将来像(10年、30年、50年先に向けた我が国の都市と暮らしのイメージ)を持って政策を遂行するべきであるとの主張であった。
会場からは人口推計数値の精緻化が必要、また、これまでの国家政策において地方が置き去り感をもったことが指摘された。最後に、小林氏から長野県内でコンパクトシティとしてイメージでき、残れる都市は長野市、松本市、飯田市、上田市位かなとの話が印象に残った。

 金子光氏の報告は、政権交代以降の予算編成過程における予算の大幅削減目標と現実のギャップをフックとし、我が国の予算制度改革に関する政策過程を、これまでの政策評価の予算編成へのフィードバックに対する議論、主体となる会計検査院の機能(というより権能)に関する答申および法改正にいたる国会議事録等を基に実証的に考察し明らかにしている。そして、政治主導(政治家主導)による予算編成は2010年度の予算編成に見るように配分が歪められるとし、会計検査院の決算検査報告に基づく政策評価の予算へのフィードバックによる配分が求められるとした。それは首相のリーダーシップが発揮されることにより実現できるとしている。
このように金子氏の研究は財政学のみならず行政学の研究をも踏まえて予算制度改革政策の課題を取り上げており、日本の予算制度改革の現状を再認識させられる非常に示唆に富む内容であった。

 下村幸平氏の報告は、築地市場の移転問題を通して、東京都の進める臨海部の再開発について東京都民の意向を無視した住民不在の再開発であり、まず開発計画ありきで財界主導による経済効率に主眼を置いた構想・計画であると批判的に論じたものであった。下村氏は築地市場の豊洲への移転に関して、東京都の移転の必要性(面積の狭隘さの解消、駐車スペースの確保、大規模災害時の広域輸送網の確保等)に納得できる部分があるとしながらも、食の安全・安心、事業方式(PFI)と大手資本中心の物流システムへの改編に対する問題をあげて移転する必然性はないとする。そして現在、築地市場移転後の跡地および周辺の再開発、豊洲新市場・オリンピックの開催をテコにした臨海部再開発は頓挫したとしている。下村氏の論旨は概括的には理解できるが、批判の柱としての都民の意向、財界主導による経済効率等に対する論証が不足しているように思えた。これからの研究に期待したい。

 以上3報告とも大変貴重な内容であり、第1報告を除いて会場との質疑の時間が取れなかったことが残念であった。

関東都市学会春季大会シンポジウム 印象記 

福田光弘(帝京大学福祉・保育専門学校)

 2010年度、関東都市学会春季大会シンポジウムは慶應義塾大学三田キャンパスで行われた。本シンポジウムは、昨年亡くなられた前会長藤田弘夫を偲び「都市と権力:藤田都市論から権力を学際的に考える」と題し、社会学、歴史学、地理学のそれぞれの観点から藤田都市論を考察するものであった。
 先ず社会学の観点から、熊田俊郎氏の報告が行われた。熊田氏は藤田都市論における権力とは、藤田の師である矢崎武夫の「統合機関説」を展開したものであったと指摘した。そうした上で、機関を権力と読み替えることは、都市のダイナミズムを藤田により注視させることを可能にするものであったとされた。こうした藤田のありかたは「都市以外が対象」と揶揄されることもある都市研究の中で、まさに都市そのものを注目するものであったと述べられた。しかし、M.ウェーバーに影響を受けた藤田の権力論ではあったが、権力の類型から都市の類型への腑分けという流れには向かわなかったことや、藤田の最晩年の研究である公共性問題とはどのように関係する、若しくはしなかったのかということなどが問題提起された。
 次に歴史学からの観点ということで、布川弘氏の報告が行われた。藤田都市論が日本史学における都市研究へ与えた影響力は、網野史学に並ぶものであったこと述べられた。M.ウェーバー都市論が影響力を持った時代に、都市は「自治」により定義されてきたが、網野史学は「大規模な聚落」、「君侯の居住地」という点で、藤田都市論は「権力」という点で、それぞれ「自治」から都市の定義を解放するものであったとされた。その上で藤田都市論は、近代国家における都市の意味を説き明かすと同時に、都市における文化の意味にも注目するものであることを示すものであったと述べられた。こうしてウェーバー都市論からの解放を行い、より多彩な都市現象を捉える視覚を持つに至った藤田都市論が、公共性問題を考察するにあたり西欧型の「自治」を再注目したことも指摘された。「官=公」の図式への藤田の批判が、自治すなわち「住民の合議=公」への転換へと向かうというように、これからの都市と権力の関係についての構想力として、継承・発展の余地を持つということが語られた。
 最後に地理学からの観点ということで、長田進氏からの報告が行われた。都市社会学と都市地理学との強い関連性がまず指摘され、特に藤田都市論が「場所」についての多くのこだわりを持ったという点から、学的背景の違いをそれほど感じることもなく受容できたということが語られた。さらに、藤田都市論を特徴付けた「大きな物語性」とも言える問題意識や意味付けに、学的背景を越える魅力を感じたと述べられた。しかし、計量性や検証可能性という観点から考察した際、違和感が拭えない点が指摘された。
 発表に引き続き、土居洋平氏、石井清輝氏の二名をコメンテーターとして、多くの質疑応答が行われた。その中で、長田氏から指摘のあった検証可能性について、藤田自身が生前から自らの研究を「文学」と冗談交じりに評してきたことなどからも、実証主義的な指向性を犠牲にしてまで、論の生命力を大切にした藤田のスタイルが述べられた。また、熊田氏が言及された統合機関の権力への読み替えという点についても、その結果として藤田都市論は大都市中心の研究になり勝ちであったことが指摘された。それは「首都」の権力が圧倒的となった近代以降において「飢餓」「疫病」などから国民を保護する、近代国家の権力を語る際には有効であったかもしれない。しかし第三世界も含めた都市化が進み、国内外における都市間の連携が再編されるグローバル化された世界においても有効性を持つ権力論であるのかという疑問が呈された。常日頃、近代性に意を払っていた藤田ではあるが、同時に通文化・歴史貫通性への指向を持ち合わせており、この相反する二つの指向のバランスの上に、藤田都市論は成立していた。会場からの指摘にもあったM.フーコーの権力論や、布川氏が言及されたA.ネグリのマルチチュードについての議論も含め、近代国家の権力が飽和状態に至ったという時代診断と、再編され続ける都市間システムとの関係など、今後も多くの考察を要する問題が提起されたシンポジウムであった。


大会の様子
■ 関東都市学会 研究例会 を開催しました

【開催日時】 2010年3月13日(土) 15:00〜17:30
【開催場所】 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室
【プログラム】
報告1
「明治期における外国人の日本国内旅行 外国人向け旅行ガイドブックを中心に」
長坂 契那 氏(慶應義塾大学大学院 社会学研究科 後期博士課程)

報告2
「青山霊園肥前大村家墓所改葬にみる旧華族家墓所研究の意義と改葬問題−近年の東京都区部霊園再生事業に絡めて−」
石神 裕之 氏 (慶應義塾大学 文学部民族学考古学専攻 准教授)

【当日の様子

関東都市学会研究例会 印象記
石井 清輝(高崎経済大学)

 関東都市学会2009年度最後の研究例会は、3月13日(土)、歴史ある市政会館(東京市政調査会)にて開催された。本例会では、長坂契那氏による「明治初期における外国人の日本国内旅行―外国人向け旅行ガイドブックを中心に」、石神裕之氏による「青山霊園肥前大村家墓所改葬にみる旧華族家墓所研究の意義と改葬問題―近年の東京都区部霊園再生事業に絡めて」と題する二つの報告がなされた。
 まず、第一報告の長坂氏は、1867年〜80年までに出版された旅行ガイドブック、具体的にはN.B.デニス『中国・日本開港地案内』(1867年)、W.E.グリフィス『横浜案内』『東京案内』(1874年)、W.E.L.キーリング『旅行者のための横浜・東京…案内』(1880)年を資料として、日本への外国人旅行者の動向や、旅行のあり方の変化を探るものであった。その際のキーワードが、tourの語源に通じる「必ず戻ってくる」という言葉である。
当然ながら、旅行は出発地から目的地へ移動し、また戻ってくる往復運動を前提としている。氏は「戻ってくる」ための条件として、日本への航路、外国人居留地と遊歩区域・内地旅行権、回帰するべき欧米文化圏、安全・衛生、などをあげる。これらの条件が、報告が対象とする時期に整備されていったのではないか、というのが氏の一つの仮説であり、上掲の資料を通して考察が加えられた。
 『中国・日本開港地案内』には、1866年当時、既に定期航路が確立されていたことが航路表と共に示されている。しかし、この本は読者対象として、旅行者というよりも、商人や外国人居住者を強く意識しているものであったという。短期旅行者を主な読者層として想定した旅行ガイドブックがキーリングの書であり、ここから旅行者の質の変化を読みとることができる。また、『横浜案内』『東京案内』には、英語が通じる場所や安全確保・衛生面など、居留地の状態や日本滞在時の注意事項などが詳細に記されており、安全・衛生を保障するための努力がなされ、その条件が整備されてきたことを物語っている。これらの検討を通して、この時期に「戻ってくる」ための条件が整備され、短期旅行が可能になった、と結論づけられた。
 会場からは、仮説に対する疑問点の他、他の非ヨーロッパ諸国の状況との比較研究の必要性などが指摘された。また長坂氏からも、この時期に、後のいわゆる個人旅行の原型が生まれたのではないか、という仮説が今後の検討課題として示された。
 続く石神氏は、近代以降の埋葬墓制の実態を明らかにするために行われた、都立青山霊園の肥前大村家墓所に関する調査結果の報告を中心とするものであった。大村家墓所は明治15年、肥前大村藩主大村純熈墓所の構築以降、親族墓所が造立され、戦後の敷地整理を経て今日に至ったものである。当墓所は、「武家華族」の葬制・墓制の変化を知るために重要な事例とされる。調査結果として、埋葬施設内に木炭や漆喰を使用するなど、近世段階の大名墓形式を踏襲したものが見られること。また一方で、伸展葬が採用されているものもあり、近代の埋葬形態の一般化も伺われるものでもあること、などが詳細に報告された。
 氏は調査結果の報告と共に、都が進めている都立霊園の改葬が有する問題も指摘する。都は現在、都立霊園を公園化するための再生事業を積極的に進めており、青山霊園でもその一環として改葬が進んでいる。報告の大村家墓所も改葬の際に調査が行われたものであるが、ほとんどの墓は調査もされずに壊されてしまっている。近世墓だけでなく、近代墓も埋葬形態や死生観を知る上での重要な文化財と捉えなければならない。このような視点から、その調査の必要性、公園行政と文化財行政の乖離の問題、霊園再生事業における情報公開の重要性などを強く指摘された。
 会場からは、都の再生事業における政策転換の背景や、他の霊園に関する質問などがあった。また、墓の調査の際に大きな困難となる、プライバシーやその所有形態をどのように考えるか、活発に議論された。本報告から、近代墓制について学ぶと共に、霊園再生事業の実態を幅広く周知することの必要性や、保存・調査活動が緊急の課題となっていることも強く感じた。今後の議論の広がりを期待したい。

■ 関東都市学会 秋季大会を開催しました

関東都市学会2009年度秋季大会
開催日: 2009年(平成21年)10月31日(土)
開催地: 神奈川県横浜市
主催 : 関東都市学会

【概要】
10:00〜13:00 エクスカーション1(山手エリア・昼食を含みます)
13:15〜15:45 大会シンポジウム
16:00〜18:00 エクスカーション2(臨海エリア)
18:00〜19:30 懇親会

【大会シンポジウム】
テーマ バブル崩壊以降の臨港開発の変遷
          ―港湾利用の変遷と観光都市の創造―

コーディネーター 小林照夫氏 (関東学院大学文学部 教授)
パネリスト
堀 勇良氏 (元横浜開港資料館学芸員/文化庁文化財課長)
堀野正人氏 (奈良県立大学地域創造学部 教授)
増田文彦氏 (横浜市経済観光局 市場担当理事)
野原 卓氏 (東京大学先端科学技術センター 助教)
コメンテーター  中村實氏 ((株)浜銀総合研究所客員研究員、横浜ふね劇場をつくる会会長)

■関東都市学会2009年度秋季大会 エクスカーション午前の部 印象記
川浦康至(東京経済大学)
 集合場所の石川町駅。改札を出ると、一瞬目を疑うような光景が広がっていた。魔女やお化けに扮した子どもたちが集まっていたからだ。振り返ると、改札から出てくる人の中にも、同じような衣装の人たちがいる。今日はハロウィンの当日だったのだ。近くの人に聞くと、今日はここ山手で「ハロウィンウォーク」というスタンプラリーのイベントが開かれるという。
 これから始まる、われわれのエクスカーションが、このスタンプラリーのコースと同じとは、そのとき思いもしなかった。結果として、行く先々で、小さな魔女や妖怪、フランケンシュタインの群れに遭遇、ハロウィン人口のその多さにびっくりしたのは私だけではなかっただろう。
 さて、この日のコースは、石川町駅→イタリア山庭園(ブラフ18番館→外交官の家)→カトリック山手教会→フェリス女学院大学→山手公園(日本最初の「公」園)→テニス発祥記念館→代官坂上→ベーリック・ホール→エリスマン邸→山手234館→山手外国人墓地→アメリカ山パーク→元町・中華街駅→イタリアンレストラン・パパダビデ(昼食)と盛りだくさんだった。
ガイド役を務めてくれたのはハマ通の中村實さん。とにかく横浜事情に詳しい。どんな質問でも即座に詳しい説明をされる。オフレコだから、ここには書けないが、エリスマン邸裏にある山手80番館遺跡(ブラフ80メモリアルテラス」ではオフレコの話もしてくださった(ブラフは「切り立った崖」の意)。
 エクスカーションの途中、代官坂上では、石川町の由来も教えていただいた。この駅名は、ここに住んでいた横浜村名主(代官)石川徳右衛門に因んで付けられている。地名の重要性を再認識させられた。
 10月最後の日曜日、おかげで素敵な景観浴に浸ることができた。いつか、そぞろ歩きをしてみたい。そう思わせる魅力に満ちているのが山手という空間だ。

■関東都市学会2009年度秋季大会 印象記
工藤 富三夫(上越市創造行政研究所)

 関東都市学会2009年度秋季大会は、「バブル崩壊以降の臨港開発の変遷―港湾利用の変遷と観光都市の創造―」をテーマに、10月31日(土)に横浜市で開催された。日程は、午前に山手エリアのエクスカーション、午後にシンポジウム及び臨海部のエクスカーションである。エクスカーションはいずれも、中村實氏のご案内による。以下、日程順に印象を述べる。なお、要約にはなっていないので、ご了承いただきたい。
 山手地区は外国人居留地の面影を残す住宅・文教地区であり、エクスカーションでは洋館群を中心に回った。この日はハロウィンのイベントでどの洋館も子供やその親世代などでにぎわっており、この地区の異国情緒性を引き立たせていた。また、高台にあるため臨海部の街並みを見下ろすことができ、横浜が港町であることが自然に実感される地区でもある。
 地下鉄みなとみらい線で移動し、シンポジウムは関内地区の関東学院大学で開催された。コーディネーター小林照夫氏による趣旨説明の後、4名のパネリストからそれぞれ報告が行われた。各氏とも上記のテーマに対して独自の視点から事実の整理や考察を行っており、興味深い。
 堀勇良氏は、貴重な歴史的資料を交えながら、横浜港が歴史や観光資源としての価値に配慮しながら整備されてきた経緯を報告された。
堀野正人氏は、建造物等が港町を演出する記号群を創り出し、それらが総体として美化された「港横浜」の観光空間を構成しており、一方で本来港に付随する悪いイメージは「消毒」されているとの考えを提示された。この考え方に立てば、観光客は横浜の歴史や文化に触れているのではなく、テーマパークとしての港の消費者でしかないと言えよう。
 増田文彦氏は、港湾機能の多様化の要請を背景としてみなとみらい建設に至る過程を整理し、横浜の観光客は増加したが実際は訪問地が限られているなどの課題を示された。この課題は、テーマパーク化の論拠にもなり得るが、回遊性の高さが集客にも結び付いているのであろうし、臨海部での圧倒的な観光の強さは、横浜の個性化に資するものでもあろう。
 野原卓氏は、工業港としての横浜港の開発に着目し、京浜工業地帯が単なる生産の場ではなく、時には産業観光の対象であったり、また時にはレジャースポットと、その土地利用を変化させてきたことを明らかにしている。現在のように物流・生産機能とは切り離された観光空間のあり方が唯一のものではないとの視点が得られよう。
 以上の報告に対し、会場からは「地域の文化やアイデンティティの何を残し何を「消毒」していくかというまちづくりのコンセプトはどう作るのか」「横浜が都市として発展していくためには物流面でどのように国際的な役割を果たしていくべきか」などの質問が出され、活発な意見交換が行われた。
 全体を通じて、横浜の臨港開発の評価については直接的には結論を導いていないが、それを検討するための多角的な視点が提示されたと考えている。
夕方のエクスカーションでは、馬車道から赤レンガ倉庫、山下公園を経て中華街までを歩いた。これらの地区は、横浜の歴史が凝縮されている印象を受けるが、特に近年開発された場所については、専ら観光名所として演出されている印象も受ける。この日は土曜日ということもあり、新たに整備された「象の鼻」からの夜景を楽しむ観光客も多かったようである。内陸部に住む市民の感情の問題もあるようだが、港に投資が集中しているからこそ付加価値の高いサービスの提供が可能となっている側面もある。
 最後になったが、格別なご配慮をいただいた中村先生を始め皆様に対し、この場を借りて厚くお礼申し上げる。


エクスカーションの様子

大会シンポジウムの様子
■ 関東都市学会 春季大会を開催しました

関東都市学会2009年度春季大会
【開催日】 2009年(平成21年)5月30日(土)12:30-18:00
【開催地』 専修大学生田キャンパス 10号館3階 10315教室

■自由報告    12:30〜13:50 
金子 光 氏(ノースアジア大学)
「日本の予算制度改革と会計検査」
佐藤 充 氏(法政大学大学院)
「国内の立地動向と立地因子の再検討
         −企業誘致政策の再考に向けて−」
熊澤 健一氏 (中央大学大学院)
「地域活性化がもたらす「入会」の再構築」

■シンポジウム  14:00〜16:40 
「まちづくりを育ててゆく評価とは
              :まちづくりの持続、持続としてのまちづくり」

【解題・司会】 土居洋平(山形短期大学)
【報告】
朝比奈ゆり 氏(財)世田谷トラストまちづくり トラストまちづくり課主任
河上牧子氏 慶応義塾大学産業研究所 共同研究員
橋本正法 氏(特非)地域交流センター理事

【コメント】  朝日 ちさと氏(首都大学東京)、秋田典子(千葉大学)

【春季大会シンポジウム 企画趣旨】
「まちづくりを育ててゆく評価とは:まちづくりの持続、持続としてのまちづくり」
(企画担当研究活動委員:平井太郎)

 「まちづくり」という言葉が、人びとの口にのぼりはじめたのは、1960年代の大都市からであった。高度経済成長の下、各地で急激な都市開発や、それにともなう住環境の悪化が目立ってきていた。それは、産業や国家に主導された環境の変貌でもあった。それに対して、地域住民が、自らの住環境の変化に、より積極的にかかわる方向性が、「まちづくり」では目指されようとしていた。
 以後、その方法論は、住民参加から参画、さらには協働と展開し、住民の役割はますます大きくなってきている。その一方で、「まちづくり」の範囲は、建築環境の改善にとどまらず、福祉の充実や防災・防犯、自然環境の保全や再生、地域の産業活性化や観光の振興にいたるまで、広汎にわたりつつある。そのように、運動の包括性が高まり、利害関係者が複雑化するのに応じて、今日、その「評価」の重要性が増してきている。多様な主体、多様な次元に共有される、一定の客観性をもった指標が、求められているのであろう。
 現在、そうした指標には、2つの有力な選択肢が示されている。1つは、公益性の名の下に、均等であること、均質であることが依然、重視されている。だが、結果として、「まちづくり」が本来、含んでいた豊かさが、ネガティヴ・チェックにかけられ、殺ぎ落とされる懸念も拭い去れない。2つには、効率性の観点から、コスト・パフォーマンスにも関心が高まっている。そこでは、多くの場合、貨幣価値への換算が行われ、やはり、「まちづくり」の視野の広がりが、一つの次元に縮められている。
 これらに代わる対抗的な価値や指標を提示することは、それほど難しいことではない。しかし、「まちづくり」を対抗的な運動に転換してゆくのは、その40年の軌跡からすると、ある種の後退現象でもある。「まちづくり」は、当初、先鋭化した利害対立から出発したが、徐々に、そうした対立を超えて、地域にかかわる多様な主体や次元を、包括する運動に展開してきたからである。
 また、一方で、公益性や効率性による評価から零れ落ちる要素を、あらためて議論することも難しくない。ただ、そうした論点は、あくまで、公益性や効率性が絶対的な指標であることを前提としたうえでの、補完的なものにとどまるであろう。
 こうした隘路をくぐりぬけるのは容易ではない。そこで、今回の討論では、比較的、長いスパンで、「まちづくり」を持続している現場に、手がかりを求めたい。そうした現場では、自らの運動の「評価」について、さまざまな摸索が重ねられ、その摸索のうえに、現在の蓄積が築かれていると考えられるからである。
 逆に言えば、「まちづくり」に今、問われているのは、時間の厚みや奥行きでもある。公益性や効率性といった指標には、基本的に時間や歴史の観念が含まれていない。公益性や効率性が実現されるとしても、そこには本来、少なからぬ時間が介在しているはずである。また、時として世代を超えて、ようやく公益性や効率性が実現されるように見える場合もあろう。さらに、公益性や効率性の内容すら、時期や状況によって同じだとは言えまい。
これに対して、「まちづくり」の豊かさは、それが、40年という時間を経て、徐々に見出されてきたように、一定の持続のうちにこそ宿るのではあるまいか。この視点は、運動の主体とされた住民や市民の側にも、問いを投げかける。あなたの満足や充実感のうちに、過去や未来の人びとの思いが、どれだけ想像されているのかと。
 こうした問題意識の下に、今回の討論では、「まちづくり」の持続的な展開から見えてくる評価のあり方と、また逆に、そうした評価からあらためて見通されてきた、まちづくりのあり方について、イメージを膨らませると同時に、論点を明確にしてゆきたい。つまり、まちづくりと評価とを切り離して捉え、まちづくりの独自な価値を主張したり、評価の方法の精緻化を目指したりするのではなく、まちづくりにポジティヴなフィードバック効果を与える評価のあり方や、逆に、評価という視点を組み込んだときに見えてくる、持続的な営みとしてのまちづくりのイメージを、この討議では引き出したいのである。

【関東都市学会春季大会研究発表・シンポジウム(2009.5.30)の記録】

関東都市学会 春季大会印象記 (自由報告編)
千草 孝雄(駿河台大学)

 2009年5月30日、関東都市学会が専修大学において開催された。ここでは自由報告部門の3報告に関して雑感を述べたい。
金子 光氏(ノースアジア大学、旧秋田経済法科大学 専任講師)の「日本の予算制度改革と会計検査」と題した報告は、我が国の一般会計予算の硬直的な歳出構造を、橋本内閣の行財政改革や小泉内閣の「聖域なき構造改革」における予算編成過程を事例にしつつ、客観的な財政データの解析を基に実証的に分析している。
 具体的には、橋本内閣の下で成立した「財政構造改革法」や、その後の「中央省庁再編」が、縦割り行政の構造的な問題までをも改革するには至らなかった点を、予算編成の概算要求基準段階・決算段階などについて官庁別に詳細に実証分析しており、ファクト・ファインディングとして大変興味深いものであった。また、小泉内閣の予算編成過程の分析においては、歳出構造の大胆な見直しが模索されたにも関わらず、交付税特別会計など特別会計を活用した「隠れ借金」の手法が駆使され財政の透明性が後退した点や、公共事業関係費の硬直的配分の抜本的是正には至らなかった点を解明している。
 国の債務残高が過去最大の860兆円を超える現在、財政の持続可能性を維持することが喫緊の課題であるが、金子氏は財政規律の観点から政策評価に着目し、政策分析の手法である費用便益分析や財政の持続可能性に関する「ドーマーの定理」など、ミクロ経済学・マクロ経済学の理論を用いて論旨展開を行っている点も評価に値する。
金子氏は、外務省において「政策評価の実施に関するガイドライン」の策定や欧米先進国の政策評価手法に関する調査に携わっており、そうした実務経験が報告内容に説得力を与えたものと感じた次第である。
 佐藤 充氏(法政大学大学院)の「国内の立地動向と立地因子の再検討」は、企業誘致政策について、三重県のシャープ亀山工場に焦点をあてて検討を加えたものである。まず佐藤氏は、工場立地に関する先行研究について検討を加えている。第一に立地決定において知識・技術を重視した場合に、いかなる地域を選択するのかは従来の理論だけでは十分に説明できない。第二に、現状では、立地要因として知的資産の重要性を触れるも部分的な把握にとどまり、概念の整理や場所の指向性の分類といった体系的な視点での議論は進んでいない。
 以上を踏まえシャープ亀山工場に関し次のように考察している。第一に、工場立地において、交通インフラや補助金は必要条件であるが、十分条件とならない。第二に、大規模な設備投資であったことから、地域経済に与えた効果は大きかった。特に、亀山市の地域経済に関して、新工場建設による新たな雇用創出が常住人口の増加をもたらし、企業業績の向上により法人税収が大幅に増え自治体財政が好転した点は、今後の地域経済政策を考察する上で参考となる報告であった。
 熊澤 健一氏(中央大学大学院)の「地域活性化がもたらす『入会』の再構築」は、中山間地域における生活基盤である農業集落の共同体的機能を失うことなく、自然環境の維持・管理が可能となる「入会」の再構築に向けた方策を検討したものであった。特に、現在の人口減少社会における地域振興、さらには持続的な経済発展の可能性をも模索した考察は大変興味深いものであった。
 また、入会林野に見られた「総有」という所有・管理形態は、現在、「コモンズ論」の立場からも現代的な意義が評価されつつあり、入会林野の近代化、特に所有権の私権化へのアンチテーゼとして大きな社会的な意味を持つに至っている。熊澤氏は、この「コモンズ論」を援用し、入会林野がいわゆるコモンズとして対象化されるのではないかと捉え、如何にしてその機能を継承・保全するかの課題を阿蘇牧野組合の事例などをも基に多面的に分析しており、今後の「入会」の再構築の方向性を検討する上で
参考になる報告であった。
 以上の3報告とも大変貴重な内容であり、関東都市学会の活動にふさわしい学際的なものであると感じた次第である。

関東都市学会春季大会 印象記(シンポジウム編)
加藤壽宏(関東学院大学)
 学会春季大会のシンポジウムは「まちづくりを育ててゆく評価とは:まちづくりの持続、持続としてのまちづくり」と題して開催され、活発な議論が展開された。企画趣旨は平井太郎氏(土居洋平氏が代役)から説明がなされた。平井氏によると、「まちづくり」という概念は高度経済成長下の1960年代に産業や国家主導による都市開発に伴う住環境の変貌に対する地域住民自らの危惧から生成してきた。その後、地域住民の役割は増大し、「まちづくり」の概念は住環境整備に止まらず建築環境の改善、福祉の充実や防災・防犯、自然環境の保全や再生、地域の活性化や観光の振興にいたるまで、多種多様な住民参加型の活動に発展してきたという主旨のことになる。今回のシンポジウムの3氏のパネリストは、実際に地域住民としてまちづくりに参加し、まちづくりを育てていくなかで、「評価」というものがまちづくりに組み込まれている事例に関しての報告をした。
 まず、朝比奈ゆり氏は、東京都世田谷区における「公益信託世田谷まちづくりファンド」についての報告をした。朝比奈氏によると、「公益信託世田谷まちづくりファンド」が市民主体のまちづくり活動に対して、毎年総額500万円を助成する事業として1992年に開始したとのことである。その原資は区民や企業からの寄付、行政等の出資金が基になっている。助成は「世田谷区を対象とした、住みよい環境づくりにつながる活動」を対象とし、モノづくりや環境づくりなど幅広い方面におよんでいる。これで16年間に200を越すグループ活動を支援した実績を有している。助成の評価基準は、その活動が将来にわたって地域の住みよい環境づくりに貢献しているかどうかにある。例えば、市民緑地、小さな森、地域共生のいえ、まちを元気にする拠点、緑地・公園・都市林、特別保護区、文化財等が保全された身近な広場などが、その対象となっている。
 河上牧子氏からは、横浜市地域まちづくり推進条例にもとづく「ヨコハマ市民まち普請事業」を通しての報告があった。横浜市では平成17年10月から「地域まちづくり推進条例」に基づく市民に身近なまちを、市民と市が一緒に考え、つくり、育てることを推進する協働まちづくりの実現にある。そのための助成は、地域特性を活かした施設整備提案を2段階に分け、公開審査をして、最高500万円の整備助成金を交付するものであった。17年度提案数は31件、採択数7件、18年度提案数は20件、採択数5件、19年度提案数は10件、採択数5件、20年度提案数は10件、採択数4件である。その審査の評価基準は、創意工夫、実現性、公共性、費用対効果、発展性などにある。
 橋本正法氏は地域交流センターの活動を通して報告を行った。「センター」は産官学民の各分野の有志が集まり環境問題を出発点にまちづくりに関わる情報や意見を検討し、実践活動に反映させるために1976年4月に発足した組織である。この「センター」の活動が日常化したことによって、日本リサイクルネットワーク会議、日本エコライフセンター、日本トイレ協会、まちの駅連絡協議会、全国首長連携交流会、提言・実践首長会、全国Eボート連携協会(川の駅)、全国水環境交流会、インフラックス研究会など、様々な組織体が生まれ、各方面で活動している。
 以上3氏の報告に対して、コメンテーターとして朝日ちさと氏と秋田典子氏の2氏が発言した。朝日氏は政策評価の目的と機能について補足説明を行った。また、秋田氏は制度上の問題としてまちづくりには効率性と非効率性の部分があることを指摘した。さらに、フロアからは理念と技法だけでまちづくり論が進められていて、実際のまちづくりの現場との乖離があるのではないのかという意見があった。
 3氏の報告は実践を通して積み上げてきた成果の結集であり、大いに参考になった。また、コメンテーターやフロアからの意見があがった点は、パネリストの論旨をより整理する上で重要に思われた。評価の対象が助成金の交付が目的となってしまっている点などはその一つである。
 今回の議論は、まちづくりの対象が狭義になってしまい、広義に対象を広げていくことも課題となる。つまり、都市形成、行政との関連なども大いに検討すべきことである。住環境問題、社会福祉、少子・高齢化社会、防犯・防災、商店街活性化、過疎地、地域経済再生などを行財政に一任するのではなく、住民参加・主体で行う運動が重要である。兎角、行財政のスリム化に伴い、まちづくりの名の下に行財政の役割を住民に転嫁する傾向がある。行財政を動かしたり、或は監督したり、行財政と住民とが連携していくことが重要である。また、連携していくには、住民の合意形成の度合いが評価基準になるのではないだろうか。それには、時間がかなり必要になるが、住民への周知と運動に対する説明責任とそれに伴う同意への努力と熱意が肝要で、そうしたネットワークを構築していくことだという印象を抱いた。

■ 関東都市学会 研究例会を開催しました

【関東都市学会研究例会】
【開催日時】
2008年3月14日(土) 15:00〜17:30
【開催場所】
財団法人東京市政調査会 5階第1会議室
【プログラム】
報告1 「地域における観光政策の課題と展望」
熊澤 健一 氏(中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程)
報告2 「釜石市のグリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティ」
大堀 研 氏 (東京大学社会科学研究所特任研究員)

【当日の様子:印象記から】

例会参加記
石神 裕之(慶應義塾大学)

 平成20年度関東都市学会3月例会では、例年同様に2つの報告があった。そのうち第一報告に関する概要と、第二報告も含めた若干の所感を述べることにしたい。第一報告は熊澤健一氏による「地域における観光政策の課題と展望」であり、第二報告は大堀研氏による「釜石市のグリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティ」の二題である。
まず前者の熊澤氏の発表について概要を述べたい。高度成長期以降、1990年代までの地域振興政策は、大都市が担ってきた諸機能の分散・展開を図るものであったのに対して、今後の地域政策では地域固有の「資源」を軸として、住民アイデンティティの新たな形成を促進しつつ、横並びでない独自の地域振興を図ることが必要であると指摘する。そして具体的対象として、いわゆる「中山間地域」と呼ばれる範囲に位置する地方中小都市に焦点を絞り、昨今話題のエコ・ツーリズムなど観光開発の視点から、地域資源を活かした内発的発展を目指すとともに、都市と地域との連携関係を構築する必要性を指摘した。
地方都市の活性化において、観光が政策的な中軸をなすのは今日に始まったものではないが、熊澤氏が指摘するように観光事業が観光主体である観光客を十分意識しないまま進められ、開発先行の観光政策が展開してきた。熊澤氏はそうした問題点を地域と都市域の人的交流のなかから克服することを提言している。即ち、単なるエコ・ツーリズムではなく、自然環境の保全・整備などを観光者としての都市住民とともに地域社会が進めていくことで、観光資源化のみならず新たな文化、産業が創出され、内発的発展への基礎が構築されることを氏は期待している。
 熊澤氏の念頭にある中山間地域の地域資源とは、例えば林業や農業といった第一次産業の生産拠点である森林や耕作地などであると思われるが、そうした産業構造を基礎として、観光を取り入れることで、少数人口の中で自然と共生しつつ、付加価値の高い生産システムを構築しようとする考え方に着目する姿勢は評価できよう。また単に交流人口の増加と施設整備を進めるのではなく、観光を軸に、地域住民と都市民との連携を挙げる点も興味深い。他方、留意せねばならないのは、ここで「自然」とされるもののほとんどは「人為」による「人工」のものであり、地域資源として挙げられるものもまた、人間が介在した結果創られたものであるということである。むろん熊澤氏も理解しているからこその提言と思うが、そうした人工の「環境資源」を作り出した林業や農業の振興こそが、それを資源とした観光にも直結するのであり、産業政策と地域振興の総合政策たりえるのである。
 さらに第二報告の大堀氏の報告も含めて、若干のコメントを述べるならば、資源評価という点で、地域内部の評価と外部の評価の喚起は、容易なようで難しい課題である。例えば森林や耕作地、あるいは林業、農業のあり方は、地域内部では日々の暮らしそのものであり、いわば「生活資源」としての評価されるものであるが、外部からは非日常的体験としての「文化資源」として捉えられよう。こうした評価軸の違いを想定しておくことも、地域資源の発見と活かし方のなかで重要となろう。加えて、しばしば地域住民は身近な価値に気づかないといった論調を目にするが、実際には気づいていても経済的有用性や外部で低い評価がされるがゆえに、その価値を低く捉えてしまうだけではないか。自らの価値を無視せざる得ない構造が地域社会や地域政策の中であるとするならば、誠に不幸なことといわざるを得ない。
 地域に活きづく資源とは、経済性や有用性、他地域と異なる独自性という側面ばかりではなく、地域の日々の暮らしや環境にこそ保たれるものであるという、ごく自然な事実を理解さえすれば、地域の資源を活用した観光や地域振興のあり方は、どこか作り物めいたよそよそしいものではなく、もっと地域に根ざした実体の伴うものになるのではなかろうか。なお、各氏の発表内容については、筆者の見解であり、誤読・誤解などがあれば、すべて筆者に責がある。

関東都市学会研究例会印象記<第2報告>
飯嶋誠一郎(法政大学大学院博士後期課程)

 平成21年3月14日、関東都市学会研究例会が財団法人東京市政調査会において開催された。2つの報告があり、2つとも地域の観光がテーマであった。ここでは第2報告の大堀研氏「釜石市のグリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティ」について雑感を述べたい。
 観光立国推進基本法が2006年に制定されるなど、近年観光が注目されている。その注目は、観光が地域の経済的再生ツールとして、また地域の個性創出や地域への誇りや愛着の涵養のツールとして捉えられていることによる。このような傾向には、どのような問題と可能性があるのか。このことを検討することが報告の目的であり、岩手県釜石市で推進されているグリーン・ツーリズムの事例をもとに論じられた。
 釜石市の現況として、人口の減少、高齢化の進展、経済の停滞、財政の悪化、観光客の減少がある。この中で、釜石市役所は、観光を主要な産業として捉え、地域経済への波及効果を促進しようとしている。釜石市において、グリーン・ツーリズムが本格的に開始されたのは1998年で、農業体験、漁業体験を特色とした観光を推進し、修学旅行などを受け入れて一定の成果を出している。しかし、農業体験などの担い手の高齢化のほか、「鉄のまち」のイメージが強く観光地としてのイメージが弱いこと、財政難によって観光資源の整備が不十分なことにより、観光が地域の経済的再生ツールとは成り難いことを指摘している。
 それに対して、グリーン・ツーリズムが地域の個性創出や地域への誇りや愛着の涵養のツールとしては有効であるとしている。ローカル・アイデンティティ、すなわち「地域らしさ」の構築には、地域の自然、文化、歴史を資源として活用し、学びや楽しみのプロセスでもあるグリーン・ツーリズムが適しているとしながらも、釜石市の現状は「鉄のまち」のイメージを「自然」と有効に結びつけるなどのイメージの更新はなされていない。しかし、今後のローカル・アイデンティティの更新に期待できるとしている。一方で、ローカル・アイデンティティやそれへの誇り・愛着の強調は、地域活性化を意識の問題のみに収斂して社会・経済構造の問題を減免してしまう恐れがあると指摘し、さらに、何を愛すべきかあらかじめ決めてしまうような「地域全体主義」に陥らないように、ローカル・アイデンティティを固定的に実体化せずに「常に形成され、変化し続ける」ものと捉えることの重要性を指摘している。
 参加者からは、釜石市において地域活性化のための有効な地域資源が見つかっていないことや地域おこしの市民の存在のことなど、釜石市の現状について質問があった。さらに、グリーン・ツーリズムが、ローカル・アイデンティティに影響を与え、地域活性化のために地域の固有性、内発性を発揮させ、価値観の転換にまで至るにはどうしたらよいか、など今後の展開についても話し合われた。本報告は、どの地域においても関心が持たれ、なおかつ頭を抱える地域活性化というテーマを、グリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティという観点から論じたものであり、たいへんに興味深いものであった。

■ 関東都市学会 秋季大会を開催しました

関東都市学会2008年度秋季大会のご案内
【開催日】 2008年(平成20年)11月22日(土)
【開催地』 千葉県流山市
【主催】 関東都市学会  
【後援】 流山市

【エクスカーション】 テーマ「都心から一番近い森の街・流山を歩く」
【大会シンポジウム】
テーマ「近郊都市の魅力を探る」
会場  江戸川大学 総合福祉専門学校 F101番教室
 基調講演「都心から一番近い森の街・流山を創る」
  流山市長 井崎義治氏
 シンポジウム「近郊都市の魅力を探る」
  コーディネーター 井上繁氏 (常磐大学)
  パネリスト
  國原浩氏  (東神開発(株) 代表取締役)
  ※ 郊外型ショッピングセンターの魅力づくり
  西田良三氏 (流山市 マーケティング課長)
  ※ 流山市のブランド化
  檜槇貢氏  (弘前大学 教授)
  ※ コンパクトシティの進展と近郊の課題
  大矢根淳氏 (専修大学 教授)
  ※ つくばエクスプレスがまちを通る
    ―社会学的調査「社会調査演習・実習」で把握できたこと―

<大会・シンポジウム解題>
 流山市は、典型的な東京の近郊住宅都市として発展してきた。従前から、江戸川の沖積低地面に展開する水田および背後の洪積台地面に展開する森林と畑地という旧来の地域社会と、東武野田線・総武流山線・JR武蔵野線沿いに展開する新興住宅地域との対比が鮮やかであった。
 しかし、中心商業地区の地盤沈下が深刻化し、住宅開発の指向が野田線沿線から、「TXつくばエキスプレス」(2005年8月開業)沿線に移ったことにより、根本的な都市構造の転換を迫られている。周辺都市との地域間競争も激しさを増している。近隣の越谷市では、延床面積37万平方メートルを擁する国内最大のショッピングセンター「イオンレイクタウン」(10月2日開業)を中核施設としたまちづくりが進みつつあり、三郷市でも「新三郷ららシティ」の建設が進んでいる。
 こうした中で、個性豊かな地域性を持続しながら魅力溢れるまちづくりを進めていくにはどのような将来像が必要となるのか、そしてこれを実現するにはどのような発想・仕組み・取組みなどが必要となるのか、様々な視点から、問題の所在を含めた議論を深めることが求められている。シンポジウムでは、近郊住宅都市という古くからの都市類型のなかで、流山が創造すべき魅力的なまちづくりの方向性を整理していきたい。

■2008年秋季大会:流山市「近郊都市の魅力を探る」 印象記
大内田鶴子(江戸川大学)
 2008年度の関東都市学会秋季大会:テーマ「近郊都市の魅力を探る」、が11月22日(土)に開催された。流山市の後援のもと、午前中は市長自らのご案内で「都心から一番近い森の街」を視察した。午後は江戸川大学総合福祉専門学校のホールに会場を移し、つくばエクスプレス沿線の都市開発について議論を交わした。
 流山市は近年まで農村部の多く残る数少ない近郊都市である。水田・畑・森林と屋敷林に囲まれた農家が点在している。駅名「流山おおたかの森」が示すように、貴重な自然が残されている。住宅開発は武蔵野線、東武野田線の沿線に行われ、駒木原と呼ばれる市域の真ん中には豊かな自然が残っていた。このエリアを縦断して野田線と武蔵野線と直角に交わるようにTXが整備されることによって、東西南北の交通がネットワークされ、流山市は都市構造の大転換を迫られることとなっている。開発の進行する只中にキャンパスのある江戸川大学において行われたシンポジウムでは、新たな都市の魅力の創造過程として、都市開発に携わられている様々な立場の方から発言をいただいた。
 TX沿線都市開発は首都圏の長い開発の歴史の中でも、2000年を越えてからの新しい取り組みであるといえる。井崎市長は、マーケティング課を新設し、TX沿線の新都市づくりの都市間競争に臨んだ。流山市の資源である自然を活かしたブランド戦略を構想し、共働き・子供あり夫婦の居住地としての開発を進めている。一般的には地方公共団体の都市政策は全ての市民に喜ばれるように「だれでも何でも」戦略に向いがちであるが、流山市のTX沿線開発はターゲットと目的を明確にしている点で新しさを感じることができる。
流山おおたかの森ショッピングセンターの開発を担当した東神開発代表取締役國原浩氏は、  人口減少、不動産価値の低迷、工場立地の困難な経済・社会状況の中で沿線の開発地が、皆同じように商業で戦わなければならない条件の厳しさを述べた。流山市では、若い夫婦をターゲットとしたエコ・ブランド戦略、グリーン・チェーン戦略でガーデニングクラブや送迎保育ステーションと連携した駅前の賑わい創出の工夫を重ねている。
 弘前大学の桧槙貢氏は、自然環境の保護への取り組み方について、おおたかのような、守るべき価値が明確に見えていることで、マーケティングという新しい手法を効果的に取り込むことができていると評価した。遠隔地からの視点でみると、流山市は資源や条件に大変恵まれていて羨ましいが、これまで市の歴史をつくってきた市民の支えが十分に認識されておらず、生かしきれていないこと、予算の投入面での工夫が足りない、など意見を述べられた。
 いまだ交通の計画段階の駒木原で、常磐新線反対運動が繰り広げられていた時期に、江戸川大学で教鞭をとっておられた大矢根淳氏は、都市開発の「際=キワ」に取り残される人々の存在について意見を述べられた。TX沿線開発は土地区画整理事業によって実施されたが、複雑な制度を関係住民に周知徹底できないまま施行段階に入り、行政と住民のコミュニケーションの行き違いや政治政党の介入によって、合意形成が困難になった。少なからず「犠牲者」を生み出した開発の裏面について示唆をいただいた。
 なお、江戸川大学は土地区画整理事業を受入れなかった集落に隣接していたため、キャンパス周辺は現在も緑豊であり、昔の面影の残る集落の小道を通学に使わせていただけていることを、新たに学ぶことができた。

■秋季大会印象記
麦倉哲(早稲田大学地域社会と危機管理研究所・客員研究員)

 2008年度秋季大会は流山市諸施設と江戸川大学を舞台に開かれ、「都心から一番近い森の街」というスローガンを掲げる流山市が推進する、近郊都市活性化の施策をめぐって、活発な議論が展開された。
 午前中のエクスカーションでは井崎義治市長自ら案内役を務め、午後の基調講演でも、市長の掲げる、流山市活性化政策のポイントが紹介された。学術研究・交流のために、まる一日のスケジュールをとっていただいた市長には感謝したい。ここでは、講演やシンポジウムで語られた流山市の都市戦略のポイントと論争点を私なりに整理し、大会の印象記としたい。
流山市の都市活性化戦略の根幹は、今後、流山市に転入してほしい住民象を、鮮明に描いていることである。その第一の特徴は、DEWKSである。共働きで子育て時期を迎えているファミリー層である。その第二は、住環境の質やエコロジーに関心をもつライフスタイル層である。
流山市は、つくばエクスプレス(TX)の敷設を契機として、都心からの空間的配置が激変し、急激な市街化開発と人口増が見込まれている。全国の自治体が縮小化の課題を抱えているのとは正反対に、自治体の人口規模と財政規模の拡大に対応していくことが予測される。一見して、うらやましい自治体である。
 市長はこれを契機にとらえ、ただでさえ開発が進み人口増が見込まれる地域であるだけに、この市場をたくみに誘導しようとしている。共働きの子育て環境の整った街、エコに配慮した居住環境の質の高い街という線で、イメージアップを図っていることである。しかし、こうした政策を推進するにしても、基礎的自治体が管轄する権限の範囲も予算も限られているので、民間の開発事業者と連携し、市のイメージ戦略に沿った市場誘導をはかろうとしている。
 その第一が、駅前再開発事業であり、その象徴ともいえる、流山おおたかの森駅前の、ショッピングセンターに、1ランク上のテナントを誘導するように指導し、DEWKSファミリーを意識して託児送迎ステーションを整備し、駅前デパートには子供連れで出かけやすいようにベビー休憩室やキッズルーム付きのレストランを配置するように誘導している。休日も開業する市の出張所もある。筆者は、学会の2週間後、妻と一緒にゼロ歳児を連れてここを訪問したが、ベビー休憩室はとても使いやすかった。難点は、サインが分かりにくいこと。
 その第二が、グリーンチェーンという戦略で、市街地開発が地球温暖化を促進することがないように、建物の周りには建物よりも背丈の高い樹木を植えるように奨励している。こうした条件を満たすには、一戸当たりの宅地面積も小さくできないのでコスト高となる。しかし、そうした家並みが、資産としての価値も高めていく。開発事業者を強制することはできないが、市は評価ランク(グリーンチェーン認定・三つ星)を与えることにより、誘導している。
 市が想定する住民は、ある程度裕福なファミリーである。そうしたファミリーを誘致することが、市の住民税収入の増加に貢献するという想定を市はしている。市の戦略は、行政コストを一定限度に抑えつつ、将来の財政状態の安定化を見込んでいる。ばら色のようである。
 シンポジウムでは、衛星都市という位置づけで市の発展象を描いてよいのか、市の財政はこれまで危機的であったが職員人件費などご今後どうしていくのか、常磐新線に反対していた住民は開発政策に満足していないのではないか、グリーンチェーンと防犯の環境整備とのかねあいはどうか、外部からのブランド事業者誘致ばかりでなく地元の事業者の活性化策はどうなのか、などの論議や質問が出された。
 今後の流山市の政策展開に注目が集まる。最後に。会場を提供してくれた江戸川大学には感謝したい。


大会シンポジウムの様子

エクスカーションの様子

■ 関東都市学会 研究例会を開催しました

【関東都市学会研究例会】
【開催日時】
2008年9月20日(土) 15:00〜17:30
【開催場所】
慶応義塾大学三田キャンパス 南館5階D2051会議室
【プログラム】
報告1 「地域における異文化の受容
―GHQ職員ブレイクモアの生涯とあきる野市との関わりについて」
飯嶋 誠一郎 氏(あきる野市役所/法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程)
報告2 「プライヴァシー概念の導入と変遷」
杉平 敦 氏(東京大学 大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻 博士課程)

【印象記】

関東都市学会研究例会 印象記 <第1報告>
石井清輝(城西大学)

平成20年9月20日、関東都市学会研究例会が慶応大学において開催された。ここでは、飯嶋誠一郎氏、「地域における異文化の受容―GHQ職員ブレイクモアの生涯とあきる野市との関わりについて」の報告について雑感を述べたい。
 報告では、トーマス・ブレイクモアの生涯に関する詳細な解説と、ブレイクモアとあきる野市との関係を踏まえた異文化受容のあり方、地域興隆の方法についての考察がなされた。ブレイクモアは、1915年にアメリカに生まれ、日本の憲法と法律の研究をするために1939年から1941年まで日本に滞在した。終戦後の1946年には、アメリカ国務省の外交官助手の一員として再来日し、GHQ民生局への移籍後は日本の法律整備に携わった。勝者であるアメリカとその支配下にあった日本とでは、歴然とした力の差があった。アメリカ法を押し付けることが日本の民主化につながると考えるGHQに対し、日本の将来を案じ、日本の良さを理解するブレイクモアは、日本にとって最善の道を選ぶため両者の調整役を担っていた。そのため彼は、「ジャップの助っ人」と罵倒されたという。占領終了後は、弁護士として欧米企業と日本の仲介役として活躍し、フライフィッシングの釣り場、果樹栽培の実験農場などをあきる野市に開設し、1988年の離日まで日本人との交流を続けたという。勤勉で努力家でありながら、ユーモアと周囲への気遣いを忘れないブレイクモアの人柄が浮かび上がる報告内容であった。
 異文化受容と地域興隆のあり方については、主にブレイクモア個人の取り組みとあきる野市との関係を中心に報告がなされた。まず、ブレイクモアがあきる野市に1955年に開設した養沢毛鉤専用釣場では、入場料の1割を地元自治会に還元するという仕組みが守られた。ここから、ブレイクモアに頼らず、自分たちの自治会で釣り場を経営していこうとする自立心が形成されていった。但し、運営形態や収益金の使用法については自治会内でも議論されているところだという。ブレイクモアは、1976年に農事試験場(兼別荘)も開設している。この試験場は、実業界、法曹界、研究者、学生などが多く訪れ、交流の場として機能していた。地域興隆という観点からは、釣場と試験場が運営者を替えて引き継がれており、人や情報の交流、発信の場になっているという。最後に、これらの遺産が、出会いを形作り互いの理解を深める場として、地域興隆の基盤を形成するのではないか、という今後の展望が述べられた。
 ディスカッションにおいては、まず、異文化の受容過程を、既存の地域文化との葛藤や緊張を持った動態的な過程として把握することができるのかどうか、その方法論にはどのようなものがあるか、という問題提起がなされた。また、海外の日本研究者の個人史を描く際にしばしば用いられる、公定的な歴史像に関する問題などが議論された。
 報告を伺って、異文化受容や地域興隆を考える際に、中心となるリーダーの個人的資質を理解することの重要性を再認識した。また、リーダー層のパーソナリティの分析に加え、当該地域が有する文化の変容過程や、地域興隆を通じた新たなつながりの生成過程などを伺いたいと感じた。他の地域社会の事例との比較分析やリーダー層の類型化など、今後の展開の可能性を示唆する貴重な報告であった。


関東都市学会研究例会印象記 <第2報告>
中村千恵(飯能市役所)

 去る9月20日の研究例会の第2報告、杉平敦氏の「プライヴァシー概念の導入と変遷−1903年以来の居住の理念−」について、その概要と雑感を記すこととする。
 今回の報告で杉平氏は、そのねらいを戦後の住宅政策で唱えられた「プライヴァシーの確保」という目標がその当時と現在とではどのように異なっているのかを明らかにする、としている。
 その際、ここでプライヴァシーを取り上げるにあたり注意すべき点は、現代を生きるわれわれの生活を支える理念がいつの時代、どのような社会的背景から登場し、当時の人々が目指したものとはどのくらい異なるのかについて明示することにより、どのような差異が生じているのかわかるというものであった。
 「プライヴァシー」というととかく戦後のものと考えられがちであるが、日本住宅史上で「プライヴァシー」という言葉が用いられた最初期の例として、杉平氏は1903年に『建築雑誌』に掲載された滋賀重列の「住宅(改良の方針に就て)」があることを指摘し、その滋賀の言葉を引用することによって、ここで扱う「プライヴァシー」の概念について考察している。さらに、その言葉の意味とその内容について時代の流れとともにどう変わっていったのか、を具体的な図や引用を交えて見ている。結論を言うと、氏は戦前、戦後、現在に至るまで住宅を論ずる際に用いられる「プライヴァシー」という言葉の意味は変わっておらず、その確保される主体だけがそれぞれの時代背景とともに変化していっただけではないか、と述べる。
 それを論証するために、20世紀全体を5つの時期に分割し(具体的には第1期を1915年前後、第2期を1920年前後、第3期を1923年前後〜1955年前後、第4期を1960年前後〜1970年前後、第5期を1975年前後〜に分割)その時期の特徴を見ていき、それによって論拠を示した。「プライヴァシー」の意味自体はこの100年の間同一の枠内を揺れ動いていただけではなかったのか、と氏は結論付ける。
 当日、会場内では「今回の発表で居住者層を公営住宅に限定したのはなぜか?」「プライヴァシー概念は東京全体ですべておなじであったか?」「プライヴァシーと家屋の間取り設定についてどう捉えているのか?」「子供部屋の独立化は本当にプライヴァシーの確保につながるのか?」等々さまざまな議論・質問が出された。また、本発表の根幹である「プライヴァシー」の意味については、滋賀の論にあったような意味は元々英語にはない、との指摘もあった。
これらに対する氏の回答としては、個人所有住宅には触れず対象を公営住宅に限定したこともあって、明確な答えは得られなかった。また、プライヴァシーの概念は東京の中でも地域差があるかもしれない点や、子供部屋の独立はある意味商業用の販売促進に乗せられてしまったのも否めない点等も含め、氏の今後の展開に期待したい。
また、本発表ですばらしかった点は、今日我々の生活の中でプライヴァシーが声高く叫ばれる中で、その生活スタイルを住居の形態という観点から追求するというきわめて斬新な視点を提供している。
 今回会場内で出された意見も踏まえて、今後本報告が大きな広がりを持ったものになっていくことを大いに期待される。

■ 関東都市学会春季大会が開催されました

【日 時】    2008年5月31日(土) 13:00〜17:20
【場 所】   玉川大学  大学5号館 2階 249教室
【プログラム】
□ 自由報告   13:00〜14:00 
金子光 (東京大学大学院)
「日本の予算編成過程―政策評価の観点から―」  
外川伸一(山梨学院大学) 
「国家ガバナンス論のローカル・ガバナンス分析への適用可能性に関する考察―ネットワーク型ガバナンス論と修正タイプの新制度論的ガバナンス論―」  

□ シンポジウム 14:10〜17:00 

            
シンポジウム詳細はこちら(PDFファイル、211KB)


「災害」研究の新しい地平:
「事前復興」「回復=復元力resilience」概念と現代都市

【解題・司会】
 大矢根淳(専修大学) 
「災害をめぐる研究における「新しさ」とは何か」

【報告】
浦野正樹(早稲田大学)
「災害をめぐる新たな想像力:社会の「回復=復元力」について」

吉川忠寛(防災都市計画研究所)
「「事前復興」という新基軸:阪神・淡路から東京へ」

福留邦洋(新潟大学)
「回復=復元力」「事前復興」概念と現場実践
:中越・中越沖から東京へ」

【討論】 司会 大矢根淳  「災害研究における新しい争点」

総会     17:05〜17:20 
懇親会    17:30〜19:30

【春季大会シンポジウム 企画趣旨】
平井太郎 + 研究活動委員会若手作業部会

 13年前。阪神・淡路大震災。それは、高度化した現代都市において、100万人単位の人びとが被災した、衝撃的な出来事であった。「防災」に関心をもつ人びとは懸命に、この出来事から何かを学びとろうとした。その後も現在まで、災害はさまざまなかたちで打ち続いている。そしてそのたびに我々は、これまでの「防災」のあり方を根柢から問われ、学びを繰り返すのに追われている感がある。
 ただ、阪神・淡路の経験は我々に、「防災」のあり方ばかりでなく、考え方そのものを問いかけたのではないか。「防災」というとき、たとえば地震といった自然力の、瞬間的な衝撃力ばかりに目が向きがちである。しかし「災害」とは、そうした自然力が爆発する瞬間だけでなく、そのはるか前から、目に見えないかたちで蓄積されてきた、さまざまな社会の矛盾の噴出であり、逆に社会の知恵が試される刻でもある。また「災害」とは、自然力の爆発そのものの記憶が薄れた後も、長く我々一人ひとりや社会に、肯定、否定とりまぜた痕跡を残してゆくものでもある。そのように災害を、過去や未来に延ばした、長い時間軸で捉え返す――阪神・淡路の経験が我々に教えたのは、そうした新しい考え方ではなかったか。
 このような問題意識から、どちらかと言えば瞬間を問う「防災」研究から、過去と未来を視野に入れる「災害」研究へ、という新しい地平が切り拓かれつつある。そうした研究の展開にしたがって、人びとの生活のレベルや政策・計画のレベルでも、「社会の回復=復元力」や「事前復興」といった、新しい考え方が広がりつつある。
 今回のシンポジウムではまず、このような「防災/災害」に対する新しい捉え方の潮流について、研究の最前線に位置する方がたから解説を得たい。そのうえで、政策・計画や生活復興の現場で活躍する研究者に、そうした新しい考え方がどのように応用されているかを問い、研究理論と実践応用との応答を試みる。
 同時に、一連の解説と応答でつねに念頭に置かれるのは、「東京」である。東京では近年、「事前復興」の考え方をとり入れた、新しい防災計画が打ち上げられつつある。それが本当に阪神・淡路の経験を昇華させたものなのか。東京で災害と遭遇するかも知れない人びとは、「事前復興」と言われたとき、どのように考え方を新たにせねばならないのか。また、混在と流動化が進む現代都市・東京で、「社会の回復=復元力」とは、どのように測られ、また図られるものなのか、そもそも、東京においてどれくらい有効な考え方なのか。極度に高度化した都市・東京は、研究と実践の新たな試みに、つねに巨大なアポリアとして立ちはだかる。
 また、災害の経験や研究には、次のような本質的な難問もある。それは、災害という出来事が想像を超えたものであるだけに、災害に遭遇していない人びとに伝えることが難しいという問題である。もちろん、建築・土木技術や政策・計画といった「工学」では、出来事をたとえば数値に置き換え、伝えたり共有したりできるように見せるかも知れない。だが、もっと生きる実感のレベルで、災害の経験や研究を分かち合えないのか。おそらくそのためには、数値による変換ではなく、「想像力による架け橋」が求められるであろう。「防災」を「災害」と捉え返そうとする研究の新しい地平に期待されるのは、こうした、人と人の実感をつなぐ想像力を豊かにする手がかりである。

【当日の様子−印象記から−】
「関東都市学会:春季大会印象記(自由報告編)」
金子 憲(首都大学東京)

 平成20年5月31日、関東都市学会春季大会が玉川大学において開催された。ここでは自由報告部門における金子 光氏「日本の予算編成過程−政策評価の観点から−」、外川 伸一氏「国家ガバナンス論のローカル・ガバナンス分析への適用可能性に関する考察」の報告に関して雑感を述べたい。
 まず、金子 光氏の報告は、客観的な財政データの解析を基に、財政学のみならず行政学の研究をも踏まえて「行財政改革」の背景や問題点を指摘している。具体的には、これまでも歴代内閣によって「行財政改革」はたびたび唱えられてきたが、現在、日本の国家的課題として必要な行財政改革について、その発端である第一次臨調(1962年〜1964年)、第二次臨調(1981年〜1983年)、橋本行革の内実を振り返って考察し、そこから今後のより望ましい改革のあり方を、政策評価の観点から分析している。
 特に、橋本内閣の下で成立した「財政構造改革法」(1997年)や「中央省庁再編」(2001年)が、一般会計予算の硬直的な歳出構造や「縦割り行政」の構造的な問題までをも改革するには至らなかった点を、官庁統計を含む既存統計などを基に多角的に実証分析しており、その分析結果は大変興味深く、論旨展開に説得力を与えている。
 また同様に、第二次臨調後、大蔵省が概算要求基準段階で採用した「シーリング方式」は、1983年度から5年連続で一般歳出の伸びをゼロないしマイナスに抑え、予算総額の抑制策として成功したかに見えるが、この「シーリング方式」による予算編成とともに「隠れ借金」による歳出の繰延べ措置が乱用された点や、「縦割り行政」や予算構造の硬直化を招いた問題点を、財政データの丹念な収集・解析により様々な観点から考察し明らかにしている。
 以上の点は、慶應義塾大学の藤田教授も当日講評されており、このように金子氏の研究は既存の対立する仮説や通説、さらには政策上の課題を取り上げ、財政データを基にした実証分析を政策提言に結びつけるものであり、現在の日本の行財政改革のゆくえを考察する上で非常に示唆に富む内容であった。また、参加者からのコメントにもあったように、金子氏の外務省での実務経験も同氏の論旨展開に説得力と厚みを加えたものと感じられた次第である。
 次の外川 伸一氏の報告のキーワードは「ガバナンス」である。ガバナンスという用語は各方面で使われ、多くの研究者が実に多様な観点から論じている。「ガバメントからガバナンス」への転換は時代の流れであるが、本報告は極めて明確な問題意識に基づいたガバナンス分析であった。特に、国家ガバナンス論における2つの有力な理論であるネットワーク型ガバナンス論と新制度論的ガバナンス論を紹介しながら、これらの理論のローカル・レベルへの適用可能性についての考察は特筆すべきものである。
 また外川氏は、ガバナンス構造の変化も明らかにし、1980年代以降、市場やネットワークがガバナンスにおいて重要な位置を占めるようになった点を歴史展開を中心に描き出している。さらに本報告は、NPM的ネットワークや相互依存関係をどう捉えるか、自治体政府とその政策をどう位置づけるかなどの興味深い問題をも明快に整理した貴重な報告であった。
 外川氏の指摘の通り、国家レベルのガバナンス論をローカル・レベルへ応用しつつ、ローカル・ガバナンスの「分析理論」を漸進的に構築していくことが肝要である。本研究はそのための契機を与えており、ネットワーク型ガバナンス論と新制度論的ガバナンス論の融合につながり、なおかつ、わが国の行政学及び地方自治論におけるローカル・ガバナンス理論の発展に資する大変意義あるものと思われる。
 両氏とも貴重な報告内容であり、関東都市学会の活動にふさわしい学際的なものであった。

「春季大会印象記(シンポジウム編)」
田中 傑(芝浦工業大学)

 前段はまず、大矢根先生と浦野先生が日本における災害研究の歴史を述べたあと、吉川先生と福留先生が災害対応の現状を紹介した。
 大矢根先生は日本における社会科学的な災害研究が1964年の新潟地震からスタートし、1979年の中央防災会議による東海地震の想定震源域の提示を契機として災害と防災情報のあり方に関する研究が、また1980年代以降の大規模ホテル火災や雲仙普賢岳噴火を契機として防災システムや災害への中長期的な対応のあり方に関する研究がそれぞれはじまり、その後、1995年の阪神淡路大震災を契機として研究領域が一挙に拡大したこと、近年は災害研究が対象とする領域が災害因の時間的な前後にひろがり、それにともなって過去の災害が社会に対して如何なるインパクトを与えたのかを歴史的教訓として捉えようとする動きが現れはじめたという整理を行った。
 浦野先生は災害研究における阪神淡路大震災の歴史的意味を、われわれが過去に経験したごく基本的な地震災害のパターンをとったためにこそ、地震による破壊そのものではなく生活再建を可能にする条件や枠組みに対する注意を向けさせ、同時に災害に対する地域社会の脆弱性を浮き彫りにした点にあったと述べ、他方、自身がアメリカのDRCで在外研究をした際に見聞したハリケーン・カトリーナの事例をひきながら、災害への対応システムをいかに合理的に設計しても「減災」には限界があること、その点で地域社会のリスク対応力を高めておく必要性があることを指摘した。
 吉川先生は自身のこれまでのコンサルタントとしての業務経験から、日本の復興行政が阪神大震災以降、かなり多義的なところまで扱うように変容しながらも、現状ではハード面の復興(行政が用意するポジティブな復興)を志向する論理が依然として強いとし、そうしたポジティブな復興ではなく、むしろネガティブな復興を探る想像力(創造力?)の必要性を指摘した。そして、このネガティブな復興シナリオからこそ、「事前復興」がスタートする、と述べた。福留先生は中越および中越沖の二つの震災に際し、商店主たちが行政側の動きの鈍いなか、まちづくりのビジョンを自ら考え、そこに専門家が色をつけるという「物語復興」を実践した柏崎市えんま通り商店街の事例、濃密な血縁関係がのこる農村社会における復興公営住宅のあり方など、より具体的な話題を提供した。
 後段のディスカッションでは1)「防災」の領分が部局主義のために限定されてきたこと、2)その防災セクターが復興を担当するため、事前復興が都市計画のなかに位置づけられていること、3)「事前復興」が都市計画事業推進のためにする議論になってしまわないために「防災」と「事前復興」の重なる部
分、重ならない部分を峻別すべきこと、4)現在のような右肩下がりの社会情勢で何を評価軸に据えて復興のあり方を模索すべきか明らかではないこと、5)地域の回復力を考える際、経験的には住民間の信頼関係がカギとなることなどが議論された。
 「災害復興の新しい地平」という抽象的なテーマ設定ゆえ、各議論が発散気味という印象を受けたため、別の機会に個別的・具体的テーマに絞っての議論を聞いてみたいと感じた。

大会シンポジウムの様子
■ 関東都市学会 例会が開催されました。

関東都市学会 2007年度 第2回 研究例会
開催日時 2008年3月15日(土) 15:00〜17:30
開催場所 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室

報告 
@「東京30q圏中核都市町田におけるマンション立地と居住構造の変化」
鈴木智氏(高崎市都市整備部都市施設課/高崎経済大学大学院在籍)
A「戦後住宅理論の歴史性」(仮)
杉平敦氏(東京大学大学院)

【当日の様子−印象記から−】

研究例会雑感
川西崇行
 去る3月15日の研究例会の第1題目、鈴木智氏の『東京30q圏中核都市町田におけるマンション立地と居住構造の変化』の印象記稿を依頼されたものの、正直困った。というのも、小生自身、先祖代々、典型的な都市零細民で、郊外での生活体験が全くないからである。偶々、授業のために郊外に足を向けることはあっても、住んだことがないのでは、郊外住宅も団地も本来、語れたものではない、運転免許も持っていないから、郊外に行くと至極不便な目に遭って帰ってくるのがせいぜい…とこういう案配故、半ば恥じ入り乍ら本稿を書くこととなった。
 近年、超高層化の乱開発が峠を越した感のある都心三区に限らず、その周縁地域にまで、にじみ出すようにビヨビヨと高層の建物が建つようになってきた。
 その周辺の街区は、至って普通の町場−そこにまとまった空き地が出来れば(をつくれば)穴でもうがつように、不作法に、法外に大きい建築が「合法的」に建つのである。拙宅近くの旧国際劇場裏の150mビル案(藤和不動産)、本郷赤門南隣の高層アパート問題(野村不動産)、同じく小石川の湯立坂マンション紛争(同)など、生活圏内でもこの始末、あちらこちらで、ビル・ラッシュである。
 このような社会状況での今回の発表であるが、郊外地・町田市でも、乗換駅・一定の中枢機能を持った市街−あるいは駅至近などの利便のよい地所では、バブル以降−近年、分譲マンションの新築ラッシュがあり、高度成長以来のいわゆる「郊外住宅地」は、この十余年で4割近く大きく人口を減らしている場所もあるという。
 旧来、郊外の戸建て住宅を選択してきた世代の価値観−「住宅」に対して求めるものと、こうした交通の利便を重視した、市街に新築される分譲マンションを選択する世代の価値観等の差異、親世代から分離してそういう機能利便重視の住戸を選択するという子供世代の行動などが、まず、大づかみにみえる。
 一方、さらに、新築のマンション間でも、大規模乗換駅周辺等の密な市街に立地するもの、単に鉄道駅の機能に着目して建てられたもので、それぞれ、選択する側の「目論見」の違い、環境観の差−ひいては、市街立地のマンションの方が多世代の徒歩型、駅周辺立地のマンションは駐車場兼備の若い世代向き、という嗜好の別も明らかにされた。住宅の遷移・選好の変容が、二段階に披瀝されたということになろうか。
 本発表では触れられなかった(捨象された)、分譲・賃貸・分譲賃貸の別、細かい土地の歴史などを考え合わせるとさらに複雑というか、陰影に富んだ立体的なものになる(発表中にも、元来町田市民の市内移動者(買い換え)の方が、周辺環境を重視するとの諸条件・考察もあった)のであろうが、一方、周辺・横浜市内などに比べて、町田市内が相対的に安価であるなどの実態に即した選好・動向をみると、「地霊」などどこかに吹き飛んでしまう、郊外における住宅選択の、非常に即物的・現実的な一面も、改めて垣間見ることができた。
 町場の、良くも悪くも、様々な「因縁」−営々と土地に刻印された都市住民の生と死の影模様に絡め取られている小生などには、こうしたカラリとした移動−住宅の選択ができるだろうか、と考えると、今回のような非常に冷静な郊外論を聞く度に、非常に複雑な気持ちになるのはなぜだろうか。

関東都市学会研究例会印象記
平井太郎

 毎朝、起き抜けに新聞の三面記事に目を通す。さまざまな事件が日々、記録されている。冬場、目につくものの一つに、火災の報道がある。痛ましいことに大抵、一家の大部分が逃げ遅れて亡くなっている。建材の変化で、延焼することが稀になった現在、火災は多く、住まいと家族のカタストロフとして現われる。同時に心づくことがある。カタストロフから垣間見える人びとの住まい、そして家族のカタチが、実に多様だということである。
 私たちは日常の知、また研究の知のレベルでは、この社会の住まいがnDKといった方程式や、戸建て、マンションといった形態によるカテゴリに簡単に分類できると思っている。また、家族についても、「家族の個人化」などと言われているが、本質的には、それほど多様性を受け入れる視線を十分に持ち合わせてもいない。火事の記事は、そのような知と現実の落差を心づかせる。そして、私たちが当たり前のものとしてきた知そのものが、音を立ててカタストロフを来していることにも。しかし三面記事が日々、忘れ去られてゆくように、私たちはまだ、住まいや家族に対する新しい知を、たしかなものとして手にしていないのだ。
今回の研究報告は、そのような、この社会の住まいや家族に対する新しい知の手がかりを与えるものであった。
 まず、鈴木智さんの「東京30km圏中核都市町田におけるマンション立地と居住特性」である。東京30km圏。町田市。東京という都市に関心のある人ならば、1983年2月15日の町田市立忠生中学校での傷害事件を思い出すかも知れない。1983年という年は、校内暴力のピークの一つである。東京近郊でその分布をプロットしてみると、歪んだ円環が浮かび上がってくる。その円環は、ある道路と重なっている。国道十六号。東京の軍事拠点を環状に結ぶ路線である。同時にこの歪な円環は、1960年代、大規模な集合住宅団地が造成されていった地帯でもあった。1983年はあの68年から、ちょうど15年を経た年にあたる。松山巌さんが指摘するように、大規模な団地で生まれ育った子どもたちが、義務教育を終える頃、暴力というかたちで自分たちの生きる実感を確かめていったのである。
 それから25年。鈴木さんは、ふたたび町田に目を向ける。そして団地の空洞化を指摘するとともに、新たな現象に注目する。それは町田駅をはじめとする鉄道駅に近い場所での、マンションの建設ラッシュという現象である。鈴木さんは、そうしたマンションの住民の調査票を配り、人びとの出身や前住の地域や住宅形態に焦点を当て、移動や住み替えの実態を照らし出した。そのうえで鈴木さんは「言われているほどには、東京都心から郊外へという移動形態は多くない」、「大規模団地から駅近マンションへの住み替えも少ない」、「今後、団地への滞留や、団地と駅近との格差などの問題に対処してゆく必要がある」と結論づけていた。カテゴリのセッティング、データの処理、また解釈については、当日のフロアから重要な指摘が数多く出された。これに対して鈴木さんも速やかな応答を約束していた。したがってここでは、その応答を期待することにして反復せず、もう一つだけ論点を提起したい。
 鈴木さんが指摘するように、今回の調査結果から浮かび上がるのは、住まいの場所やカタチをめぐる選択が一様に閉塞しているという印象である。鈴木さんはその閉塞の内部に、団地や駅近、町田や横浜といった微細な差異を見出してゆこうとするのだが、むしろ私たちが向き合うべきは、閉塞そのものではないだろうか。その閉塞は、1983年にすでに校内暴力の激発というかたちをとって現われていたが、それから25年経った現在、解消されるどころか再生産、再々生産されつつある。
 もちろんその閉塞が、都市計画や産業計画をはじめとする社会経済制度によって生み出されたものであることは言うまでもない。だから鈴木さんの示唆するように、「住み替えを促すような計画的な配慮が必要」という視点が提起されても不思議ではない。しかしそのような「計画」という視点そのものによって、これまでの閉塞が生み出されたのであり、また、団地から駅近へというように、新たな閉塞が形を変えて再生産されることが危惧される。
 むしろ本当に問題なのは、そのような計画に馴致され、自ら進んで住み替えてもなお町田へ町田へと内閉してゆく人びとの現実であり、そうした選択肢しか思い描けない想像力の貧困ではないだろうか。その意味では逆に、「計画」的な想像力から逸脱して、団地を終の棲家としようとしている人びとを、一方的に「弱者」と決め付けるのではなく、ポジティブに捉え返すこともできるだろう。そうした人びとを逸脱や弱者として捉えるのは、鈴木さんが批判的に取り上げているような、「都心から郊外へ」、「ライフサイクルに合わせて」住み替えるという、それ自体あまりにもステレオティピカルな知に拠りかかっているためである。むしろそうした知とは無縁な生き方が、現実に生まれつつあるのだ、と肯定することはできないのだろうか。
 次に、杉平敦さんから「戦後住宅理論の歴史性:集合住宅・規格化住宅の理念を中心に」と題された報告があった。この報告は、私たちが現在住まいに抱いている、「住まいは私生活の場」という固定観念が、歴史的にかたちづくられたものにすぎない、という刺激的な命題を取扱っていた。しかもその歴史的な転換の日付が、これまでぼんやりとイメージされてきた、「戦後」あるいは「高度成長」といった時期に求められるのではない、というのである。その代わり、19世紀から20世紀への世紀の変わり目が、その日付なのだと、杉平さんは言う。長大な報告であったので、司会者の判断で、ここまでの部分で一旦、中括を行ない、自余については後日、あらためて機会が設けられることになった。したがってここでも中間的な論点しか示すことができない。
 杉平さんが「住まいの私事化」の指標として求めるのは、一つには産業化の進行にともなう賃労働の浸透である。大量の工員や事務員といった単純労働者が生み出され、職住分離も進んでゆく。都市の下層民に、それまでまがりなりにもあった共同体的な紐帯も緩み、工員や事務員たちはそれぞれ核家族を営んで、私的に閉じてゆく。このような変化は都市部ばかりでなく、戦後より一層グローバルな商品作物市場に組み込まれていた農村部でも、本質的には同質な現象が見られるであろう。
 そのうえで杉平さんのユニークなところは、「住まいの私事化」のもう一つの指標を、建築家・社会改良家たちによる「文化生活」運動に求めている点である。これまでこうした運動については、欧米の建築思想や社会思想の形式的な模倣にすぎないとか、社会への影響力としては限定的なものにすぎないとか、二次的な取扱いを受けてきた。これに対して杉平さんは、そもそも欧米の建築・社会思想そのものが産業化と不即不離でかたちづくられたものであり、である以上、産業化という背景を共有した日本でも本質的な意味を持ちえていた、と示唆するのである。このように一見、無関係のような経済的事実と文化的事実とを連関づける試みは、マルクスによって提起されて以来、さまざまな議論が積み重ねられてきている。特に、十九世紀から二十世紀にかけての産業化と芸術・文化との関係については、R・カイヨワの神話論を引き継ぎながら、W・ベンヤミンが大まかな見通しを与えている。杉平さんの仮説は、そのような大きな思想的試みに位置するものとして、今後も注目したい。
 その試みが実を結ぶ道筋には、幾多の困難が待ち構えているだろう。当日フロアからも、「土地所有の断絶は戦前戦後にあった」、「核家族と大家族の断絶は高度成長期にあった」、「セクシュアリティをめぐる断絶は高度成長期以降のものである」など、重要な異論が多数示された。これらの問題に一つひとつ解決が与えられたとき、杉平さんの試みは、たんなる住まいや家族をめぐる次元にとどまるのではなく、資本主義のもとで生きるということそのものを捉えるような、大きな広がりを持つことになると期待された。

■ 関東都市学会 秋季大会が開催されました。

関東都市学会2007年度秋季大会概要

【開催日】 2007年(平成19年)10月7日(日)
【開催地】 山梨県甲府市 山梨学院大学
【シンポジウムテーマ】 市町村合併後のコミュニティ施策
 市町村合併や地方自治の進展とともに、都市部でも農村部でもコミュニティ組織の重要性が増してきています。とくに周辺町村が都市部と合併して新しい都市自治体を形成することとなり、それに伴ってコミュニティ施策の統一が必要となっています。これまでばらばらであったコミュニティ施策をどのようにするのか、合併の効率化をいかに実現しようとするのか、などの問題が出ています。合併後のコミュニティ施策を検討するとともに、大都市部のそれとどこが違うのかなどを検討します。

【プログラム】
10:00−12:30 エクスカーション
・「トンネルワインカーブ」見学
(廃線になったトンネルを利用したワイン貯蔵庫)
・「勝沼ぶどうの丘」
(甲州市立のワイン販売などの複合施設)

14:00−17:30 シンポジウム「市町村合併後のコミュニティ施策」

場所:山梨学院大学クリスタルタワー 6階生涯学習センター講義室

コーディネーター 井上繁(常磐大学)
パネリスト 
甲州市職員           <甲州市のまちづくり>
中井道夫 (山梨学院大学) <山梨のコミュニティ施策>
檜槇 貢 (弘前大学)    <弘前周辺のコミュニティ施策>
大内田鶴子(江戸川大学)  <都市部のコミュニティ施策>

18:00−19:30 懇親会

【当日の様子―大会印象記から―】
関東都市学会秋季大会印象記―エクスカーションを中心に―  熊本 博之(早稲田大学)

2007年度の秋季大会は、爽やかな秋晴れのもと、勝沼ぶどう郷駅からはじまった。駅から出るとすぐに、薄霧のなか眼前に広がるぶどうの木々に目を奪われる。
まずはエクスカーションとして、大日影トンネル遊歩道を歩く。遊歩道に向かう途中に古い電車の車両が展示してあり、某会員の思わぬ蘊蓄がこぼれだす。
中央本線大日影トンネルは、1902年に開通し、1997年に廃線になった、全長1367.8メートルのトンネル。壁面はすべてレンガで覆われており、ぶどうやワインの輸送に長く利用されてきた。この、レンガ造りの美しい景観を活用するべく、国土交通省まちづくり交付金を用いて整備し、遊歩道としての活用を開始したのが2007年3月のこと。圧倒的なレンガの数に、鉄道への思い入れがさほどない私でも十分に楽しめたのだが、「鉄分」の高い会員の方々にとっては、当時の鉄道標識がそのまま残されていたり、全国的にもめずらしいトンネル内水路がはしっていたりと、見所満載であったことと思われる。
さらに遊歩道を抜けた先にある深沢トンネル(全長1100メートル)は、自然の状態で適温に保たれた環境を生かして2005年5月にワインカーヴとして生まれ変わっており、ワイナリーや個人オーナーの貯蔵庫として活用されている。このワインの保管料が、安定的な収益になっているという。
続いて、甲州市で用意していただいた車に分乗し、ぶどう畑を横目にみながら「勝沼ぶどうの丘」へ。こちらでは、地下のワインカーヴに貯蔵してある約150銘柄の地元産ワインを有料で試飲することが可能となっており、ワイン好きにはたまらない施設なのだが、時間の関係と、もちろん午後のシンポジウムのために、見学だけにとどめる…。日曜日ということもあって多くの観光客で賑わっていたが、年間の利用客が約30万人で、併設してあるホテルの利用客も約10万人、稼働率はおおよそ8割とのこと。ゼロから新しい観光地をつくるのではなく、既存の施設や地域の歴史、文化を活用しながら、これだけの観光客を集めている甲州市の取り組みに、学ぶべき点は多いと感じた。
 山梨学院大学に移動してのシンポジウムは、会員のほか、甲州市でさまざまな活動をなされている市民の方々も出席されており、また報告者に甲州市の職員を迎えるなど、私がこれまでに参加してきた学会とはやや趣の異なる、実に興味深いものであった。個々の報告についての紹介は浅野会員の印象記に譲るが、市町村合併による行政区画の拡大に、行政や住民がいかに対応していくのか、その実践の在り方や向かうべき方向性について、地に足のついた活発な議論が展開されたのは、甲州市の方々の参加があったからに他ならない。このような機会を用意していただいた会場校のスタッフの皆様に、改めて感謝したい。
 ただ一点だけ、少し残念だったのは、エクスカーションとシンポジウムとのつながりを意識した議論があまりできなかったこと。もちろん、シンポジウムのテーマが「市町村合併後のコミュニティ施策」であったので、これは無理な注文ではあるのだけれど、それぞれがすばらしい企画であっただけに、ついそんな贅沢なことを考えてしまった。
 蛇足ながら、私個人にとって特に印象に残っているのは、会場校最寄りの酒折駅に向かう中央本線からみた甲州盆地の風景。広大な平地には、甲州市をはじめ、山梨市や韮崎市など複数の自治体が含まれているのだが、そこにはもちろん区切りの線は見えない。市町村の合併とはまた別の次元で、地理的な地域社会のつながりがあるという当たり前のことを思い出させてくれる、象徴的な光景であった。

関東都市学会秋季大会シンポジウム印象記   浅野幸子(全国地域婦人団体連絡協議会)

シンポジウムのテーマは「市町村合併後のコミュニティ施策」で、平成の大合併後の、地域自治・コミュニティ運営や施策状況と課題について議論が交わされた。
最初は甲州市総務企画部の荻原宗氏からの報告で「甲州市の地域ガバナンス」。甲州市(人口約3万7千人)は、旧塩山市、旧勝沼町、旧大和村1市1町1村の合併により平成17年に誕生したが、旧塩山市が人口・面積ともに圧倒的に大きい。合併後は三層構造の仕組みづくりを進めている(自治会・区・組の基礎的コミュニティ単位/生活に密着した行政機能を発揮させる旧町村域/政策機能・地域戦略機能を担う自治体全域)。山梨学院大学の中井道夫会員からは、荻原氏の報告を肉付ける形で「山梨県内自治体における合併後のコミュニティ施策の変化」としてコミュニティ施策の変化について検討が行われたが、単位自治会と地区連合自治会の2段階構成は、合併前後で変わらず、広域化してもこの構造を柱に再編しているため、単位自治会の現状は変わらないという。
弘前大学の檜槇貢会員は「地域格差の大きい市町村合併のコミュニティ対応」として、青森県平川市(人口約3万5千人)の事例を報告。黒石市と隣接し市街化の進んだ旧尾上町、弘前市に隣接した農業地域の旧平賀町、平賀町と稜線で隣接する中山間地の旧碇ヶ関村の2町1村合併だ。旧町村の町会運営の比較や行政対応を概観した上で、防災行政無線の統一化の難しさ(地域性・社会性の違いから統一には多大な整備費がかかる)を事例に、地域間格差の大きさとその是正困難さが示唆された。
江戸川大学の大内田鶴子会員からは、アメリカのネイバーフッド組織と日本の町内会の比較がなされ、宝塚市の先進的なまちづくり協議会方式が紹介された(小学校区をベースに、単位自治会とPTA・社会福祉協議会・各種団体・青少年育成団体・NPOからなるまちづくり推進委員会を設置)。日本のコミュニティ組織も、自治体の下に自動的に組み入れられたピラミッド型の構造を断ち切り、コミュニケーション型、プロセス志向のコミュニティを目指すべきとの提起があった。
地域間格差を抱えたままの合併は決して特殊なケースではない。コミュニティ施策の一体化は有効か、負担とサービス面で住民間の不平等が生じないか、財政的効率性が今後も保てるか、地域内分権の可能性はあってもどう決断するのか、リスクはないか、新たな地域区分による施策展開はあるのか、との檜槇会員の論点整理は大変わかりやすい。「塩山市の基礎的地域単位はもう少し小さくてもよかったかもしれない」との発言や、平川市の中山間地で集落の維持も難しい地区の例からも、コミュニティの単位をどう捉えるべきかは容易な課題ではないことが理解できる。ドイツ都市部の自治体内分権の例でも、人口規模等により住民の意思の政策への反映度に差があることが指摘されている(名和田是彦『コミュニティの法理論』)。
ただし質疑では自治会への補助金情報が表に出て透明化された、担い手の若返りがみられ変化も期待されるなど、新たな自治のありようが生まれる可能性も論じられた。実は地域婦人会も市町村合併により全国で大変苦労の多い組織再編を経験したが、メリットもデメリットもあった(行政と距離の変化、会員が増えた、解散した、婦人会が復活したなど)。小地域単位のアイデンティティを大切に、活動の質を高めることを中心とし、しなやかで開かれた足腰の強い組織を目指していくのみである。
あたらしい自治の形とその力を引き出すコミュニティ施策の模索が、いま全国で始まっている。困難は大きいが、豊富な国内外の事例が地域研究者の中に蓄積されている。現場の活動と専門的知識とが、次の時代のくらしの場を切り拓いていくにちがいない。現場を支援する立場の人間として勇気をもらうことができた。


大会当日のエクスカーションの様子

大会シンポジウムの様子
■ 関東都市学会 研究例会が開催されました。

関東都市学会春季大会開催概要
日 時: 2007年9月8日(土) 15:00〜17:30
場 所: 日本女子大学目白キャンパス 百年館低層棟 百306教室

報告1 「地域SNSにみる新たなコミュニティ創出」
増渕敏之(法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科客員教授)

報告2 「戦後地域婦人会運動史
            〜全地婦連と全国各地の連帯力を基盤にして」
浅野幸子(全国地域婦人団体連絡協議会事務局(研究員))

【研究例会印象記】
下村 恭広(玉川大学)
 今回の研究例会では、増渕敏之氏による「地域SNSにみる新たなコミュニティ創出」と、浅野幸子氏による「戦後地域婦人会運動史:全地婦連と全国各地の連帯力を基盤にして」の二つの報告がなされた。
 はじめの報告では、地域社会を基盤とするソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の事例の紹介とその意義が論じられた。SNSは人々のつながりをインターネット上で構築するサービスであり、日本ではMixiに代表されるように急速に会員が増加している。こうした全国規模でのSNSはよく知られているが、報告で取り上げられたのは、地域社会を基盤とするSNSである。地域SNS全国では現在130ほどを数えるとのことだが、ここでは報告者の増渕氏が自ら企画し、長野で開設したSNSである「N」について紹介された。
 「N」はとりわけアートをテーマにした情報発信が目指されており、アートを通じた地域活性化を視野に入れている。この点への着目は、現在のコンテンツ産業をめぐる環境の変化とも関連している。コンテンツ産業のビジネスの態様の変化は、その地理的集積の構造変化を伴って進んできた。音楽産業に最も典型的に現れているように、メディア環境の変化は、生産・流通・消費を大きく様変わりさせている。これを契機にコンテンツ産業の地域的集積のメカニズムにどのような変化が起きるのかはよく分からないものの、地域SNSの存在が何らかの形でその地方分散を促進させる可能性がないかが探られているのである。
 ただ、こうした議論を進めていくうえで前もって明らかにすべきことが現時点では数多い。まだ立ち上がって間もない地域SNSということもあって、質疑応答では情報に関するリスクへの対処などその運営上の課題へと議論が集まった。地域SNSのメディアとしての社会的特質を、色々な事例を通じて理解していくことがまず求められているのだろう。
 二つ目の報告は、地域婦人会の全国組織の歴史を振り返るものであった。浅野氏によれば、地域婦人会を対象とする研究は、それが各地域のコミュニティを担う中核的組織のひとつであるにもかかわらず、これまで社会教育の分野にとどまっており、実際の地域の文脈で他の地域住民組織や市民運動との関係を検討するような分析はほとんど手付かずであるという。そこで各地の地域婦人会の全国ネットワーク組織である全国地域婦人団体連合会(全地婦連)の設立過程、及び反核・平和運動、消費者運動などで果たしてきた役割について論じられた。
報告の中心となったのは全地婦連の活動であったが、そこでむしろ興味深かったのは地域婦人会と一口に言っても地域ごとに異なる性格を持っていること、また地方組織と中央組織との関係のあり方もそうした多様性によって規定されているのではないかということだった。婦人会は主婦を中心とした組織というわけではなく、農林漁業や都市自営業の担い手も含まれる点にその特徴がある。婦人会の地域的多様性というのは、どのような社会階層の女性が活動の主力となったのかによって生み出されてくるのであろう。それを実際に確かめることは難しいのかもしれないが、報告者が紹介した各地の様々なエピソードを聞くと、以上のような観点からの様々な事例の整理が可能なのではないかと感じた。


(写真:例会の様子)
■ 関東都市学会 春季大会が開催されました。

関東都市学会春季大会開催概要
日 時: 2007年5月26日(土) 13:00〜18:00
場 所: 慶応義塾大学三田キャンパス 西校舎512番教室

13:00〜14:00 自由報告
「『地域福祉計画』の策定過程における市民参加の『質』に関する考察」
黄國光(創価大学)・有里典三(創価大学)
「マクロ経済政策と地方財政―戦後日本の公共投資依存型の地域経済政策と日本型福祉国家」
金子憲 (秋田経済法科大学)

14:10〜16:50 シンポジウム 
【テーマ】 「『帝都復興』再考―後藤新平生誕150周年―」

【企画趣旨】
本年は後藤新平生誕150周年にあたり、株式会社藤原書店が中心となって活動している「後藤新平の会」の連続講演会・出版事業、また財団法人東京市政調査会、江戸東京博物館共催の「後藤新平展」等のイベントが企画され、後藤新平の再評価をめぐる様々なうごきがみられる。
後藤の生涯は青年医師、内務官僚(医務官・衛生局長)、児玉源太郎と組んだ日清戦争後の検疫事業、民政長官として当たった台湾経営、日露戦後処理の満鉄創始、晩年の「政治の倫理化」活動や、少年団(ボーイスカウト)活動など、様々なひろがりをもったもので、ともすれば視点が散漫になることから、都市研究を専らとする本学会としては、後藤の「大風呂敷」と呼ばれた計画フレームの紹介・概説から一歩踏み込んだ復興の実態について「再考」する場を設け、現代の東京・東京圏を構成する骨格を造ったこの事業について、現代的視点も織り交ぜながら考察してみたい。(川西崇行(早稲田大学))

【パネリスト】
「震災「復興」と「去ルヘキ人」「来ルヘキ人」―『震災調査報告』をめぐって」大矢根淳(専修大学) 

「港湾都市・横浜「復興」と東京―帝都復興事業における「横浜」の位置」
小林照夫(関東学院大学)

「帝都復興と生活空間―区画整理・市街地の実態について」
田中傑 (東京大学) 

【コメンテーター】  田村明 (法政大学名誉教授)(予定)

【コーディネーター】 川西崇行(早稲田大学)

総会  17:00〜18:00 
懇親会 18:30〜20:30

【当日の様子―参加印象記ー】

春季大会参加記 (自由報告編)
石神裕之(慶応義塾大学)
 平成19年度関東都市学会春季大会の自由報告について、以下の表題については門外漢であるが、若干の所感を述べて責をふさぎたい。今回の自由報告は有里典三氏・黄國光氏による「『地域福祉計画』の策定過程における市民参加の「質」に関する考察」と金子憲氏の「マクロ経済政策と地方財政−戦後日本の公共投資依存型の地域経済政策と日本型福祉国家−」の二題である。
まず前者の有里・黄両氏の発表について述べたい。平成12年6月の社会福祉法改正後、『地域福祉計画』の策定が市町村に義務付けられた。そのなかでは住民参加の促進が謳われるなど、今後、より具体的な実施実態の評価が必要とされてきていると両氏は指摘する。その際、従来は「量的参加」つまり、委員の数や会議の開催日数など量的に把握できる部分での評価がなされるが、両氏は「質的参加」に着目し、そのレベル評価の視点として、「情報」、「代表」、「意思決定」、「成果」を取り上げ、さらに詳細な評価項目を設定し、評価を試みるものとした。その評価ランクとしては、低・中・高の3つの段階を設け、個々の定義が設定されている。
ここで少し考えておく必要のある点として、本報告の表題にあるごとく、「市民参加」のあり方を評価する基準として、個々の参加者についての評価基準が、「主体の選出」や「発言の内容」の項目のみであることであろう。たとえば指名・推薦・公募といっても、その参加者の資質や参加意欲などを汲み取ることはできないのではあるまいか。また発言内容についても、語られた内容にはさまざまな背景が存在しており、単純な区分で評価することは困難といえよう。またその評価も評価者によって幅が生じるものであり、機械的な区分を行うことにはやや抵抗を感ぜざる得ない。
むろん量的評価ばかりが目立つ現在の行政評価において、こうした質的評価を導入していくことは、新たな評価基準の構築という点で、決して否定されるものではない。しかしながら、発表者も指摘しているように、指標や評価項目の内容をさらに検討していくことが必要であり、分析の具体的作業においても、より妥当な評価方法を模索することが求められよう。
次に金子氏の発表について述べたい。金子氏は戦後日本の特に地方圏における経済政策に着目し、公共投資依存型の地域経済のあり方について「予防的福祉」という視点から再検討することを試みている。具体的には北海道・東北など地方圏での昨今の少子高齢化の波の中で、それに伴う地方自治体の財政的負担の増大、加えて人口流出や地域経済の停滞といった諸問題が顕在化しており、そうした部分を公共投資が下支えする構造が出来上がっていることを指摘する。しかし小泉内閣成立以降は、従来型公共投資の削減を進めたこともあり、これまでのような公共投資の効果は期待できず、地方経済の疲弊・収縮が予測される。そこで今後の地方経済政策の中で、効率的かつ適切な公共投資のあり方を模索する必要があると金子氏は指摘している。
 ここで金子氏は、これまでの公共投資とは、いわば所得の再配分を目的とした、福祉的意図を含む政策であると評価した上で、地方と都市の経済的不均衡の是正と均衡ある発展の有効な施策であったと指摘する。確かに公共投資のプラスの側面として、そうした公的資本に関連する就労に従事し、低所得者層が所得を得ることができたのは事実であろう。しかしそれは、公共事業に従事できる世代の労働者であったからこそであり、金子氏も指摘しているように、今後の少子高齢化が進み地方が疲弊しているとするならば、現に高齢者の多く労働者が確保しがたい地域で、公共事業一辺倒の「予防的福祉」が成り立つとするのは首肯しがたい。
むろん金子氏の意図するところは地方圏と大都市圏との格差是正や地方の停滞を改善するための方策として、公共投資の有効性を適切に評価すべきであるという点であり、少子高齢化の問題を論じているわけではないので、そうした具体的なレヴェルの議論はかみ合わないかもしれないが、地方経済の活性化で重要な点とは、人的資源の育成にあるものと筆者は考えている。少子化対策と地方への人口還流が促されるような施策を進めていくことが、本当の意味での地域経済の活性化につながるものと考えられ、またそうした公共投資ならば有効かつ適切なものとして評価できるのではなかろうか。
門外漢ゆえ色々と勝手な見解を述べたが、各氏の発表内容については、筆者の見解であり、誤読・誤解などがあれば、すべて筆者に責がある。


関東都市学会春季大会 印象記(シンポジウム編)
鈴木貴宇(早稲田大学)
 晴天に恵まれた去る5月26日、慶応義塾大学三田キャンパスにて春季大会が開催された。今年の春季大会シンポジウムテーマは「『帝都復興』再考―後藤新平生誕150周年」というもの。関東大震災もすでに80余年を経た「近代」という過去の震災となり、そしてそこからの復興を目指して建設された近代建築の多くもまた、過去の景観として姿を消しつつある。こうした状況のなかで、後藤新平と彼が中心となって進めた帝都復興計画を多角的な視座から浮き彫りにしようと試みた本シンポジウムについて、以下所感と概要を記す。
 本シンポジウムのコーディネイター兼司会は川西崇行氏。川西氏による本シンポジウムの企画意図と、氏も関係する江戸東京博物館・財団法人東京市政調査会共催の「後藤新平展」についての紹介がなされた。通常は目にすることのない品々(復興記念として東京市が作成したメダル、後藤と縁のある陶磁器など)をスライド写真で見ることは楽しいものだった。川西氏によると後藤新平という人物は「プロジェクトを始める人」、何か大掛かりなムーブメントの火付け役的な存在であったということだが、スライドに映された記念メダルを見た瞬間その言葉が会得できたような印象を持った。そのメダルには復興計画で実現した鉄橋(隅田川にかかる六大橋)や不燃化を理念とした近代建築がデザインとして配されており、そこには未曾有の災害から「新しい東京」像を立ち上げようとする当時の空気のようなものが封じこめられているように感じたためだろう。
 3人のパネリストの方々は、自分たちの研究が後藤新平という稀代のプロジェクトリーダーと交差した場から報告を行っていた。大矢根淳氏の報告「震災『復興』と『去ルヘキ人』『来ルヘキ人』−『震災調査報告』をめぐって−」は関東大震災とそこからの復興を、氏が専門とする「社会調査(史)」の文脈で読み解こうとするもの。生活再建が中心となる「復旧」と新しい相貌を都市に付与することとなる「復興」は異なるものであり、後藤新平はあくまでも「復興」であったという発言が印象に残った。つづく小林照夫氏の報告「港湾都市・横浜『復興』と東京−帝都復興事業における『横浜』の位置−」は、「関東」大震災が横浜に与えたインパクトを考察するもの。帝都復興の掛け声と、その後に開花する「モダン都市東京」のイメージが鮮やかすぎるためか、震災と横浜の取り合わせは興味深いものがあった。震災により横浜の港と貿易のありかたが変わっていくプロセスと、その結果として国際都市・横浜というイメージが形成されていくプロセス、そして後藤新平と横浜経済人とのかかわりなど、「横浜」から「帝都」復興を考えるという視点が一貫した報告であった。田中傑氏の報告「帝都復興と生活空間−区画整理・市街地の実態について−」は、華やかな「モダン都市東京」が、実は「バラック」という仮設建築の都市だったことを豊富な事例とデータで明らかにするもの。従来の研究では計画者の視点からのみ復興が考察されてきた傾向にあったが、氏は「市民」という生活者の視点から風景が生成していく過程を考察せんとする。
 青年医師からはじまって、内務官僚、植民地とのかかわり、満鉄創始者…幾多の職業を経験し、壮大な復興計画案を提案した後藤新平をテーマにしたシンポジウムらしく、その印象もまたなかなか一つの像へと収斂しないきらいがあったかもやしれない。だが、最後にコメンテイターとして参加してくださった田村明氏が「サラリーマンだった私の父が、昭和通りのことを『これは後藤新平の通り』といって好んでいた」という思い出を交えて話してくれたとき、やはり後藤新平とはあの一枚の記念メダルに刻まれた、鉄橋と建築が構成する風景の創生に携わった人物であり、そのダイナミックなアイデアに人々の多くは好ましさと「復興」という言葉への希望をこめていたのだろう、という確かな感覚が残ったのである。


(当日のシンポジウムの様子)
■ 関東都市学会 研究例会が開催されました。

関東都市学会 2006年度 第2回 研究例会

1.日時 2007年3月10日(土) 15:00〜17:30
2.場所 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室
3.報告 「山梨県および栃木県の地価変動」
      安藤克己氏(財団法人山梨総合研究所 主任研究員)
      「近年の四日市コンビナート『再生』に関する一考察」
      神長唯氏(財団法人東京市政調査会 研究員)

■ 印象記
例会印象記:土地価格が語りかけるものとは?
土居洋平(地域交流センター)

 さる平成19年3月10日(土)、関東都市学会の例会が開催された。報告は、安藤克美氏による「山梨県及び栃木県の地価変動」と神長唯氏による「近年の四日市コンビナート『再生』に関する一考察」の二つであったが、ここでは、安藤氏の報告について概要および議論の様子等について紹介したい。
 報告は、バブル経済の時代から現在(1985〜2006年)の首都圏外延部における地価変動について、山梨県と栃木県の両県の地価調査をもとに、クラスター分析を用いながら、首都圏中心部からの波及効果を分析したものであった。
 議論の背景には、東京都の研究においてバブル期の地価変動が首都圏中心部から郊外へと波及していったことが明らかにされている一方で、その分析は南関東圏内に留まっており、より広範の地域において地価がどのように変化したのかが明らかではないという問題意識がある。そこで、県庁所在地への一極集中が顕著であり、首都圏−地方都市−その周辺の地価の波及状況が明確になると考えられる山梨県と栃木県を事例に、両県の複数個所の地価調査について分析を行い、クラスター毎の変動要因の分析が行われた。
 その上で、地価変動の波及パターンとして、@首都圏の変化を距離に比例して受ける、A首都圏の変化が地方中心都市に波及する、B首都圏の変化が地方中心都市に波及しその影響がさらに周辺に波及する、C周辺地域と異なる独特の動きをするリゾート地、という4つのパターンがあることが明らかにされた。
 一方で、栃木・山梨の違いとして、山梨のほうが変動幅が高く、また、変動パターンとして栃木県においては@AC、山梨県においてはABのパターンを読み取れることが指摘された。その要因としては、甲府市と宇都宮市の影響力の差、リゾート地域の特異性等が指摘されたほか、首都圏との時間的距離の関係で、山梨県東部は東京都心の地価の変動が距離と比例して波及するのに対して、栃木県南部はその傾向が薄い点などが指摘された。
 地価の広範な波及状況が分析された大変に興味深い報告であったが、報告後の議論において戸所会員他から指摘されたとおり、土地価格というものは総合的な指標であり、その価格を構成する要因は様々なものが考えられる。従って、類似する変動パターンをもとにクラスターで分類したとしても、その変動の意味は慎重に検討される必要があるだろう。実際、報告中には一部特徴が異なる地域が同一のクラスターに分類されていると考えられる部分もあった。
 また、県単位の比較・分析は標準的な手法であると考えるが、一方で、報告でも指摘されたように山梨県東部は東京都西部との関係性が強く、地価変動もその影響を受けている。こうした点からも、今後の課題として、都道府県単位ではなく首都圏広域全体での波及関係などを検討することで、県境を越えた波及状況も含めて、影響関係がより明確になるのではないだろうか。特に、これも議論において指摘があったことであるが、地価変動は鉄道や道路の配置とも密接に関わるものであり、そうした観点の分析が行われると研究の幅が広がると感じた。
 とはいえ、大都市部での景気回復と地価上昇、大規模な再開発が進む一方で、なかなか上向かない地方経済の状況を踏まえると、大変に考えさせられる報告であった。今後の研究の展開を注目したい。

研究例会雑感
川西崇行(早稲田大学)

当日の二題目、神長氏の「近年の四日市コンビナート「再生」に関する一考察」について、若干拙いコメントを記そうと思う。
論点はまず、「公害」は過去のものではなく、今なおコンビナート近隣地域住民にとって不安のタネ(「災害の重層化」懸念など)であるという事実が通奏低音の様に鳴り続く状況下、一方、地域の経済にとって喫緊の死活問題である老朽コンビナートの設備更新問題をどう乗り切るかという、クリアな解決が非常に難しい問題であった。発表では、この施設の老朽化対応−地域経済の空洞化防止策として−を「構造改革特区」制度による「規制緩和」を用いて施設を切り回して安価に更新した、という現実的対応が明らかにされた。
そもそも「第一コンビナート」が「石災法」施行以前の施設=「既存不適格」的状態であるということを考えると、この現実的対応によって、このまま老朽化していく危険を回避し、また、(既存の法規に従った場合)施設更新に掛かる高いコストによって企業が撤退するという地域経済の危機を凌いだともいえよう。
しかし、この「解決」が一点問題を孕むとすれば、この一連の意志決定プロセスの「正当性」であろうか。これは「特区」制度=経済的インセンティブ制度が共通に持つ問題点である。この意志決定に住民がいかなる関わり方ができた(できる)のか−これは「都市再生特区」の問題でも共通の問題である。
「都市再生特区」は、国家直轄型都市政策と市場型インセンティブの組み合わせによるものである。「都市再生特区」は、内閣に置かれた都市再生本部が「都市再生基本方針」を定め、政令によって「都市再生緊急整備地域」を指定し「地域整備方針」を定めることで出来上がる。要するに国の意向で(既存の都市計画の集団既定等法規を一旦「停止」して「規制緩和」し、経済的なインセンティブを与え)或る地域の都市計画を主導・誘導して行く手法である。問題は、この「都市再生緊急整備地域」の指定にあたって、当該地域の住民の意見を聞くことは義務付けられておらず、関係地方公共団体の意見「のみ」考慮するという点である(都市再生特別措置法第5条第2項)。この点は、本来の都市計画の基本法規である都市計画法第16条の「住民参加条項」の精神と違背しており、「都市再生特区」の、国レベルでの開発誘導−景気刺戟策としての性格が明らかに透けてみえる。
こうした「特区」「規制緩和」が濫発される背景には、関係法令の煩雑さや空文化、あるいは自治体が地域社会・産業の空洞化に対して十分な主動力を発揮できていないという状況があろう。また今回の発表におけるコンビナート問題−「特区」制度による石災法のレイアウト規制の緩和とそれによる施設の更新/都市再生特区−都市計画の集団規定の緩和とそれによる巨大開発は、その(物理的・科学的な)危険性と緊急の必要性において、同列には論じられない問題かも知れないが、そこに通底して感じるのは、前述の通り「地域の合意のかたち」の不透明さである。
単なる「問題先送り」「屋上屋を架す」ようなことにならなければよいがと思うが、こと、都市の開発において規制緩和による「保留床」増床の無限スパイラルはあり得ない。どこかで限界がくる筈である。同様に、これらのプラントもいずれまた社会状況の変動や寿命がくるであろう。その時、また「規制緩和」で−ということは(余程薔薇色の技術革新でもない限り)あり得ないであろう。その時の覚悟−あるいはその時を見据えた長期的展望−を関係者が持っているのか、どうか。そんなことを考えさせられた話題であった。


(写真:例会の様子)

○ 2006年度 関東都市学会 秋季大会が開催されました。

■ 関東都市学会2006年度秋季大会
■ テーマ: "美の条例"のつぎの展開〜人口減少社会におけるまちづくり〜
■ 開催日: 2006年(平成18年)12月2日(土)
■ 開催地: 神奈川県真鶴町
■ 主催 : 関東都市学会
■ 後援: 真鶴町(真鶴町町村合併50周年記念事業)
■ プログラム
 午前:エクスカーション
 午後:シンポジウム「美の条例のつぎの展開〜人口減少社会におけるまちづくり〜」
  コーディネーター 井上繁(常磐大学)
  討論者 青木健  (真鶴町長)
  秋田典子 (東京大学)   「真鶴町のまちづくりの課題―美の条例を乗り越えて」
  藤田弘夫 (慶応義塾大学) 「地方分権と中小都市」
  名和田是彦(法政大学)   「協働の時代におけるまちづくり条例」
  高岡文章 (福岡女学院大学)「観光は地域を救うか―観光まちづくり(論)の検討」
 夕方:懇親会
 
■ シンポジウム解題
 わが国の人口は、2005年に統計開始以来始めて減少に転じ、合計特殊出生率も5年間連続で減少して1.25となり、今後急激な人口の減少が見込まれている。
 本シンポジウムは、こうした人口減少社会におけるわが国の自治体レベルのまちづくりのあり方を、@地方分権、A景観法に代表されるような自治体独自の開発コントロールの手法、B観光とまちづくり、Cコミュニティおよび住民参加という4つの視点から照射し、立体的な像として映し出すことを目的としている。
 本シンポジウムが開催される真鶴町は、1993年に自治体独自のまちづくりの手段として、「美の原則(美の基準)」を開発の基準とする「真鶴町まちづくり条例」を制定し、先進的な景観づくり・まちづくりを実施してきた自治体である。しかしながら、条例が制定されてから現在までの約10年間に、住民参加や地方分権の推進、景観法の制定等、まちづくりを取り巻く環境が大きく変化している。このため制定時には先進的・斬新であった真鶴町まちづくり条例も、相対的な制度の陳腐化に晒されつつあり、またまちづくり条例だけではカバーしきれないまちづくりの領域も広がりつつある。
 そこで本シンポジウムでは、真鶴町が"美の条例"を乗り越えて、真の「美のまちづくり」を実現しうる新たなステップに進むために取り組むべきことについて、人口減少社会におけるまちづくりという視点から議論したいと考えている。当然、そのためにはまちづくり条例の更新や景観法の活用、まちづくり条例以外の多様な取り組み、すなわち観光等による地域の活性化や住民参加のシステムの構築、各種法制度の活用等の総合的な観点からの検討が不可欠である。真鶴町は10年間のまちづくり条例の運用を通じて、こうした新たなまちづくりを実現しうる環境を醸成してきたとも言える。本シンポジウムを通じて、真鶴町が新たなまちづくりのステージに立つために目指すべき方向性を提示したい。
 (秋田典子会員)

■ 印象記
秋季大会シンポジウム印象記
柴田彩千子(帝京大学)

 2006年12月2日、真鶴町民センターにおいて、「美の条例のつぎの展開―人口減少社会におけるまちづくり―」と題されたシンポジウムが行われた。シンポジウムでは主に次の2点をめぐって議論が進められた。1つには、「美の条例」と呼ばれる「真鶴町まちづくり条例」を13年前に制定した真鶴町のまちづくりの取り組みと今後の方向性について。2つには、真鶴町も含む各地の人口減少化する自治体に求められる、まちづくりの手法についてであった。
 シンポジウムは、まず青木健真鶴町長の基調講演からスタートした。住民投票によって近隣市町村との合併の道を選択しなかった真鶴町の町政について、紹介された。真鶴町の町政のスタンスは、「ある物探し」というものであったと思う。既存のまちづくり資源を見直し、それを活用していこうという価値観に基づいて行われている多様な取り組みの紹介があった。例えば、子どもたちの「総合的な学習の時間」などで実施される「海の体験学習」の取り組みは、美しい海に臨む立地条件を活かして実現され得る教育事業でもあり、観光事業でもあった。
 秋田典子氏の「真鶴町のまちづくり〜美の条例を乗り越えて」では、真鶴町の13年間の取り組みの経過を3段階に時系列的に集約した。つまり、「美の原則」69のキーワードを制定したことによって、第1段階:真鶴町民への美に対する規範の提示、第2段階:波及、第3段階:浸透、というものであった。現段階では、この条例が町民へ浸透し始め、この規範に即して民間住宅を建設する町民も増えているという。そして、今後の「美のまちづくり」の方向性については、量的コントロールから質的コントロールへの転換が望ましいと指摘した。
 名和田是彦氏の「協働の時代におけるまちづくり条例」では、今後のまちづくりの鍵として「協働」を挙げた。協働とは、「それぞれの自覚と責任の下に、その立場や特性を尊重し、協力して取り組むこと」と定義したうえで、「協働」型のまちづくりこそが、自治基本条例を制定する原動力となり、それを維持していく鍵であるから、秋田氏の指摘した「質的コントロール」を実現可能とするものも、より多くの町民による協議であると指摘した。それは、まちづくりについて協議する際に、二者よりも三者、三者よりも四者で実施し、協働型のまちづくりを実践していくには、町民がまちづくりに関与することを、町民の主体的な参画と捉えるよりも、その土地に住まう者としての当然の行為としてみなすことが必要であることを指摘した。こうした自治基本条例を広義に捉えた場合、福祉や教育の分野も含まれるので、住民のこうした認識が不可欠なのであろう。
 藤田弘夫氏の「地方分権と中小都市」では、そもそも日本社会の根底に分権を阻止するような性格が潜んでいるのではないか、といった疑念から議論が出発し、日本社会の特性についてマクロな視点から論じられた。今回の分権化案は中央政府主導のものであることの矛盾を指摘し、条例から法律を変えるような仕組みの構築こそが、真の分権なのではないかといった自治体まちづくりの取り組みへのテーマを投げかけた。
 高岡文章氏の「観光は地域を救うか〜まちづくりの検討」では、観光まちづくりの全国的な事例を紹介し、自治体にとっての持続可能な観光に必要な対応策とは何かについて検討した。高岡氏はいくつかその対応策を提示したが、例えば、スローライフ、スローフード、地産地消など、地方から全国へ発信され波及された価値観を創出することや、地域学(地元学)と観光の連動の必要性を指摘した。
 以上、4名の議論の共通点として、まちづくりにおける「教育(学習)」といった視点をあげることができるであろう。ここでいう教育(学習)とは、フォーマルな教育に限定せずに、シンポジウムのなかでも論じられた地域学や、条例を制定する際に行われる住民の学習活動など、多岐にわたるものである。真鶴町の美の条例をはじめとする「条例」とは、自主立法である。身近な地域に生き甲斐(高齢化する地域によっては、死に甲斐というような価値観)を見出すために、「協働」の下に展開される条例の制定とその運用といった営為のなかに、多くの可能性が内在していることを認識できたような有意義なシンポジウムであった。

関東都市学会2006年度秋季大会 印象記
平井太郎(日本学術振興会特別研究員)

真鶴という美しい土地の名は、緩やかな弧の海岸線に突き出した半島の様を、真鶴の首に古人が見立てたものだという。われわれは駅から港まで、その鶴の胸を滑るように、二三十尺の高低差を下っていった。坂また坂、路地また路地である。道敷に擁壁に石が積まれている。この町は石の産地として知られてきた。箱根連山まで続く背後の山から岩を削り、海を隔てた遥かな都市へ送り出しながら、こうして自らの町も築いてきたのである。現実の鶴の肌は石の群れで覆われていたが、その石のひとつひとつの印象は冷たくなかった。

ひとしきり石畳と石垣の町を歩いた後、研究報告に耳を傾けた。「「美の条例」の次の展開――人口減少社会のまちづくり」という総題である。まず秋田典子さんの報告によると、「美の条例」についてより実効性を担保しながら、まちづくり全体に広げてゆけるかが今後の課題とのことだった。そうした方向への可能性のひとつとして次の名和田是彦さんは、コミュニティを法的主体として認知し、公的サーヴィスの一端を担わせる仕組みを示していた。ここでのコミュニティとは自然村がモデルのようである。さらにさまざまな方向性がありうることを、三番目の藤田弘夫さんもまた強調していた。最後に高岡文章さんが周到に整理したのは、そうした可能性のひとつ、「観光」という視点によるまちづくりがもたらす問題性についてであった。

高岡さんの報告は、「観光による町の活性化」がこの町をも巻き込みつつあるだけに考えさせられた。たしかに真鶴の現在の風景は、誰しもが認める「美」を体現してはいない。だがそこでの審美眼は、高岡さんのいう「画一化された視線」が内面化されたものにすぎない。この暴力的な視線によって、風景の良否が論じられ値づけされるのが、まさに生活世界の再編なのであろう。普通言われる「活性化」とは、そうした通俗的な意味や価値に順応して、自らの生活の場を満足したりまた商品化したりすることに他ならない。それは一見、より豊かでより満ち足りた生活のように思える。しかし商品世界にはモードというものがある。商品価値は永続もしないし無限に引き出せるものでもない。こうした暴力的な商品世界に、この土地の生活のすべてを巻き込ませる権利は誰ももたない。
その選択肢以外には「町」の将来はないという主張もあるだろう。だがそこでいう「町」とはたんに「役場」のことではないか。「役場」とは名和田さんの報告を裏側から読めば、自然村が法的主体の地位から滑り落ちた後、つまりたかだか日本近代百五十年の法的存在にすぎない。もちろんその間、とりわけ真鶴のように、二つの自然村が結合した小さな自治体では、生活世界に深く根ざしているのだろう。こうした「役場」の存在を相対化するためには、自然村をはじめ自生的な秩序を丹念に掘り起こさねばならない。そしてこの町には自生的な秩序の手がかりが無数に開かれている。石積みはどのような社会的秩序によって築かれ、維持されてきたのか。同じ問いを沿岸の漁撈にも丘陵の果樹園、林地にも発することができる。さらに家並みもまたその問いかけに答えてくれるだろう。ここは八十余年前の震災によって跡形もなく消え去った経験をもつからである。そのときどのような論理で家並みが再建されていったのか。秋田さんによれば「美の条例」は暗黙の規範として浸透しつつあるという。その今だからこそ、埋もれかけた暗黙知を紡ぎだして現在とすりあわせることができる。すでにある法的主体の象徴として「役場」を相対化したうえで、なおもこの町が、この土地が現代社会で生き抜いてゆくためには、法には拠らないもうひとつの社会秩序、すなわち自生的な秩序のそうした再生が求められている。
石積みは一人の意志や営為によってはなしえない。それは、この土地の人びとがたしかに想いを分ち、手を携えた、目に見える証なのである。見過ごしてしまいがちな風景の奥に、この町で生きてきた人びとの記憶が透かし見ること――「まちづくり」が現代性をもちうるとすれば、現在の生が綿々たる記憶の連鎖のうちにあることの覚醒あるいは顕現を措いて、他にはあるまい。そしてそのように永遠と現在が一瞬、交錯する出来事こそ、あえて呼ぶとすれば「美」なのであろう。


(写真:2006年度秋季大会の様子)

○ 関東都市学会 研究例会が開催されました。

■ 2006年度 関東都市学会 第1回 研究例会

■ 日 時: 2006年9月9日(土) 15:00〜17:30
■ 場 所: 慶應義塾大学三田キャンパス 南館5階 D2051
■ 報 告:
1)英国の地方分権改革―ヨーロッパ地方自治憲章の受容をめぐって
廣田 全男 氏(横浜市立大学国際総合科学部教授)
2)カウンティ政府研究の現在
千草 孝雄 氏(駿河台大学法学部教授)

 廣田氏は憲法学がご専門で東京市政調査会におられた方です。千草会員は行政学がご専門です。お互い面識をお持ちの両先生に、英国・米国の地方自治をめぐってそれぞれお話頂きました。報告後は、米国・英国の地方自治の制度を中心に、参加者から絶え間なく質問があり、活発な会合となりました。当日の詳細の様子は、後日に印象記を公開いたしますので、そちらをご参照下さい。

■ 印象記
例会雑感    川西崇行(早稲田大学)

 去る九月九日午後、慶應義塾大学三田構内で、本年度第一回の研究例会が催された。テーマは海外における自治体の諸相−アメリカにおける基礎自治体としての「county」と広域行政、ヨーロッパにおける、独・仏など大陸系の地方自治システムと英米系の地方自治システムのすりあわせなど、市町村合併が「国策」として進められている我が国において、「その他の道」を考える材料として十二分に興味深いものがあった。

 千草孝雄氏の「カウンティ政府研究の現在」では、従前「郡」と訳されてきた「county」の性格・役割をわかりやすく説かれ、授権システムなどアメリカの地方自治の基礎的な知識から、「county」が市街地(=city)を除く広範な自治体でありながら、地域によって、その役割・性格が多様で、一律に説明しがたいものであること(実際には、これに州・連邦が乗り、さらにシステムは複雑性を持つ、あるいは county の都市化による変質の問題など)がよく理解できた。
 お話を伺ううちに、かつての東京における府・市−市会・郡部会に類似した「二層性」(この二重性は戦時体制で「都」一本にされて今に至る訳だが)に思いを馳せつつも、より粗放的(というのが妥当か否かは諸氏の判断に俟つ所だが)で多様な英米系の地方自治システムの面白さを強く感じた。

 廣田全男氏の「英国の地方分権改革―ヨーロッパ地方自治憲章の受容をめぐって」では、欧州が「一つの家」になる過程で、先述した英米系の地方自治システムと、比較的我々にも馴染みのある大陸系の地方自治システムの「衝突」を、英国内の政治的な動向−「揺れ」を軸に明快に読み解かれた。
 近年の「バラ・ディストリクト−カウンティ」の基礎的な構造の一層化、大都市広域行政体の廃止・創設など、英国の地方自治制度は非常にドラスティックな変動をみせているのみならず、歴史的な自治権の獲得プロセスなど国状が、英米系のそれと大陸系のそれが大きく異なっていることが非常に明快に判る。しかし「ヨーロッパ自治憲章」が一定の幅を持たせつつも「基礎自治体−広域自治体」の二層性を基礎的なモデルとする=大陸系のスタンダードを英国がどのように受容していくのか。今後の政権の政策判断のなかで今後も変化をみせていくものであろう。

 今回、一つの話の軸となった、基礎自治体−就中「郡」的なものであるが、現在形骸化しているとはいえ、市部を除く町村の冠称=広域地名を示すものとして旧来馴染みのあるものであろう。その起源は中国の周朝(郡−県併置)から秦(郡>県)を経て隋唐迄置かれた行政単位であり、我が国でも律令制下、里の上位の行政単位とされ、さらに近代化に伴って1878(明治11)年、府・県の下位の行政単位とされた。が、「中二階」二重行政の弊を指摘されるなどして1923(大正12)年廃止され、それ以降は先に書いたように広域の地名として残存しているに過ぎない。
 しかし、一種の広域地名・地域単位(例えば、選挙区との相関等)としての歴史性、一定の地理的まとまりは等閑視するべきものではなく、広域行政を考える上で、もう少し重要視されてもよい存在であるのではないか。
 起債の問題など目先の「カネ」の問題に囚われがちであった今次の拙速な平成の市町村大合併によって、どこにあるかすら判らない自治体名称が粗製濫造され(≒地名の抹殺)、またその肥大化で基礎自治体としての機能の維持が今後懸念されている現況、例えば、合理的な地域としての「郡」の重要性などについて当初から視野を広げれば、或いは、今回話題となった米国の「county」にせよ、ヨーロッパ(大陸)における地方自治制度−小規模自治体+広域連合のような柔らかい制度の選択にせよ、もう少し、立体的な制度設計・選択が為される可能性があったのではないか、と悔やまれる。

例会印象記――英米の自治体論を聞いて―― 高橋一得(柏木学園高等学校)

平成18年9月9日、慶應義塾大学において、関東都市学会の研究例会が行われた。当日は、千草孝雄氏による「カウンティ政府研究の現在」、および廣田全男氏による「英国の地方分権改革―ヨーロッパ地方自治憲章の受容をめぐって」の二つの論題が報告された。千草報告がアメリカの、そして廣田報告がイギリスの、それぞれの地方自治を主題としており、結論を先取りすれば、この日の研究例会は比較自治体論とも云うべき趣を呈していた。

当日は、まず千草報告から始められた。千種報告は、そのタイトルにもあるようにアメリカの地方自治制度の根幹をなすカウンティ政府を巡る研究の現在の到達点を明らかにすることに主眼が置かれていた。今まで、カウンティ政府を対象とした研究は、カウンティ政府の自明性と凡庸さ、またその多様さゆえに研究が深化した状態とはいえなかったという。しかし、近年、カウンティ政府そのものが着目されるようになり、それに伴いカウンティ政府を巡る研究が活発化してきたという。その際、第一にカウンティ政府と司法、あるいは土地との関係の視点を、第二にカウンティ政府をどのように現代に適応させていくかという視点を、それぞれ念頭に置きながらカウンティ政府の研究は進められるべきだと締めくくられた。

続く廣田報告は、英国を舞台としてヨーロッパの地方自治憲章の受容過程を考察したものであった。「地方自治の母国」といわれている英国において、サッチャー政権とブレア政権とが、それぞれヨーロッパ地方自治憲章を、どのように受け止め、どのように受容していったかという点に主眼が置かれた。云うまでもなく地方自治のあり方は中央政府のあり方にも影響する。特にヨーロッパ地方自治憲章はドイツの地方自治の影響が強く、地方自治体の自主性を高める性質を持っているという。それゆえ、中央政府の権限強化の意図を持つ政権ではそれを受け入れることに難色を示す。サッチャー政権はそれであった。サッチャー政権は、ヨーロッパ地方自治憲章を批准しなかった。一方、ブレア政権は、ヨーロッパ地方自治憲章を批准した。ただし、ブレア政権が、多くの権限を地方自治体に委譲し、地方自治体の自主性を高めたのかといえば、そうとは言いきれないという。問題はブレア政権における地方自治への権限委譲と中央政府における統制のあり方なのである。廣田報告の重要な論点のひとつはこの点であった。ブレア政権において、地方自治の統制の方法がベストバリュー制度であり、包括的業務評価制度であった。すなわち、地方自治の自主性を高めながら、その業績を中央政府が「評価」をする点がブレア政権の地方自治の統制方法であり、地方自治の特質といえる。結論として現代のイギリスにおいて地方自治、地方分権の動きは中央主権主義からの完全な脱皮はまだ十分ではないという評価で終わった。

こうした両報告には、我が国の地方自治制度を考える際に二つの問題点を提起した。第一に、このような米英の事例が我が国の地方自治体論に対し示唆を与えてくれる可能性を多分に含んでいるということである。我が国の地方自治体も「平成の大合併」が一段落し、今後どのような地方自治体のあり方を形づくるか、といった点において米英の事例は少なからず参考になると考えられる。第二に、地方自治を比較する上で、その背景となる文化的差異までを考慮に入れて考えるという視点である。特にカウンティ政府に関する議論において、アメリカの地方自治の捉え方にフロアが困惑した原因は、地方自治制度の礎石となるそれぞれの国の文化の差異、地方自治を巡る捉え方の国家間の差異にあったといえる。それゆえ、この研究例会では地方自治をめぐる問いが、新たな地平の問いへと広がる可能性を示したといえるであろう。いずれにせよ、地方自治を多面的に捉える機会を与えてくれる有意義な例会であった。


(写真)研究例会の様子(06年9月11日)

○ 関東都市学会 春季大会が開催されました。

■ 関東都市学会春季大会 2006年度 春季大会

■ 日 時: 2006年5月20日(土) 13:00〜17:50
■ 場 所: 日本女子大学目白キャンパス 百年館低層棟2階 百207番教室
■ プログラム
13:00〜14:30 自由報告
「J-Popの中のご当地ソング」 増淵敏之 氏(東京大学大学院)
「公共上映と地域再生」 張智恩 氏 (東京大学大学院)
「『日本型公共政策』の特質解明―地方財政構造・地域経済政策の分析から―」
金子憲 氏(秋田経済法科大学)

14:40〜17:40 シンポジウム
【テーマ】<都市のかたちは何を映すのか?―三信ビルは物語る―>
【解題】鈴木 貴宇 氏(東京大学大学院、本シンポジウムコーディネーター)
     「都市の過去・現在・未来:歴史は都市の更新にどう関与するか」
【報告】
「活かされる歴史、失われる記憶:『都市再生』論議と再開発」
上野 淳子 氏(上智大学大学院)
「『三信ビル保存プロジェクト』について」
浦川 和也 氏(三信ビル保存プロジェクト発起人)
「現代都市における歴史の露頭:日比谷・三信ビルをめぐる社会地誌の試み」
平井 太郎 氏(日本学術振興会)

【コメンテーター】 初田亨(工学院大学) 松山巖(作家・評論家)

総会  17:40〜17:50 
懇親会 18:30〜20:30

■ 大会印象記

三信ビルをめぐる物語 ―関東都市学会春季大会シンポジウム印象記―
高岡文章(福岡女学院大学)

 一つのビルの解体。それは利害や関心により、異なる物語としてあらわれる。ある者にとっては記憶の拠り所の喪失であり、ある者にとっては混迷する景観行政の象徴となるだろう。ある者にとってはさらなる開発や刷新のためのプロセスに過ぎず、ある者の目には現代都市における平凡な出来事に映る。
 このたびのシンポジウムは、東京日比谷の三信ビル解体計画および保存プロジェクトをテーマとした。更新されていく都市の相貌と、そこに集う人びとの記憶や想像力とは、どのようにつなぎあわされ、すれ違うのか。不動産業者によるビル解体・跡地再開発という頑なな現実に対し、「よそ者」はいかに介入できるのか。
 上野淳子氏による報告は、進行中の「都市再生」プロジェクトが帰結として所得の高い地域にのみ恩恵をもたらしており、格差構造が空間的に再生産されていることを明らかにする。また、六本木、丸の内、汐留、表参道といった地域では、都市再開発そのものがメディアイベント化していることが指摘される。都市への欲望が次々と商品化され、人びとの想像力からは「都市とは何か」を問う契機が抜け落ちていく。人びとの暮らしや活動の蓄積であるはずの歴史が、東京という都市においては開発にとって都合のよいシンボルであり、経済資源の一つに過ぎなくなる。都市再生や都市再開発によって何がもたらされるのかを上野氏は問う。
 東京という都市が置かれている政治経済的構造への見取図を与える上野報告に続いて、浦川和也氏は三信ビルという建物そのものに焦点をあてる。ビル解体計画の報に接し、浦川氏は保存プロジェクトを立ち上げる。それは、従来型の凍結保存ではなく、特定街区制度を利用し周辺地区を含めて一体的に開発することで三信ビルを保存するという斬新なもので、一級建築士である氏は自ら再開発プランを設計し、所有者や自治体へと提案する。氏の精力的な活動が耳目を集めたことは、保存にして開発にしても、対象物の所有者以外の「よそ者」が価値観を呈示し、知恵を出し、戦略を練り、具体的な提言をすることがいかに稀有なことであるかを逆照射している。同種の問題に対して例えば大学(あるいは学会)は何をしてきたのか、何ができるのか。氏の試みはそのことを問うている。
 「よそ者」にできること。その一つは、道具化される都市や資源化される歴史に、それとは異なるいくつもの物語を対置することであろう。平井太郎氏は、三信ビルおよび日比谷という場所にまつわる記憶を歴史の淵から掘り起こし、場所や建物への想像力を呼び覚ます。この土地をめぐっては、これまでにもさまざまなプロジェクトが仕掛けられてきた。しかし、国家の意志や資本の運動といった強い風が吹き抜ける傍らで、人は何気なくそこに生き、歩き、集い、たくらみ、夢を見た。そのような無数の物語を丹念に拾い出すことで氏は、「保存か開発か」の岐路に立つ哀れな建築物としての三信ビルに、いや三信ビルをそのように捉えてしまうわれわれの想像力に対し別の契機を与える。
 さまざまな物語にどのように耳を傾けるのか。そこからまた新しい物語が始まっていくだろう。

「都市のかたちは何を映すのか−三信ビルは物語る」
が、"問うもの" −シンポジウム印象記−
和田清美(首都大学東京)

 まず、最初に言いたいのは、2006年度春季大会シンポジウムの、「三信ビル」保存プロジェクト運動を軸とする上野淳子氏、浦河和也氏、平井太郎氏のお三方のご報告、これに都市建築史家の初田亨氏と、作家・評論家の松山巌氏のお二人がコメンテーターとして並ぶ、そのプログラムに強く期待したのは筆者だけではなかったのであろう。事実、私同様にこのシンポジウムに期待して参加した人数は、近年の大会の参加人数を優に超えるものであった。シンポジウムの内容は、企画発案者であり司会者でもある鈴木貴宇氏のご努力と相まって、すぐれて充実したものとなった。その感動的なシンポジウムの本印象記では、紙幅の都合からそのすべてを紹介できないのが、残念である。フロア−からの意見や質問を入れて、筆者なりの1,2の文字どおり「印象」を述べることとする。
さて、テーマ設定それ自体は、昨年のシンポジウムを引き継ぐものであるが、この1年ます ます加熱化する都市再生事業に、1980年代バブル期の都市再開発ブームが重なり危機感をもつのは筆者だけではないであろう。こうした状況の打破に、いかなる組織化の手立てと戦略が考えられるか、この課題に、「三信ビル」保存プロジェクト運動を軸とする「都市の歴史」のもつ意味、視点から果敢に挑んだのが、本シンポジウムであったと筆者は理解している。この点、第1報告者の上野淳子氏の「活かされる歴史、失われる記憶:『都市再生』論議と再開発」では、1999年以降の「都市再生政策」のもつ問題点を「短期的、直接的影響」としながら、その打破を「象徴をもちいた空間形成」とし、保全される「歴史」を提起した。その上で、浦川和也氏は自身が進めている「三信ビル」保存プロジェクト運動の展開を紹介し、さらにその歴史的意味を、平井太郎氏が「現代都市における歴史の露頭−日比谷・三信ビルをめぐる社会地誌の試み」と題して報告した。コメンテーターのお二人は、初田亨氏は都市建築史の立場から、松山巌氏の作家・評論家の立場から、「三信ビル」保存プロジェクト運動のもつ歴史文化的、社会運動論的意義を論じた。この点筆者も賛同する。
 しかしながら、それでもなお、先に指摘した現行の「都市再生政策」に対抗する組織化の手立てと戦術が、本シンポジウムにおいて解明されたと言い難い。具体的に言えば、「三信ビル保存プロジェクト運動」を今度どのように広げ、この運動のもつ歴史文化的、社会運動的意味を、2000年以降再び国家主導で進められている、「都市再生政策」への対抗的手立てと戦術として、普遍化できるかという一点にかかっていることは明らかになった。
 筆者はあのバブル期東京の都市再開発と地価高騰問題をきっかけに都市研究を始めた者であるが、つい先頃昨年の地価はバブル期以来の上昇を記録したとの報道を聞き、この国の政策担当者は再びバブル期の惨劇を繰り返すのかとの思いを強くした。それだからこそ、学会の知恵を結集して、この課題に取り組む必要性があると痛感してきた。これは大変難しい課題あるが、そのあるべき方策の萌芽のいくつかが、筆者の期待どおり後半の討論の中にはあったと思う。例示すれば、その一つは石黒哲郎氏からの発言である。石黒氏は現行の「都市再生プロジェクト」は2001年の「都市再生本部」設置で突如出てきたものではなく、それ以前の都市再開発事業と非連続ではないことを指摘された。このことは都市政策の連続性、すなわち政策の歴史分析の必要性を示唆されたものであると筆者は理解した。また、会場の何人かの方からの発言から一つを拾えば、「三信ビル」保存プロジェクトの運 動がその歴史文化的意義の故に、居住民だけでなく、そこを訪れ利用する人々を巻き込んだ全国的拡がりをもって展開している事実の指摘である。そこに上野氏の言う「歴史の選別」が働いているとの批判もあろうが、一地域の個別利害を超えた、より拡がりをもった運動の展開にはこうした価値の共有とそれに基づく組織化が望まれる。この点「三信ビル」保存プロジェクトの運動論的意味は大きいとあらためて教えられた。


(写真:大会の様子(1) 当日は、100名を越える参加者があり、大変盛況な会合となりました。)


(写真:大会の様子(2) 真剣に討論するパネリスト。左側より、コーディネーターの鈴木会員、コメンテーターの初田氏、松山氏、報告者の浦川氏、上野氏、平井氏))

○ 関東都市学会 研究例会が開催されました。

■ 開催日時 平成18年3月11日(土) 15:00〜17:30
■ 開催場所 東京市政調査会 5階第1会議室
■ 報告 
「行政サービスに対する『住民満足度』測定の有用性の検討」
小林敦子氏(鶴ヶ島市役所・日本大学大学院研究生)
「大都市における地域性と都市行政のあり方に関する研究
   −東京城南工業地域の地域・産業構造の特質の分析から」
和田清美氏(首都大学東京 准教授)

■ 例会印象記
山田賢司(慶應義塾大学大学院)

 さる平成18年3月11日(土)、東京市政調査会において、関東都市学会の研究例会が行われた。報告者は、小林敦子氏と和田清美氏の2名であった。そのうち前者の小林敦子氏(日本大学大学院)の報告は、「行政サービスにおける『住民満足度』に関する研究:地方自治に関する心理学的方略の検討」と題して行われた。
 その概要であるが、自治体の財政事情の悪化、地方分権の推進、市民社会の成熟などを背景に、行政の施策を統一的な形で評価し、その結果を新たな行政運営に反映させる行政評価が必要であるという問題意識のもと、客観的で数量化された形の行政評価が、いかにして可能となるのかを検討するのが、本報告の主たる目的であったように思われる。具体的には、2004年にX県Y市で実施された住民満足度調査(ランダムサンプリングされた、市内在住の20歳以上の男女1000人が対象の質問紙調査)のデータをもとに、「各行政サービスに対する住民満足度」に関する複数の変数、「住みやすさ満足度」に関する変数、「定住志向性」に関する変数、そして「行政サービス満足感についての因子分析の結果(2因子)」という各変数間の因果関係を測定することで、行政評価についての有効な指標や尺度を導きだそうとするものであった。その結果、行政サービスへの満足度について、大きく「安全・快適サービス」と「健康・豊かサービス」という2因子に分類が可能であること、この2つに分類される満足度が、「住みやすさ満足度」に影響を与え、さらに「住みやすさ満足度」が「定住志向性」に影響を与えることなどが示された。
 一方、本報告の内容に対しては、報告者本人が指摘したものも含めて、様々な論点が指摘された。それらを大別すると、(1)自治体主導で行われる「市民意識調査」の恣意性の問題、(2)調査や分析の方法に関する問題、(3)「公共性」の構造転換に関する問題の3つに区分できるのではないかと思われる。(1)は、本報告でデータとして使用した「住民満足度調査」というのは得てして、自治体(の首長)の意向に基づいた政策を行いやすくするための「方便」として行われる傾向があり、そうした調査のデータを学術研究のデータとしてどこまで適応できるかという問題であった。次に取り上げる(2)は、この(1)に起因する問題である。その(2)であるが、例えば質問紙調査における質問の仕方(「(…に)満足している」)がよくないという問題や、年齢や性別以外に調査対象者の属性に関わる部分の変数(例えば具体的な居住地域や経済力など)がないという問題、「住みやすさ」や「定住志向」に影響を与える変数として、この調査では想定されていない要素が入り込んでいる可能性があるのでないかという問題などが指摘された。本報告では、特に(2)に関する部分での議論が多かったように思われる。(2)に関して私は、各調査対象者の生活課題に関する変数がないために、個々の行政サービスが彼らにとってどれほどの切実さがあるのかを判別できないということ、そして各行政サービスに対する個人の切実度を統制した上での分析ができないという点が特に気になった。(3)は、この研究が単に行政の施策をよいかどうかを評価するというだけでなく、財政の逼迫や市民社会の成熟などという近年の傾向を考慮して、行政において何をどの程度までフォローするべきかあるいはするべきでないのか、また何を、行政よりも市民の側で率先して行うべきかについて議論するための材料にならないかという指摘である。確かにこの研究は、単なる「行政評価」の文脈だけではなく、行政と市民が互いにどのように関わり合いながら、パブリックな社会を運営していくのかという、より広い文脈に位置づけることが可能であるものと思われる。
 率直に言って、今回の報告に対しては、必ずしも小林氏の関心に沿って設計されたわけではない、自治体主導の調査の限界を感じずにはいられなかった。しかし、だからといって今回の報告に意味がないわけではない。むしろ、こうした調査の問題点を洗いざらしに抽出し、その結果を踏まえて学問的に妥当といえる行政評価の手法を開発するということは意味のあることであり、今回の報告とその後の議論は、そのための大変有意義なステップになったのではないかと思われる。小林氏は今後、一つのサービスとその利用者に対象を絞った調査を計画しているとのことである。これは、「各行政サービスに対する個人の切実度を統制する」ための手段の一つであるといえる。今後の研究の進展を期待したい。

関東都市学会研究例会印象記
鈴木貴宇(東京大学大学院)

 去る3月11日、日比谷の東京市政調査会で研究例会が行なわれた。2名の発表者の一人であった和田清美氏(首都大学東京)による研究報告「大都市における地域性と都市行政のあり方に関する研究―東京城南工業地域の地域・産業構造の特質の分析から―」について、内容紹介と興味深く感じられた点いくつかを記す。
まず和田氏から本報告の背景が説明された。当日の報告は近々に発行される当学会年報 掲載の論文(「大都市における産業と地域社会の関係」)と問題意識および方法を共有しており、その基礎となった研究は東京都による特別研究費(東京都傾斜配分特別研究費:平成16年度)で行なわれたという。氏は「東京の地域社会構造とコミュニティ」をテーマに研究を続けてきており、その成果は既に『大都市東京の社会学:コミュニティから全体構造へ』(有信堂)としてまとめられてもいる。本報告は、こうした一連の研究蓄積を背景に、氏が長年対象としてきた都市における地域性の問題とその現状を、東京の大田区という場所から浮き彫りにするものであった。
 表題にある「東京城南工業地域」とは品川・目黒・大田三区を指し、同地域は戦前から京浜工業地域の一角として、東京の産業的基盤を担ってきた。品川・目黒の製造業は90年代以降の国際化の流れに対応しきれず停滞の状況にあるが、大田区の製造業は集積技能・技術の高さ、また業種の特性によって、現在でも新たな展開が見られその様子は国内外から注目を集めている。近年、名古屋市のように中小企業の成長が目覚しい場所が活力ある大都市を形成していることから、氏は製造業が今日でも盛んな大田区に着目したという。
 統計資料等は前述の論文に記載されているとのことで、本報告は氏が行なったヒアリングによる中小企業の実態分析を中心に進められた。ヒアリングは大田区大森にある特殊精密試作部品工場とメッキ加工工場の訪問調査によるもので、報告では特に中国人研修生の事例が取り上げられた。中国、韓国、フィリピンからの外国人労働者が増加している大田区では、同区が誇る高い技術修得を理由に来日している中国人実習生らが労働力を支えているという。こうした労働力のグローバル化が進む一方、彼らの日常生活は言語や習慣の違いを障壁とする閉塞感に覆われているとの問題点が指摘された。都内でも外国人労働者を多く抱える池袋・新宿地区では見られない、外国人労働者の孤立が大田区の場合は顕著だという。雇用面では着実に根を下ろしているかのように見える外国人との共生も、生活面では境界線を内包しているのが現状のようだ。
 氏が感心を持つ「地域性」という観点からすると、大田区は都内でも独特の重層性―かつての漁師町、工業地区、そして住宅という三層構造―を抱える場所である。松山巖は羽田に残る穴守稲荷をめぐる数々のうわさを取り上げ、共同体の網の目が路地のかたちそのままに残された場所との分析を成したが(『うわさの遠近法』)、その残存する網の目が時に異邦人の存在を際立たせてしまうということはないのだろうか。池袋・新宿地区では考えられない孤立の状態に外国人労働者が置かれている、とのことだが、果たしてこれが同区の「地域性」に起因してしまうものなのか、はたまた行政の努力等で改善される類のものなのか。記憶に新しい、滋賀で起きた中国人女性による園児殺害事件のことも時折頭に浮かび、今日的な問題が集約する報告との印象を強くした。


(写真:06年3月例会の様子)

○ 関東都市学会協力の研究会が開催されました。
 都市研究の草分けP.ゲデス。彼が標榜した都市と大学の実践的関わりを実現してきた、ダンディー大学の研究者との研究交流が開催されました。

■ 日時 1月28日(土) 16:00〜18:00
■ 場所 東京大学駒場キャンパス18号館
     2階会議室(京王井の頭線駒場東大前下車)
■ 講演 Deborah Peel氏 (スコットランドダンディー大学ゲデス研究所講師)
"Work, Place, Folk in Scotland: the contemporary relevance of Patrick Geddes"
■ 主催 明日の都市再生研究会
■ 協力 関東都市学会
■ 印象記
研究会印象記
石井清輝(慶應義塾大学大学院)
 さる平成18年1月28日(土)、東京大学駒場キャンパスにおいて、Deborah Peel氏を招いた研究会が開催された。今回の研究会は、スコットランドダンディー大学ゲデス研究所講師であるPeel氏に、"Work,Place,Folk in Scotland:The Contemporary Relevance of Patrick Geddes"と題した報告をして頂いた。パトリック・ゲデス(1854~1932)は社会学者、地理学者、都市計画者、さらには教育学者としてもその名が知られている。Peel氏の報告は、このようなゲデスの多面的な研究活動・実践と、その現代性を問うという極めて興味深いものであった。ここでは氏の報告の要旨を、ゲデスの学際性、実践性の観点から整理し、研究会全体の印象についても記しておきたい。
 Peel氏が繰り返し強調していたことの一つに、ゲデスの研究の学際性があげられる。ゲデスは、蛸壺的な専門研究を厳しく批判した。それは彼が、地域が抱える問題が非常に複雑なものであり、その問題を正確に認識し解決していくためには、専門分化された研究だけでは不十分だと考えていたためである。その学際性の主張は、彼の驚くほど広範な研究関心に裏づけられたものであった。彼は何よりも「ジェネラリスト」であろうとしたのである。
ゲデスは生物学から研究をスタートし、フランスを中心とする地理学の概念や研究手法を摂取し、生物学、地理学、社会学を総合した独自の都市学(civics)を提唱した。彼はこの都市学を軸に、地域の環境と社会過程の相互関係を考察し、社会変動に関与しうる社会科学を構想したのである。彼のこのような精神は、現在でもエジンバラに残る展望塔(outlook tower)に見ることができる。この塔は、観察のための道具であると同時に、ローカルな地域の生活が国、ヨーロッパ、さらには世界とどのような関連性にあるのかを人々に示そうとしたものであったという。ここでゲデスは、五感を活用して地域を総合的に認識し、各地域を他の地域との関連性の下に理解することの重要性を説いたのであった。
 地域の質と地域間の関係を問うというゲデスの姿勢は、彼の主要な実践的な活動である地域計画においても一貫していた。ゲデスの地域計画の目的は、地域生活の実態と社会の流れを認識し、それを基礎に他地域、さらには世界との関連性を視野に入れた発展の方向性を明示することにあった。そこには、経済発展、生活環境、社会正義の間でのバランスを考慮した社会発展の方向性を探る、という研究と実践に関する極めて現在的な視点も含まれていたという。さらに彼の地域計画には、「市民参加」や「地域主義」、都市再生における「修復的手法」など、現在の地域計画においてしばしば取り上げられる概念も多く含まれていた、ということも指摘された。
 報告後、なぜ都市社会学においてゲデスはほとんど取り上げられてこなかったのか、ゲデスの活動は具体的にはどのような形で残されているのか、など活発な質問がなされた。Peel氏によれば、ゲデスの研究と実践は、その文章の難解さや抽象性、進化論の問題、さらに当時の社会状況などもあり、必ずしも本人の望んだ通りには実現されておらず、また理解されても来なかったという。たしかにゲデスの文章は難解であり、その理解や普及を妨げる最大の原因になっている。しかし、それを踏まえた上で、彼の理念を理解し受け入れることができなかった時代や社会そのものについても考えていく必要があるだろう。
現在、学際性や研究と実践的な活動との結合の必要性が叫ばれているが、その方途は必ずしも明確ではない。Peel氏の報告は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、現在と同様の問題に果敢に取り組み苦闘したゲデスの姿と、その現代的な意義を鮮明に浮かび上がらせるものであった。ゲデスの研究には、現代に繋がる先駆的な模索が曖昧なまま、未だに数多く埋もれている。それをどのように継承し、現在という問題構成の中で発展させていくことができるのだろうか。このような課題への取り組みは、地域研究や地域計画の今後を展望する上で十分意義深いものとなるはずである。今後の展開に期待したい。


○ 関東都市学会 秋季大会が開催されました。

■ 2005年度関東都市学会 秋季大会

■ テーマ 郊外居住の再生を考える:宇都宮市におけるニュータウンの現場から
■ 開催日 2005年(平成17年)11月26日(土)
■ 開催場所 さつきニュータウン・宇都宮市役所
■ 主催 関東都市学会
■ 後援:宇都宮市、さつきニュータウン自治会、下野新聞
■ プログラム
【ウエルカム・セッション】
場所:宇都宮市・雀宮地区
◎ 歓迎の挨拶 雀宮地区市民センター所長、さつきニュータウン自治会長
◎ さつきニュータウンの現状と課題(大野邦雄)
【シンポジウム】 
 場所:宇都宮市役所12階会議室<BR>
 14:00 開会
      主催者挨拶   藤田弘夫(関東都市学会長、慶應義塾大学教授)
      開催市長挨拶  佐藤栄一(宇都宮市長)
 14:20 テーマ発題
      宇都宮市で都市の郊外を考える意義  檜槇 貢(作新学院大学教授)
 14:30 シンポジウム 東京100キロ圏の郊外住宅団地の課題
      コーデイネーター 石川文子(下野新聞論説委員)
      討論者(五十音順)宇都宮市建設部長(予定)
      熊田俊郎(駿河台大学教授)
      土居洋平(地域交流センター研究員)
      戸所隆(高崎経済大学教授)
      中井道夫(山梨学院大学教授)<BR>
      三橋伸夫(宇都宮大学工学部教授)<BR>
 17:00 閉会   大前道夫(宇都宮在住都市学会員)
 17:30 懇親会  会場:市役所16階

■ 印象記
関東都市学会秋季大会印象記
五十嵐泰正(日本学術振興会特別研究員)
 「巣みよい街」として「世界遺産登録」を目指すという百年構想への意気込みを、力強く語ってくださった大野氏の案内によるさつきニュータウンの視察から、本大会は始まった。そこで会員諸氏は、隣町に通じる広域道路をあえて地区内に通さないというような、生活者視点での街づくりを進める地域の力を確認する一方で、高齢化と第二世代の流出により空き家が発生し、零細自営業以外の商店が定着できないというような困難を抱える現状を目にし、檜槙会員が設定した本シンポジウムの問題意識を共有したことだろう。その問題意識は、冒頭から、佐藤宇都宮市長の挨拶で、行政の論理からも的確に指摘されることになった。すなわち、今大会のテーマのひとつであるコンパクト・シティの構築とは、財政再建と都市間競争での勝ち残りという課題の両立を図る行政にとっては、伸びきった兵站を整理し、集中的・効率的な資源の投下をするために、焦眉の急の懸案であると。

 その後は、森建設部長と三橋会員からご当地・宇都宮、熊田会員から飯能、戸所会員から高崎、中井会員から甲府を中心とした山梨と、「関東外周域」に位置づけられるそれぞれの地域の現状から見えてくる課題と展望が報告され、また、土居会員からは、郊外に住むということの現代的な意味が、第二世代の視点から問い直され、きわめて活発な議論が展開された。各地域からの報告は、一定の問題意識を共有しながらも、その位置づけと評価にさまざまな差異が見られたことは興味深い。それは確かに、第一義的には、東京からの距離の違いという実も蓋もない地理的条件に規定された、空間再編過程の中での位置取りに由来するものだろう。しかし、そうした構造決定論的な理解は、まったく一面的なものに過ぎないと、この日の討論に参加した会員諸氏は、再認識したのではないだろうか。たとえば、土居会員が、郊外に愛着を持つようになった第二世代の文化実践を、生き生きと示すとき。北関東に進出した企業が、「東京と地元の向いているのか」を、戸所会員が舌鋒鋭く問うとき。都市中間層の意識と行動様式を山梨に持ち込んだ新住民が、葛藤を繰り返しつつも地付き層を巻き込んだ住民運動を開始する経緯を、中井会員が丹念に追いかけるとき。そして何より、困難な環境の中でのさつきニュータウンの粘り強い歩みに触れたとき。会員諸氏は、高齢化・低成長の継続・グローバル化と厳しさを増す環境の中でも、企業活動からボランタリーな地域活動に至るまで、「やりようによっては、まだまだやれることはある」という思いを新たにしたのではないだろうか。その思いが最後に、全国的なネットワークを築きながら宇都宮で草の根の地域活動に長らく携わってきた大前会員による、「日本全土に燎原の火のように沸き立つ萌芽」に可能性を見出したいというコメントに代弁され、盛況のうちに大会は閉幕した。

石神裕之(日本学術振興会特別研究員)
 今回の秋季大会は「郊外居住の再生を考える」というテーマで、2005年11月26日、穏やかな小春日和のなか、栃木県宇都宮市・雀宮地区市民センターおよび宇都宮市役所を会場として開催された。ここでは全体の概略を紹介しつつ、簡単な感想を述べたい。

 最初にテーマについての現場感覚を共有することを目的として、雀宮地区市民センターにおいてウエルカム・セッションが行われた。まず雀宮地区市民センター所長ならびに視察場所である「さつきニュータウン」の自治会副会長より歓迎のご挨拶があり、その後、ニュータウン再生に向けたワーキングチームの大野邦夫氏より具体的なニュータウンの現状や今後の「100年計画」やプロムナード構想などについて、パワーポイントを駆使したプレゼンテーションがあった。昼食後、実際に「さつきニュータウン」へ視察に向かい、指摘されていたニュータウンへの狭隘な道路や計画途上の道路の実態、住宅・街区の様子、河川敷の状況などを実見した。その後宇都宮市役所に場所を移し、16階中会議室において14時半からシンポジウムが開かれた。まず藤田弘夫会長、佐藤栄一宇都宮市長のご挨拶の後、檜槇貢会員よりテーマの発議があり、各発表者(三橋伸夫・森賢一郎・土居洋平・熊田俊郎・戸所隆・中井道夫各氏〈発表順〉)の報告後、コーディネーター(石川文子氏)を含めた7名による討論を行った。
 檜槇報告では、郊外住宅地の自立性の喪失や世代継承の失敗など郊外問題の諸課題が提示され、三橋報告、森報告では宇都宮市の特色(車社会・都市と周辺地域との接点の乏しさ)が指摘されたほか、佐藤市長も言及していたコンパクトシティ化についても指摘があった。その後の土居報告では、一昨年の春季大会における郊外に関する議論の整理がなされ、郊外意識の世代間の違いや郊外の定義などについて言及があった。次に熊田報告では、飯能市における住宅開発の経緯と現状の問題(潜在的な不良債権化しつつある住宅開発の実態)が指摘された。この点は戸所報告においても同様に、前橋ローズタウンといった大規模住宅開発の失敗やその背景としての東京再生について辛辣な指摘があった。他方、郊外再生のポイントとして教育や雇用の改善を挙げ、また地方都市の多核心型への転換と連携強化、企業の土着性や地域間での交流を高める必要性が指摘された。中井報告では甲府市周辺の住宅開発に伴う新規流入者と地元住民とのcultural conflictについての指摘があった。フロアからの質疑も活発で、郊外居住の問題への関心の高さを窺うことができた。

 ここで少し一昨年の春季大会の報告と合わせて考えてみると、郊外居住の高齢化や空洞化はさつきニュータウンのみならず、どの地域でも共通した問題であるが、中沢高志が指摘したように、都心回帰という職住隣接の生活スタイルへの憧れがある一方で、親世代との近居や、就業場所としても都市との関わりを持たない郊外住民が増加しているという点は注目される(中沢2005)。そもそも郊外とは、若林幹夫が定義するように、「都市との関係で現れてくる領域であり社会であ」り (若林2000)、中沢が指摘するような状況は、郊外が中核都市との関係性を次第に失いつつあることを示唆しているといえる。それは言い換えれば、郊外の自立化がある意味で進んでいると指摘することもでき、最近流行の郊外大型店舗の増加はその反映ともいえよう。最近では中心市街地活性化のため、こうした郊外大型店の規制の動きもあり、都市と郊外の関係は新たな局面にあると言える。いずれにせよ、こうした郊外の自立性の高まりや郊外第二世代の動向が、今後の郊外居住のあり方にどのような影響を与えるのか興味のあるところであり、さらなる議論が期待されるものといえよう。
[参考文献] 
中沢高志2005「郊外居住の地理的実在」『関東都市学会年報』第7号pp2-14
若林幹夫2000「都市と郊外の社会学」『「郊外」と現代社会』青弓社pp13-59


○ 関東都市学会、例会が開催されました。

■ 2005年度 関東都市学会 第1回 研究例会
■ 開催日時:平成17年9月24日(土) 15:00〜17:30
■ 開催場所:慶応義塾大学三田キャンパス 大学院校舎1階311

■ 報告1
■ 報告タイトル 「戦後再開発に見る施行者と権利関係者の都市計画論理 
                   −新橋西口市街地改造事業の事例研究−」 
■ 報告者 初田香成(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程)
■ 報告概要
 新橋西口市街地改造事業(1963〜70)を取上げ、事業の制定過程や法の運用過程の議論を整理することで、高度成長期の日本の都市計画・再開発の特質の一端を明らかにすることを目的とする。新橋西口地区では1960年代までバラックの飲み屋街が建ち並んで繁栄し、一方でその権利関係の複雑さから、再開発にあたり地元の権利関係者と東京都の間で係争が勃発していた。ここではまず従来零細な地権者に対する救済措置として位置づけられてきた市街地改造事業が、実は地権者がほとんど残らないクリアランス事業に近い性格を持っていたことを明らかにする。一方その過程では、未だ再開発の事例が少なく官民ともに手探り状態の中、多主体の論理に基づく議論がなされ、それが実際の事業にフィードバックされていた。ここでは主に地元住民団体の代表がまとめた係争資料をもとに、戦後の再開発に見る施行者と権利関係者の都市計画論理を明らかにする。

■ 報告2
■ 報告タイトル 「近世遺跡の発掘にみる江戸のごみ処理
                       −リサイクル都市の虚実−」 
■ 報告者 石神裕之(日本学術振興会特別研究員)
■ 報告概要
 これまで文献史料による研究成果からは、制度化されたごみ処理や生活財の再利用が指摘されてきた。それは循環型社会の先駆けとも評価されるが、一方で都内における近世遺跡の発掘調査からは、陶磁器、瓦、建材をはじめ大量の生活財の無秩序な廃棄が認められている。そこで本発表では、江戸遺跡から出土する遺物の重量データを基に、近世都市のごみ処理の実態を具体的に明らかにしたい。加えて遺跡を街の新たな資産として位置づけ、活用する方向性についても議論したい。

■ 印象記
関東都市学会印象記
秋田典子(東京大学大学院)
さる平成17年9月24日(土)、慶應義塾大学にて、関東都市学会の研究例会が開催された。今回の例会では「戦後の再開発に見る施行者と権利関係者の都市計画論理−新橋西口市街地改造事業の事例研究−」(東京大学大学院/初田香成氏)と、「近代遺跡からみた江戸のごみ処理−リサイクル都市の虚実−」(日本学術振興会特別研究員/石神裕之氏)の2氏による都市の歴史に関する報告が行われた。ここでは、後半の石神氏による報告を中心に、例会全体の印象も含めた当日の様子を報告したい。

 まず、前半の初田氏の報告では、戦後の都市再開発がどのように進んだのかについて、新橋を事例として、商店主個人のレベルに落とし込んだ詳細な調査・研究に基づく報告が行われた。初田氏の報告は、戦前に強制疎開をせざるを得ず、戦後に新橋に帰ったところ闇市が形成されていて戻る場所がなくなっていた人々と、戦後、新橋に新しく入ってきて闇市を形成した人々との協調と対立の歴史を中心として、都市再開発に関わる概念や法律の誕生を縦糸に、再開発のモデルケースとしての東京都の関わりを横糸に、混乱した新橋市街地改造事業の経緯を立体的に解き明かすものであった。初田氏が古本屋で発見した寿司屋主人の個人のファイル等から、戦後の混乱期の再開発が力づくで行われていた状況が、生々しく浮き彫りにされた報告であった。

 一方、後半の石神氏の報告は、初田氏の報告より時代をもう少し下った江戸期の都市の実態について、遺構のごみの重量の分析から明らかにしようとするものであり、「江戸はリサイクルを主体とした循環都市であった」とする近年の文献資料等による評価に対し、批判的な立場から具体的な考古学的資料に基づいて再検証を試みた報告であった。
石神氏は新宿区内の遺構から発掘された遺物の重量の計測結果から、町人地であっても武家地であってもごみの投棄が行われていたこと、特に武家地については雑多なごみの捨て方がされていたこと、また、瓦類と陶磁器類の重量の分析結果から、これらのごみについては分別処理を行っていた可能性があることを指摘している。更に、具体的な遺構の内容物の分析から、きれいに使えるものでも捨てられているものがあること、漆系の職人等の産業廃棄物にあたるものも遺構に捨てられていることが明らかにされている。江戸のごみ捨て場として知られている永代島へのごみの移動については、町人地ではごみの仮置き等による移動の可能性が示唆されたが、武家地ではそもそも回収業者がいたかどうかも不明であることが指摘された。
一方、遺構に残された遺物について、火災等による災害ごみと日常生活から発生する一般ごみとの区別が必要ではないかという指摘があったが、こうした分類が遺構調査では困難であり、今後の課題として提示された。また、壁土をとって穴が開いた土地を埋めることを目的としてごみを入れたり、居住として適していない悪い土地(斜面地など)にごみを捨てているのではないか等のさまざまな指摘があり、今後の研究の進展が大いに期待される報告であったと言える。

 本研究例会の2報告は、都市の歴史をそこで活動する人々の営みの実態から読み解こうとするものであり、いずれも都市研究の基礎として位置づけられる重要な報告であった。両氏の今後の研究の状況について、改めて報告の機会が得られることを期待したい。


○ 関東都市学会 研究例会が開催されました。

■ 2004年度 関東都市学会 第2回 研究例会
■ 開催日時:2005年3月12日(土) 15:00−17:30
■ 開催場所:東京市政調査会 5階 第一会議室
■ 報告
「景観形成におけるイマジナリーシンボルについて」
阿波秀貢氏(鰍`WA都市建築計画研究所)
「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」
香川雄一氏(明治学院大学非常勤講師)

【研究例会印象記】
研究例会印象記―景観形成の主体をめぐって
執筆者:土居洋平(地域交流センター)
 さる平成17年3月12日(土)、東京市政調査会において関東都市学会の研究例会が開催された。今回の例会では「景観形成におけるイマジナリーシンボル」(晦WA都市・建築研究所/阿波秀貢氏)と、「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」(明治学院大学非常勤講師/香川雄一氏)という、一見すると関連性の薄い2つの報告が行われた。ここでは、前半の阿波報告を中心に、例会全体の印象も含めた当日の様子を報告したい。
 阿波報告の前半においては、長野県小布施町の事例をもとに、特定の象徴的なイメージを軸に地域全体で景観の形成をする手法を用いた地域づくりについて報告がなされた。事例では「北斎館」という地域を象徴する「わかり易い」拠点(イマジナリーシンボル)をもとに、住民が参加しながら面的に景観が形成されていき、さらに新しい拠点が形成されるプロセスが紹介された。ここでのポイントは、「わかり易く」象徴化されたイメージを軸に、地域の景観が住民を巻き込みながら形成されるということであった。
 報告の後半では、この手法の他地域への応用の可能性を探った事例として、銚子市での氏の活動が紹介された。ここでは、市の事業に携わりながら、地域を表象するわかりやすい拠点(イマジナリーシンボル)を中心にした地域の整備・景観形成を試み様子について報告された。特に、市民に共有された地域に対するイメージをもとに、新たなイマジナリーシンボル(この場合、(仮称)銚子・醤油文化歴史館)を作り、それを軸に地域の景観形成を計ろうとする試みが印象に残るものであった。
 報告後は、このような景観形成は地域の「記憶の選択」に関わる問題であり、そこに地域住民がどのように関わるのかが課題になるという点や、新しく伝統を作り出すことの是非について刺激的な議論が行われ、例会も大変盛会なものになった。ただ、報告者の手法で地域の景観を形成するに際しては、留意すべき点があることも強く感じた。それは、例会中の議論でも挙げられていた、地域の景観形成を行う主体という問題である。報告においては特定のイメージに従った地域の景観形成について紹介がなされたが、観光で来る人々と地域住民、あるいは地域住民の間に最初から地域に対するイメージが共有されているわけではない。地域空間はさまざまな主体によるイメージが重層的に構築されており、「わかり易い」イメージでの景観形成といっても、どのような主体にとっての「わかり易さ」なのかということが常につきまとうであろう。
 この点は、行政等の委託を受けて外部から地域の景観形成に携わる場合、強く自覚されるべき問題である。とりわけ事業として期間限定で地域に関わる主体(つまり、最終的には結果に対するリスクを保持しえない主体)が、その後も長く続く地域の景観形成にどれだけ責任を持ちうるのかということは、大きな問題である。報告された阿波氏が真摯にこの問題に取り組んでいる点は非常に評価できると感じたが、それでも構造的にこうした問題が残ることは指摘されるべき点であろう。
 もちろん、最近では景観形成を地域アイデンティティの軸にしようとする住民活動も数多い。住民同士で地域の誇りになるものを探しあう「世間遺産」「探検・発見・ほっとけん」等の運動をはじめとして、各地で地域の景観形成に関わる活動が行われている。つまり、行政の事業として景観形成に関わる動きがある一方で、住民活動の中からも地域アイデンティティ形成の手段としての景観形成を行う動きが生じているのだ。
 つまり、政策としても運動としても、現在、景観形成が地域の大きな課題になっているのである。例会後半の香川報告は、都市化による変化を漁業者の視点を軸に読み解く報告であったが、ここにおいても、空間を誰がどのように表象するのかということが課題となっていた。今回の2つの報告は、一見するとまったく関連性のない報告であったが、「地域を誰がどのように表象するのか」という点については、議論を共有していたと感じた。この点は、今年の春季大会シンポジウムのテーマと密接に関連する問題でもあり、大会での議論を大いに期待したい。

研究例会印象記
執筆者:上野淳子(上智大学大学院)
 早春のまだ肌寒さを感じる3月12日(土)、東京市政調査会で研究例会が開催された。今回の報告者は阿波秀貢氏と香川雄一氏の2名であった。2番目に登壇された香川雄一氏(明治学院大学非常勤講師)は、川崎を主な調査地として、環境問題を地理学的な視点から研究されてきた方である。今回の報告も「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」と題して行われた。
 川崎は工業都市のイメージがいまだ強く、「公害の街」という悪名ももつ。そうした悪評を払拭し、工業衰退とともに落ち込んだ地域経済を再生しようと、近年、川崎市は「文化」をキーワードにコンサート・ホール建設など川崎駅前の大規模開発を積極的に推し進めている。他方で長年、川崎の公害問題に取り組むNPO法人は「環境再生による地域再生」を訴える。脱工業化の波のなかで地域再生のあり方を模索する川崎や他の工業都市は今後どのような途をとりうるのか。その議論の出発点として、川崎が工業都市化する過程を論じた本報告を興味深く拝聴した。
 香川氏は川崎の海苔養殖業を中心とした漁業者に注目し、彼らが環境問題に対する運動で果たした役割の変容を論じることで、工業都市化が地域社会に与えたインパクトを検討した。早くから工業化が進展した川崎では戦前すでに大気汚染と水質汚濁が問題になり、漁業組合による公害反対運動が起きている。戦前の川崎において漁業者は地域環境の悪化に対抗する主要なアクターであった。しかし、戦後に埋立事業と重化学工業化が推進されると川崎の漁業は衰退に向かう。さらに、住民による公害反対運動が活発化し公害対策として埋立地へ工場が移転されると、漁業の存続は困難となり漁業権の全面放棄が決定された。その後に行われた川崎公害裁判では元漁業者はほとんど関与せず、宅地開発にともなう流入住民が中心であったという。川崎の工業化が産業としての漁業の重要性を減じ衰退を招いただけでなく、都市化・郊外化とあいまって地域社会における漁業者の影響力を弱めていったことが示された。
 報告後、漁業者が彼らの生業を脅かした公害問題に戦後になってなぜ目立った反対運動を行わなかったのか、海苔養殖の継続を希望する漁業者が何らかの形で漁業に携わり続けた可能性はないか、また調査地である橘樹(たちばな)郡の位置づけや漁業権の法的根拠について質問があった。特に、漁業権をめぐる対立・闘争が、なぜ全市的な公害反対運動と結びつかず収束したのかという点に関心が寄せられたように思う。地付きの漁業者と流入層からなる住民では環境問題に対する認識と対処方法が異なることは当然予想されるが、彼らをとりまく地域のネットワークや権力構造の変容も考慮しつつ議論することが必要だろう。
 高度経済成長期に東京湾岸部は日本の経済発展を担う「京浜臨海工業地帯」と位置づけられ、川崎の漁業者は表舞台から消えていった。香川氏によれば、現在、元漁業者らが「海の歴史保存」を求める活動を始めたという。京浜臨海部の再編が構想されるなかで、元漁業者らの働きかけは川崎の海、さらに川崎という都市のあり方へいかなる影響を与えるのか、今後の動向を見守りたい。


■■ 1979年〜2004年の活動概況 ■■


■ 1979(昭和54)年度大会 1979年9月29日 横浜市産業貿易センター会議室
横浜の都市構造と関連する都市問題をテーマにした報告を軸に開催
研究発表・報告
「寿・愛隣・山谷-そのドヤ街草創と命運について---」渋川善久
「港湾都市の開発問題---その理念と政策をめぐって---」北見俊郎(青山学院大学教授)
「横浜市域における交通問題」柾幸雄(横浜市立大学教授)
「横浜の都市構造」小沢恵一(横浜市企画調整局企画課長)
「横浜のまちづくり」若竹馨(横浜市都市整備局開発課長)
「横浜市の経済構造」斎藤健一(財団法人神奈川経済研究所)
「横浜における管理中枢機構について」永田尚之(神奈川県企画部計画室長)

■ 1980(昭和55)年度大会 1980年12月7日 青山学院大学
自由報告
「労働者宿泊施設からみた都市の機能的性質について---特にドヤと飯場とを視点とした場合---」渋川喜久
「地域集団のリーダーと行政---自治会・町内会の調査から---」斎藤昌男(立正大学)
主題「都市学」
「『港湾都市』の学的形成と諸問題」北見俊郎(青山学院大学)
「都市化社会の生活様式」高橋勇悦(東京学芸大学)
「都市学の形成と課題」磯村英一(東洋大学)

■ 1981(昭和56)年度大会 1981年11月21日 三鷹市 
都市学をテーマにしての研究発表、および三鷹市の再開発をめぐっての報告
「三鷹市の再開発」江口清三郎(三鷹市企画調整室)
「『山谷ドヤ街の草創事情に関する仮説』の提起について」
渋川喜久(元東京都城北福祉センター所長)
「都市と集合住宅」金子修(日本都市センター)
「オンブズマンの制度と機能」宇都宮深志(東海大学助教授)

■ 1981年度研究例会
9月研究例会(1981.9.26.)於:東京市政調査会
「マイ・タウン構想と今後の都政展望」市橋幸憲(東京都企画報道室調整部長)
10月研究例会(1981.10.17.)於:慶應義塾大学
「中国の古都をたずねて」山鹿誠次(独協大学教授)

■ 1982(昭和57)年度大会 1982年10月30日 慶應義塾大学
テーマ「都市と人間」
「港湾都市と人間の生活」北見俊郎(青山学院大学)
「都市と人間---ドヤ宿泊者に観察される階層分化傾向について---」
「都市の情報装置と人間」清原慶子(慶應義塾大学)
「行政と市民」大塚祚保(日本都市センター)

■ 1982年度研究例会
9月研究例会(1982.9.25.)於:慶應義塾大学
「身体と都市---都市の現象学をめぐって---」山岸健
12月研究例会(1982.12.4.)於:慶應義塾大学
「広島市における政令指定都市実現の過程と現状における問題点」
崎川謙三(日本大学法学部教授)

■ 1983(昭和58)年度大会 1983年10月1日 立正大学
自由発表
「東京山の手におけるクリエーティブ・ゾーンの特質と立地環境」
小野純一郎(立正大学・院)
「大都市周辺部における都市魅力の創造に関する一考察---神奈川県相模原市を事例として---」渡戸一郎(地方自治協会)
「地方政治から都市政治へ」土岐寛(東京市政調査会)
「伊豆下田の市街化と商業中心の動静」杉村暢二(文部省)
シンポジウム・テーマ「都心社会の変化」
司会 田辺健一
問題提起 「都心形成の理論と課題」磯村英一
報告者
「都心地域における人口減少と都心社会の変化」大江守之(社会開発総合研究所)
「都心社会の変化---巨大都市東京の産業構造の変動と小零細経営群の存立要因からの検討」三井逸友(駒澤大学)
「都心社会における行政上の問題」竹下譲(拓殖大学)
「今日の都心研究の意味」高橋勇悦(東京学芸大学)

■ 1983年度研究例会
5月研究例会(1983.5.13.)於:慶應義塾大学
「都市開発と交通投資のあり方---筑波研究学園都市発展第二段階の課題---」
   山東良文(人間都市研究所所長)
6月研究例会(1983.6.24.)
「都市の脆弱性と地域住民組織の機能---地震防災をめぐって---」
浦野正樹(早稲田大学助手)
11月研究例会(1983.11.26.)於:慶應義塾大学
「人口高齢化と自治体の社会保障問題の基礎分析」佐久間淳(埼玉県立衛生短期大学)
「【補足コメント】いわゆる"上積み老人福祉"の具体的状況」伊藤秀一(駒澤大学)

■ 1984(昭和59)年度大会 1984年9月29日 町田市
シンポジウム「町田の都市の将来像」

■ 1984年度研究例会
11月研究例会(1984.11.17.)於:立正大学
「シカゴ学派の研究動向---人間生態学を中心として---」矢崎武夫(明星大学)

■ 1985(昭和60)年度大会 1985年11月9日 青山学院大学
シンポジウム・テーマ「場所と人間」
「ワシントンD.C.」荒木昭次郎(東海大学)
「ウィーン」土岐寛(東京市政調査会)
「エジプトの諸都市---カイロを中心として---」店田廣文(早稲田大学)

■ 1985(昭和60)年度研究例会
5月研究例会(1985.5.18.)於:東京市政調査会
「都市と権力---都市の比較社会学---」藤田弘夫(慶應義塾大学)
6月研究例会(1985.6.22.)於:東京市政調査会
「岐路にたつ大都市---世界都市の形成とインナーシティ問題---」町村敬志(東京大学)
10月研究例会(1985.10.26.)於:東京市政調査会
「イギリスの地方制度改革---とくに大都市制度を中心として---」星野光男(東京市政調査会)
12月研究例会(1985.12.7.)於:東京市政調査会
「日本とアメリカにおける都市景観変化の比較---1950年代と1980年代---」
正井泰夫(立正大学)

■ 1986(昭和61)年度大会 1986年11月8日 三浦市三崎マリン会議室
午前   市内見学・視察
基調講演 久野隆作(三浦市長)
シンポジウム「三浦半島と都市」
司会 中村實
パネリスト 石渡庄蔵(三崎マリン社長)、北見俊郎(青山学院大学)
前田吉穂(横須賀市立馬堀中学)、柾幸雄(横浜市立大学教授)

■ 1986年度研究例会
4月研究例会(1986.4.26.) 於:慶應義塾大学
「丘の上の白い都市---アメリカにおける都市イメージ---」奥出直人(慶應義塾大学)
6月研究例会(1986.6.28.)於:慶應義塾大学
「都市と青年---私のアジールと求めて---」田中豊治(東邦大学医療短期大学)
9月研究例会(1986.9.27.)於:慶應義塾大学
「人口構造の変化と社会の変化」程野真(関東学院女子短期大学)
12月研究例会(1986.12.20.)於:慶應義塾大学
「大都市再定義の文脈---フィラデルフィアの事例から---」奥田道大(立教大学)

■ 1987(昭和62)年度大会 1988年2月13日 松戸市民会館
市内視察(工業団地、矢切の渡し、し尿処理場施設、常盤平団地ほか)
基調報告 宮間満寿雄(松戸市長)
自由報告
「コミュニティ行政の新展開--東京23区の事例を中心として--」和田清美(立教大学・院)
「日本における都市研究の課題---過去・現在・未来の展望---」
磯村英一(東京都立大学名誉教授)
シンポジウム「国際交流と都市」
司会 服部_二郎(立正大学)
「東京圏下の松戸市の性格・使命と国際交流」清水馨八郎(千葉大学名誉教授)
その他、渡辺吉章(松戸市在住)、磯村英一(東京都立大学名誉教授)の報告

■ 1987(昭和62)年度研究例会
5月研究例会(1987.5.16.)
「都市祭礼論と都市人類学---京都大文字を中心として---」和崎春日(神奈川大学)
6月研究例会(1987.6.20.)
「クリエーティブ・ゾーンの地域論---東京・山の手インナーエリアについて---」小野純一郎(立正大学・院)
8月研究例会(1987.8.1.)
「都市経済の現状と課題」金倉忠之(東京市政調査会主任研究員)
11月研究例会(1987.11.28.)
「都市と暦---都市社会への時間論的アプローチ---」藤田弘夫(慶應義塾大学)
1月研究例会(1988.1.9.)
「都市銀行の店舗戦略」福原正弘(三井銀行店舗企画部副部長)
「土地問題と都市住民---新宿区落合地区の場合---」
麦倉哲(早稲田大学情報科学センター助手)・海野和之(早稲田大学・院)
横田尚俊(早稲田大学・院)
2月研究例会(1988.2.6.)
「生活空間としての都市---東京における都市生活基盤の歴史的考察---」
吉野英岐(慶應義塾大学・院)

■ 1988(昭和63)年度大会 1988年11月5日 日本都市センター
自由報告
「大都市における土地問題の一局面」
横田尚俊(早稲田大学・院)・麦倉哲(早稲田大学情報科学教育センター)
「東京のタウン・イメージ」小野純一郎(アーバン・アメニティ研究室)
「技術・産業と都市」藤田幸雄(日本都市センター研究室長)
シンポジウム「東京問題を考える」
司会 幸島禮吉(関東都市学会会長)、本田弘(日本大学教授)
パネラー  石黒哲郎(芝浦工業大学教授)、蝦名賢造(独協大学名誉教授)
竹下譲(拓殖大学教授)、清水馨八郎(国際武道大学教授)

■ 1988年度研究例会
5月研究例会(1988.5.7.)
「占領期における都市町内会」吉原直樹(神奈川大学)
6月研究例会(1988.6.4.)
「原宿および清里の地域変容---地域のファッション化を視点として---」
鈴木一久(立正大学・院)
7月研究例会(1988.7.30.)
「<ヤングタウン>の立地と空間構成---新しい広域中心核の形成に関する予備的研究---」小坂宏(芝浦工業大学助手)

■ 1989(昭和64/平成1)年度大会 1989年10月14日 多摩市パルテノン多摩
市内視察
基調報告
臼井千秋(多摩市長)
磯村英一(東京都立大学名誉教授)
自由報告
 「遷都の歴史社会学」藤田弘夫(慶應義塾大学)
 「計画づくりへのコミュニティ参加」中井道夫(計画技術研究所)
シンポジウム「ニュータウン---新しい都市文化の創造---」
司会 西川治(立正大学)
パネラー
 佐々木信夫(聖学院大学)、石黒哲郎(芝浦工業大学)、浦野正樹(早稲田大学)

■ 1989年度研究例会
5月研究例会(1989.6.3.)於:日本都市センター
「東京区部から転出した企業の実態分析」佐脇政孝(未来工学研究所)
「三次元都市・東京の都市計画」横田慎二(未来工学研究所)

■ 1990(平成2)年度大会 1990年11月24日 日本都市センター
自由報告
「コミュニティ・カルテとコミュニティ計画---自治体計画との関連において---」
江口清三郎(山梨学院大学助教授)
「障害者の高等教育に関する調査研究」
  大西哲(流通経済大学講師)・天野栄一(流通経済大学インストラクター)
基調報告
「東京都心部研究の回顧と展望」山鹿誠次(東京学芸大学名誉教授)
シンポジウム
「東京都心部(千代田区・中央区・港区など)におけるまちづくりの課題と展望」
司会 石黒哲郎(芝浦工業大学教授)
パネラー  服部_二郎(立正大学教授)、望月章司(千代田区都市整備部長)
        小川玄(中央区都市整備部長)、土岐悦康(港区都市環境部長)

■ 1990(平成2)年度研究例会
9月研究例会(1990.9.29.) 於:日本都市センター
「ポストレス時代における自治体の対応---専門職制度を中心にして---」
   大塚祚保(流通経済大学)
「地域防災と修復型まちづくり---東京における防災まちづくり概況---」
   横田尚俊(関東学院大学)

■ 1991(平成3)年度総会・大会 1992年2月29日 柏市中央公民館
テーマ「大都市周辺都市の諸問題---まちづくりの実践と総合計画---」
基調報告 
「柏市のまちづくりの実践」土田昭(柏市企画調整部長)
シンポジウム・コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学)
パネリスト  山鹿誠次(東京学芸大学名誉教授)、金倉忠之(東京市政調査会)
大塚祚保(流通経済大学教授)、斎藤吉永(柏市文化連盟会長)

■ 1991(平成3)年度研究例会
11月研究例会(1991.11.16.)
「谷中の育て方---谷中学校のこころみ---」
手島尚人(東京芸術大学助手)、椎原晶子(山手総合研究所)

■ 1992(平成4)年度大会 1992年12月5日 川越市駅前再開発ビル「アトレ」
市内視察
開会挨拶 川合喜一(川越市長)、山鹿誠次(関東都市学会会長)
基調報告
「川越市の現況とまちづくりの課題」牛見章(東洋大学工学部教授)
シンポジウム「都市の魅力と文化---川越で伝統の継承と創造を考える---」
コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学)
パネラー
「小江戸『川越』の魅力と文化性」服部_二郎(立正大学)
「<川越>日常的世界・風景・人間」山岸健(慶應義塾大学)
「高齢社会の視点から、思いつくままに」在塚礼子(埼玉大学)

■ 1992(平成4)年度研究例会
6月研究例会(1992.6.13.)於:日本都市センター
「ヨーロッパ諸都市と風景」山岸健(慶應義塾大学)
「世界都市と外国人労働者」大久保武(東京農業大学)
9月研究例会(1992.9.19.)於:日本都市センター
「オーストラリアの多文化主義と都市」浦野正樹(早稲田大学助教授)
「メガシティ・プロジェクトについて」井崎義治(エース総合研究所研究部副本部長)

■ 1993年度総会(1993.5.29.)於:日本都市センター
自由報告
「都市住民の行動様式についての一考察」島田知二(東洋大学助教授)
「地域福祉計画における現状と課題---首都圏下における小都市の事例---」
増田金重(リサーチプランナーズ代表プランナー)
「皇居と東京」清水馨八郎(千葉大学名誉教授)
特別講演
「江戸東京四百年」陣内秀信(法政大学教授)

■ 1993(平成5年)度大会(1993.11.20.) 於:逗子市立図書館
市内視察
基調報告
「逗子市の現況とまちづくりの課題」澤光代(逗子市長)
研究報告
「二十一世紀への都市の課題」磯村英一(東京都立大学名誉教授)
「三浦半島北西部における住宅地域の成立と特質」伊倉退蔵(横浜国立大学名誉教授)
パネルディスカッション「都市の暮しやすさ・住みやすさ---都市経営と市民生活---」
 コーディネータ 中村實(はまぎん産業文化振興財団)
 パネリスト 大塩俊介(東京都立大学名誉教授)、小野純一郎(アーバン・アメニティ研究室)、永橋為成(逗子市民)、正田美代子(逗子市民)、渡辺毅一(逗子市都市政策室長)

■ 1993(平成5)年度研究例会
9月研究例会(1993.9.11.)
「21世紀の都市の課題」磯村英一(東京都立大学名誉教授)
「超住社会の自治体人口政策」檜槇貢(日本都市センター)
3月研究例会(1994.3.30.) 於:日本都市センター
「自治体における環境行政の現状と課題---最近の調査から---」
   金倉忠之(東京市政調査会第一研究室長)

■ 1994(平成6)年度総会(1994.6.4.) 於:東京都庁丸の内庁舎
特別講演 「父 奥井復太郎の思い出」 奥井晶
研究報告「現代都市学へのアプローチ」
話題提供 清水馨八郎(千葉大学名誉教授)、藤田弘夫(慶應義塾大学助教授)

■ 1994(平成6)年10月28-29日 日本都市学会第41回大会 於:慶應義塾大学
テーマ「現代都市の変容と課題---新しい都市論の構築のために---」
(内容は、日本都市学会記録を参照)

■ 1994年度研究例会
9月研究例会(1994.9.10.) 於:全共連ビル
「地域の国際化と都市行政」河田昭則(日本都市センター研究員)
「都市研究と奥井復太郎博士」幸島禮吉(東京市政調査会)
3月研究例会(1995.3.29.)
「阪神・淡路大震災に学ぶ---現地調査からの報告---」石黒哲郎(芝浦工業大学教授)

■ 1995(平成7)年度総会(1995.5.27.) 於:日本都市センター
テーマ「都市と災害」
「阪神大震災の教訓と危機管理」清水馨八郎(千葉大学名誉教授)
「都市災害と住民の生活再建」浦野正樹(早稲田大学教授)
「阪神・淡路大震災から都市学の課題をさぐる」石黒哲郎(芝浦工業大学教授)

■ 1995(平成7)年度大会(1995.11.17.)相模原市産業会館
現地視察会
討論会 テーマ「都市のアイデンティティとネットワーク---相模原市で考える---」
挨拶  舘盛静光(相模原市長)、服部_二郎(関東都市学会会長)
司会  中村實(はまぎん産業文化振興財団理事)
基調報告 「都市のアイデンティティとネットワーク」石黒哲郎(芝浦工業大学教授)
テーマ報告「相模原と日本---合併町村の諸問題---」藤田弘夫(慶應義塾大学教授)
研究報告
「都市自治体における『行政委嘱ボランティア』の現状と意義---武蔵野市と相模原市の調査を中心に---」渡戸一郎(明星大学)
「選挙行政の展開」山内和夫(東海大学教授)

タウンウォッチング研究例会(1995.10.26.)「調布で都市と自然の共生を考える」

■ 1995年度研究例会
7月研究例会(1995.7.21.)
「地球市民時代のパートナーシップ論」世古一穂(参加のデザイン研究所代表)
3月研究例会(1996.3.9.)
「マルチメディア社会に向けた横浜の情報化戦略」石田正(横浜市高度情報化担当課長)

■ 1996(平成8)年度総会 1996年7月6日 於:慶應義塾大学
研究報告
「東京におけるホームレス」倉沢進(東京都立大学教授)
「都市と健康」高野健人(東京医科歯科大学教授)

■ 1996(平成8)年度大会 1996年12月21日 於:(東京都)江戸東京博物館
テーマ「江戸東京学を考える」
講演等
「江戸東京博物館の現状とその周辺課題」北原進(江戸東京博物館都市歴史研究室長)
「掘り出された都市」小林克(江戸東京博物館学芸員)
「江戸東京学を考える」
  メインスピーカー 田村明(法政大学教授)
  司会       中村實(はまぎん文化振興財団理事)       

■ タウンウォッチング研究例会「芸術・文化・歴史ある町"上野・浅草"の探訪」(1997.3.28.)
コーディネータ 服部_二郎
(コース:下町風俗資料館、旧東京音楽学校奏楽堂、朝倉彫塑館、一葉記念館、浅草寺伝法院庭園などとその周辺)

■ 1996年度研究例会
9月研究例会(1996.9.21.) 於:東京市政調査会
「地球環境と持続的成長」伊藤善市(帝京大学)
11月研究例会(1996.11.16.)
「海からみた都市像」北見俊郎(静岡産業大学)
2月研究例会(1997.2.25.)
「横浜みなとみらい21地区の現状と課題」中村實(はまぎん文化振興財団)

■ 1997(平成9)年度総会(1997.6.21.) 於:東洋大学白山キャンパス
研究報告会「磯村英一と都市学」  討論司会 中村實
報告者
「磯村英一と都市学」服部_二郎
「磯村英一と都市学会」山鹿誠次
「磯村都市学が提起したもの---都市社会学第三世代のひとつの受けとめ---」渡戸一郎

■ 1997(平成9)年度大会(1998.3.15.) 於:台東区役所
テーマ「変貌する首都圏、東京」
研究報告
「東京湾臨海部の変貌---横浜の海と金沢の漁業---」小林照夫(関東学院大学文学部教授)
「東西における大都市圏の変貌」戸所隆(高崎経済大学地域政策学部教授)
「さいたま新都心とその行方」井上繁(日本経済新聞社論説委員)

■ 1998(平成10)年度総会(1998.6.20.) 於:厚生会館(千代田区平河町)
研究報告
「磯村社会学の揺籃---東京帝大セツルメントと戸田社会学---」
中筋直哉(山梨大学工学部循環システム工学科助教授)
「底辺社会との回帰的関わりと磯村都市社会学」
清水洋行(東京学芸大学教育学部助手)

■ 1998(平成10)年度大会(1999.3.12-13.) 於:山梨県白州町
大会テーマ「街道と水---首都圏中山間地域の未来像を求めて---」
於:山梨県白州町(銘醸「七賢」和室+名水公園ベルガ研修室)
1999年3月12日
白州町現地視察
フォーラム1「街道と水」
 コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学教授)
 話題提供
 「山梨県の地域振興と都市---県内東部地域を中心に---」
和田明子(都留文科大学名誉教授/中央大学経済研究所) 
 「台が原宿の今昔」細田元(台が原研究会)
 「白州町の誇りはなにか」服部_二郎(日本都市学会会長)
1999年3月13日
フォーラム2「白州のまちづくり」
 コーディネータ 浦野正樹(早稲田大学教授)
 話題提供
  伊藤好彦(白州町長)、檜槇貢(山梨総合研究所調査研究部長)

■ 1999(平成11)年度総会 1999年6月19日 於:厚生会館
研究報告
「首都圏中山間地域の課題---山梨県白州町を事例として---」
檜槇貢(山梨総合研究所・調査研究部長)
「『地域防災』構想の新たな展開」 大矢根淳(専修大学専任講師)

■ 1999(平成11)年10月22-23日 日本都市学会第46回大会 於:日本都市センター
テーマ「成熟社会における都市の自治と交流」主催 日本都市学会・関東都市学会
    (内容は、日本都市学会記録を参照)

■ タウンウォッチング研究例会(1999.11.21.)「横浜MM21地区ウォッチング」
コーディネート:小林照夫、中村實
講師 佐田宏(日本ホスピタリティ協会常任理事)
コース:日本丸メモリアルパーク、横浜ランドマークタワー、クイーンズスクエア、パシフィコ横浜、臨港パーク、横浜ワールドポーターズ、ナビオス横浜、汽車道など

■ 1999年度研究例会
9月研究例会(1999.9.18.)於:早稲田大学文学部
「アラブ・イスラム圏の都市問題」店田廣文(早稲田大学教授)
「中国社会主義と都市=農村関係の展開」藤田弘夫(慶應義塾大学教授)
3月研究例会(2000.3.11.) 於:東京市政調査会
テーマ「ホームレス・不良住宅・スラム」司会 熊田俊郎(駿河台大学)
「ホームレス問題に対する行政施策の新局面---ホームレス対策の比較検討:日雇い労働者問題からホームレス問題へ---」麦倉哲(東京女学館短期大学)
「戦後横浜の不良環境地区の変遷---昭和20年から昭和30年代半ばの桜木町、日の出町---」矢吹大介(関東学院大学・院)
「生活保護・同和地区を抱えた自治体のコミュニティ・オーガニゼーション」
    大内田鶴子(地方自治研究機構)

■ 2000(平成12)年度総会(2000.5.20.) 於:慶應義塾大学三田校舎
シンポジウム「戦後日本都市社会学・再考」
   司会:熊田俊郎(駿河台大学法学部・教授)
       川西崇行(東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻)
報告1 「シカゴ学派と日本都市論の架け橋---統合機関説の誕生---」
       ○上野淳子(上智大学大学院文学研究科社会学専攻)
            西山志保(慶應義塾大学大学院社会学研究科)
2 「統合機関説と戦後日本の都市社会学の展開」
       ○柴田彩千子(日本女子大学大学院人間社会研究科) 
            松尾浩一郎(慶應義塾大学大学院社会学研究科)
3 「都市社会学者の理論と実践
---首都圏計画における矢崎武夫/統合機関説の国際的展開---」
       ○土居洋平(慶應義塾大学大学院社会学研究科)
            川西崇行(東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻)

■ 2000(平成12)年度大会(2000.12.2.) 於:小田原市民会館
ウォーキング・ツアー(小田原城及び周辺、中心市街地商店街等の視察)
基調講演「小田原市の現況とまちづくりの課題」小澤良明(小田原市長)
パネルディスカッション「首都圏外郭中心都市の可能性と課題」
 コーディネータ 藤田弘夫(慶応義塾大学)
 パネリスト 小野意雄(小野不動産)、熊田俊郎(駿河台大学)、戸所隆(高崎経済大学)

■ 2000年度研究例会
10月研究例会(2000.10.14.) 於:早稲田大学文学部
「災害復興過程のコミュニティ再生---新たなるコミュニティ論構築をめざして---」
似田貝香門(東京大学)
「被災地ボランティアの事業化とサブシステンスの成立---阪神・淡路大震災の事例から---」西山志保(慶應義塾大学・院)

■ 3月研究例会(2001.3.10.) 於:東京市政調査会
「都市の高齢社会化と地域看護・介護」和田清美(東京都立短期大学)
「『一人暮らし高齢者』の『社会問題化』のプロセス---東京都社会福祉協議会のクレイム申し立て活動を中心に---」黒岩亮子(日本女子大学大学院)

■ 2001(平成13)年度総会(2001.5.26.) 於:早稲田大学文学部
シンポジウム「21世紀都市の風景を占う」   司会 井上繁(常磐大学)
報告
「増殖するアーバン・エスニシティと変貌するインナーエリア・コミュニティ」
渡戸一郎(明星大学)
「中心市街地の活性化をめぐって」小野純一郎(アーバン・アメニティ研究室)
「都市における市民活動の展開---震災からの都市復興過程にみる支援活動のネットワーク---」菅磨志保(早稲田大学)
「まち角に見る『公』と『私』---看板の社会学---」藤田弘夫(慶應義塾大学)

■ 2001(平成13)年度大会(2001.12.1.) 於:飯能市役所
エクスカーション
〔見学コース〕原市場、南高麗、美杉台、及び東飯能駅再開発ビル
挨拶   沢辺静壱(飯能市長)、石黒哲郎(関東都市学会会長)
基調講演「飯能の都市計画」 吉田親義(飯能市建設部長)
シンポジウム「分権時代の新しい近郊都市像を求めて」 司会:三田啓一(東京市政調査会)
「地方中心都市の周辺自治体における住民運動と行政の対応」
中井道夫(山梨学院大学法学部)
「ゼロ成長時代における首都圏近郊都市をめぐる情況」熊田俊郎(駿河台大学法学部)
「まちづくり条例による田園地域の総合的土地利用コントロール」秋田典子(東京大学・院)

■ 2001(平成13)年度研究例会
7月研究例会(2001.7.28.) 於:慶應義塾大学三田校舎
「「旧法(旧都市計画法・市街地建築物法)体制下の市街地形態と都市の美観(1919〜1945、或いは1968)」川西崇行(東京大学大学院)
「台湾921震災と阪神・淡路大震災の比較研究に向けて」
木村明子(東京都立大学大学院)・服部くみ恵(まち・コミュニケーションスタッフ)
3月研究例会(2002.3.16.) 於:東京市政調査会
「地域ケア・在宅療養支援をめぐって」国府田文則(UFJグループ三和総合研究所)
「地域ケアシステム(長岡京市の例)」 大内田鶴子(江戸川大学助教授)

■ 2002(平成14)年度春季大会(2002.5.25.) 於:芝浦工業大学
自由報告
「阪神・淡路大震災後の地域社会再生に向けての取り組み―長田区御蔵5・6地区における『ポスト共同化』―」木村明子(早稲田大学講師)
シンポジウム「錯綜する『景観』---都市の審美性は共有できるのか---」
問題提起 「『景観』のジレンマ」 下村恭広(早稲田大学助手)
研究報告
「都市史の連続・不連続 −制度・生活・文学−」
 ○川西 崇行(東京大学大学院)
  石神 裕之(慶応義塾大学大学院)
  鈴木 貴宇(東京大学大学院)
「つくられた景観 −1980年代における宅地開発の転換−」
○上野 淳子(上智大学大学院)
 松尾浩一郎(慶応義塾大学講師)
 土居 洋平(NPO地域交流センター)
 高岡 文章(慶応義塾大学大学院)
「現場からの報告 −主体の差異に注目して−」
○義平 真心(東京大学大学院)
○秋田 典子(東京大学大学院)
○西野 淑美(東京大学大学院)
 柴田彩千子(日本女子大学大学院)
討論者  成瀬 厚(東京経済大学講師)/石神 裕之/松尾浩一郎

■ 2002(平成14)年度秋季大会(2002.10.12.) 於:川越市立博物館
ウォーキング・ツアー(川越駅前〜クレアモール〜新富町〜立門前通り〜大正浪漫夢通り〜一番街・蔵造り資料館他)
基調報告「川越市のまちづくり」木島宣之(川越市都市計画課課長)
シンポジウム「近郊都市における歴史的環境保全と開発」
コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学/関東都市学会会長)
  パネリスト 勝又晃衣(川越蔵の会広報部長) ---市民運動の視点から---
        新津重幸(高千穂商科大学教授) ---マーケティングの視点から---
        後藤春彦(早稲田大学教授)   ---都市計画の視点から---

■ 2002年度研究例会
9月研究例会(2002.9.21.) 於:早稲田大学文学部
「戦後日本の住宅政策―日本型福祉国家論への試み-」金子憲(東京大学大学院)
「山谷における生活世界の体験的研究」馬場佳久(日本大学大学院)
3月研究例会(2003.3.15.) 於:東京市政調査会
「小地域単位における住民意識を反映したまちづくり--愛媛県内子町を例に--」
埴原朋哉(高崎経済大学・大学院)
「オクスフォード-イメージと現実と--」  吉瀬雄一(関東学院大学)

■ 2003(平成15)年度春季大会(2003.5.24.) 於:早稲田大学戸山キャンパス
自由報告
「コミュニティ・ガヴァナンスの創造に向けて--英国SRB制度の社会学的分析--」
平井 太郎 (東京大学)
「公共政策と政策評価--財政投融資計画を事例として--」金子 憲 (東京大学) 
「市民的地域政策形成とサポート機能--アソシエーションの検討を通じて--」
檜槙貢(作新学院)
シンポジウム「関東都市学会・日本都市学会の50年---過去・現在・未来---」 
                司会  藤田弘夫(慶応義塾大学)
 「創立期の関東都市学会とその周辺(1)」本田 弘 (日本大学)
 「創立期の関東都市学会とその周辺(2)」齋藤 昌男(立正大学)
          コメンテーター 松尾 浩一郎(日本社会事業大学)
                    川西 崇行 (東京大学)

■ 2003(平成15)年度秋季大会(2003.10.11.) 於:水戸芸術館
ウォーキング・ツアー
 水戸駅北口広場―銀杏坂―三の丸歴史ロード―大手橋―弘道館(水戸藩藩校)
―旧茨城県庁舎―街かどルネッサンス整備事業箇所(南町)―泉町1丁目南地区市街地再開発事業区域(地元百貨店「伊勢甚」撤退跡)―水戸芸術館
基調報告「水戸芸術館とまちづくり」  大津良夫((財)水戸市芸術振興財団事務局長)
パネルディスカッション「芸術を生かしたまちづくり」
コーディネーター 井上  繁(常磐大学教授)
討論者 逢坂恵理子(水戸芸術館現代美術センター芸術監督)
    住谷 強生(泉町2丁目商店街振興組合副理事長)
    戸所  隆(高崎経済大学教授)
    渡戸 一郎(明星大学教授)

■ 2003年度研究例会
9月研究例会(2003.9.20.) 於:慶應義塾大学日吉キャンパス
「東京の都市化過程における再生資源卸売業の集団形成とその変容」
下村恭広(早稲田大学文学部助手)
「場所の文法:アーバンツーリズムにおける」 成瀬 厚(東京経済大学講師)
3月研究例会(2004.3.13.) 於:早稲田大学文学部キャンパス
「地方都市における大学立地に伴う経済波及効果の捉え方」
千葉 勝(財団法人政策科学研究所)
「要介護化と都市の空間性:東京二世とその老親の事例群から」
西野 淑美(東京大学大学院)

■ 2004年度 春季大会
12:30〜13:40 自由報告
「東京都における緑地の変化に関する区市町村の地域特性」  石原 肇(東京都庁)
「東京100キロ圏の中核都市における中心市街地居住の実態―高崎市を事例に―」
鈴木智(高崎市役所)
「サンフランシスコ市のアフォーダブル住宅政策と非営利ディベロッパーの活躍:テンダーロイン地区におけるホームレス居住自立支援」 
義平真心(東京大学・院)

13:50〜16:45 シンポジウム<「生きられる経験」としての郊外----衰退か、再生か---->
司会 土居洋平(地域交流センター)
1.「郊外居住の地理的実在―住宅双六からライフスタイル居住へ」
中澤 高志(地理学・日本学術振興会)
2.「<郊外>に託されてきた物語:「団塊の世代」と「戦後民主主義」との関連から」
鈴木 貴宇(文学・東京大学・院)
3.「郊外居住の歴史社会学・序論」        祐成 保志(社会学・札幌学院大学)
4.「〈郊外的なるもの〉の現在」         田中 研之輔(社会学・日本学術振興会)
コメンテータ  内藤辰美(日本女子大学教授)、石黒哲郎(芝浦工業大学名誉教授)
総会  16:50〜17:30
懇親会 18:00〜19:30

■ 2004年度研究例会
第1回 研究例会
開催日時:平成16年9月18日(土) 15:00〜17:30
開催場所:慶応義塾大学三田キャンパス 大学院棟2階325B
報告:
「住み家殺人事件―建築論ノート―」
松山巌(作家・評論家)
「戦前期の『都市問題』と『建築警察』の誕生
 ―大阪府・兵庫県の事例と大正期の法制化を中心に―」
福沢真一(常磐大学コミュニティ振興学部)

第2回研究例会
開催日時:平成17年3月12日(土) 15:00〜17:30
開催場所:東京市政調査会 5階第1会議室
報告:
「景観形成におけるイマジナリーシンボルについて」
阿波秀貢氏(晦WA都市建築計画研究所)
「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」
香川雄一氏(明治学院大学非常勤講師)